風まかせ旅紀行
埼玉県深谷市 日本煉瓦製造・ホフマン輪窯6号窯
2009年1月25日(日)
前日の土曜日は午後から出社して仕事。その帰り道、NHKラジオを聞いていると、埼玉県深谷市にある日本煉瓦製造(株)の旧・煉瓦製造施設「ホフマン輪窯6号窯」が一般公開されているというニュースが。明治時代に建設されたこの施設、国の重要文化財に指定されているのですが、一般公開されていないため、普段は見る事が出来ないのです。折角の機会なので行ってみる事に。
眠い〜寒い〜と布団の中でグダグダしているうちに出発が遅くなり、午前9時半近くになってからようやく出発。出遅れたか? 40分ほどで現地に着くと、既に駐車スペースは埋まりつつありました。昨日のニュースが効いたのか?
誘導されるままに車を置いて、6号窯の前に来てみると、既に行列が出来ていました。後で聞いた話によると、予想外の人数が集まったため、開始時間を前倒ししたんだそうです。
前の一団が窯内での説明を聴く間、外でパンフレットに目を通しながら暫く待ちます。良い天気で風も弱くてよかった。そびえ立つ煙突は、関東大震災で倒れた後に鉄筋コンクリートで立て直された2代目。
順番が回ってきたので、入り口でヘルメットを装着して中に入ります。おおぉ、凄い空間だ。
断面はそれほど大きくありません。頂点で2m70ってところでしょうか。
頭上に開いている四角い穴は、焼成時の燃料(粉炭)投入口。まんべんなく撒けるように、1つの区画に複数(15カ所か?)設けられています。
楕円状になった窯の内側、各区画に1カ所ずつ設けられた排煙口。なぜ排煙が下に?と思いましたが、燃料が上から投入で、排煙も上だと、積み上げられた煉瓦の上部しか焼成しないからでしょうね。焼成中の窯が、上から下へ炎が流れていたんじゃないかと。
地上に作られた施設なのですが、全く日の光が入ってこないので、煉瓦造りの隧道に進入してしまったかのような感覚にとらわれます。
市職員の説明を聴く参加者。手前に、一段出っ張ったアーチになっている部分が、区画の境目。6号窯は全部で18区画有るそうです。
トロッコ
外に出てみると、門の外まで行列が延びていました。意外と、皆さん関心が有るんだなぁ。
次に、明治21年の創業当時から建っている事務所を見ていく事に。こちらも国指定の重要文化財。元々は、煉瓦製造の指導に当たったドイツ人技術者ナスチェンテス・テーゼが自宅として設計・建設したもので、テーゼ帰国後は事務所として使われていたんだそうです。エントランスの上には日本煉瓦製造のマークがちょこんと乗っています。
事務所内の展示に見入る見学者。国指定重要文化財の中を歩き回るのは、去年の目黒邸以来だな。
久しぶりの公開で大にぎわい
敷地内には、もう一つ、国指定の重要文化財が残されています。それは変電室。煉瓦造りの変電設備では旧信越本線碓氷峠の丸山変電所が有名ですが、ここで作られた煉瓦が、碓氷峠の建設にも使われているんだそうです。
壁に埋め込まれたブッシング(碍管)。明治39年に工場設備増強の為、蒸気設備から電動設備へ切り替えた当時のまま残っています。
県・市教育委員会設置を案内板。
工場敷地跡のあちこちに残る通用門の門柱も、もちろん煉瓦製。この門柱も建設されてから何年経っているのだろう?
事務所前の門扉に設えられた日本煉瓦製造(株)のトレードマーク。門柱はもちろん煉瓦造り。日本の近代化を、文字通り基礎で支えた日本煉瓦製造(株)ですが、2006年に自主解散し120年の煉瓦製造に幕を下ろしました。
紹介した6号窯、事務所、変電室の3つの重要文化財は、現在深谷市の所有となっており、今後常設展示へ向けて検討がなされるとの事。毎日の公開は無理でも、例えば第3週の土日に公開、なんていうのはどうでしょうかね?
場所はこちら
関連URI
All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with *istDS2 by PENTAX.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2020.06.06]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp