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風まかせ旅紀行

埼玉県熊谷市 誠之堂・清風亭


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2009年2月1日(日)

 1週間前の2009年1月24日に、ふと聴いたNHKラジオのニュースから、その存在を知る事になった誠之堂(国指定重文)と清風亭(県指定重文)。先週1月25日のホフマン窯6号窯に引き続き、2週連続で埼玉県深谷市にお邪魔する事に。この日のお供は、はるばる宮崎県延岡市からやって来たNikon D80。

 前日、1月31日の土曜日は相変わらず会社に引き籠もり。翌日起きてみると、晴天ながらも、なかなか凄い強風。こりゃ自転車は無理だし、予定通り建物見学に行く事に。10時過ぎにアパートを出発します。目的地まで1時間も掛からずに到着。まずは、国指定の重要文化財である、誠之堂を見る事にします。


 以下、深谷市のwebページより転載〜

 誠之堂は、大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。
 渋沢栄一は、深谷市に生まれ、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、日本の近代経済社会の基礎を築きました。その拠点としたのが第一国立銀行でしたが、明治29年、同行は第一銀行となり、栄一は、その初代頭取を務めました。
 栄一は、喜寿を迎えるのを機に、第一銀行頭取を辞任しましたが、同行の行員たちが出資を募って誠之堂を建築したことには、栄一が行員たちから深く敬愛されていたことが伺われます。
 平成15年5月30日、国の重要文化財に指定されました。

〜転載、ここまで。

 その後敷地毎聖マリア学園に売却され、1997年に学園の施設拡充にあたり、一旦取り壊される事が決定されます。直後から日本建築学会から保存要望書が提出されるなどし(※1)、紆余曲折の果てに、渋沢栄一ゆかりの地でもあり、建築に使われた煉瓦の生産地でもあった埼玉県深谷市が移築受入先として名乗りを上げ、直前で取り壊しを免れたそうです(※2)。移築には、「大ばらし」と呼ばれる工法が使われましたが、これを煉瓦建築で行ったのは、これが初めてのようです。移転建築を行った清水建設のwebページに、詳しい内容が載っています。ちなみに、大正5年の建設当時も、清水建設の前身である清水組による施工なんだそうです(※3)。


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破風の小窓
 破風に設えられた小窓。飾りが何となく日本煉瓦製造のマークと似ているのですが。左側には、当時の碍子が残っています。


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バルコニー側
 バルコニー。屋根を支える柱にも鱗状に装飾が加工されています。


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バルコニー内
 バルコニーの床は石張り。


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建物北側
 建物の北側、建物内の暖炉の裏側です。ちなみに暖炉は、移築の際にふさがれたとの事。


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煉瓦を使った喜寿の文字
 煉瓦を使った喜寿の文字。煉瓦を斜めに使ったりと、単純に煉瓦を積んだだけでは出来ない・・・はて、どうやって作ったのか? 平らな場所で木枠に組んでから、完成後に壁に取り付けたのか、それとも、煉瓦の奥行きが無いのか。


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玄関側
 玄関側。右側の塔の上にいる風見鶏は、移築の際に復元された物。東西南北が篆書体で作られています。


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玄関
 遠目で見ると、小さい建物ですが、玄関前に近づいてみてみると、なかなか迫力があります。玄関の左右に、「大ばらし」工法で切断された跡があります。さて、それでは入ってみましょう。


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大広間
 大広間。家具は当時の写真を元に復元された物。


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天井の漆喰
 壁・天井の漆喰は塗り直されています。リブ部分には、漆喰で中華風の文様が施されています。


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ステンドグラス1
 暖炉を中心に、左右の窓はステンドグラスになっています。


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ステンドグラス2
 絵柄は古代中国をモチーフにしたもの。なにかの祝い事をする様子が描かれています。上の一枚は、料理を作る様子でしょうか? これは、楽器を演奏する様子と踊っている人、大道芸を見せる人。


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ステンドグラス3
 右側中央、屏風を背に座っているのが、この宴の主人でしょう。


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復元された照明器具
 照明も、建設当時の資料を参考に、復元製作された物。


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化粧室のステンドグラス
 化粧室入り口の扉にもステンドグラスが奢られています。化粧室=水ということからなのか、絵柄は龍。


 取材した日に店番(?)をしていた、ボランティアガイド氏もwebを書いているそうで、私の持って行ったカメラを見て「俺もweb用にデジタル一眼レフにしたいけど値段がなぁ〜」と言うので「これ中古なんですよ」「最新の追い求めないし、画質もweb用途なら十分だし、中古にもかなり数が出回っていてお手頃〜」等と暫くカメラ談義していました(^-^;

 さて、次は清風亭を見学する事に。大正15年に、当時の第一銀行頭取佐々木勇之助氏の古希を記念して、誠之堂の隣に建設されたもので、誠之堂と同じく、取り壊しの危機に瀕していたものを移築してきたものです。


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建物南側
 関東大震災後に普及し始めた鉄筋コンクリートで、誠之堂より一回り大きな建物で、全体はスペイン風との事。


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連続アーチのバルコニー
 バルコニーは連続アーチで覆われています。


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意外に広いバルコニー
 バルコニーの床は石張り。外から見るより、広いバルコニーです。


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出窓周りの装飾
 出窓の周り。窓枠も含めて当時のままです。円柱の頂上を飾る彫刻は葡萄。内部の天井にも葡萄をモチーフとした彫刻があります。これを書いていて気が付いたのですが、窓ガラスの外縁はステンドグラスになっているんですね。


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広間
 では、中の見学へ。こちらも、この日の店番のボランティアガイド氏が常駐。予め公民館の窓口で見学する事を伝えておくと(当日でも可)、詳しく案内してくれるそうです。

 広間は板張り。バルコニー側の大きな窓と、南北にある出窓のお陰で、明るい室内。こちらの調度品は、どうやら当時のものそのままらしい。


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照明器具
 誠之堂の金色基調の物とはうって変わって、黒基調の照明器具。


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トイレの仕切も当時のまま
 トイレの仕切も当時のまま残っています。ここにも良い木材が使われています。節が一切見あたらず、心に近い材が使われているのでしょう。だから反らないし、今まで残ったんだろうなぁ。


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部屋中央の暖炉
 部屋の中央にある暖炉。天井にはツタ状(葡萄の蔓と実)の装飾。アーチ状になった出窓の下には、ベンチが設えてあります。これがまた良い材木を使ってあります。


 こちらの建物に居たボランティアガイド氏は、元サイクリストということで、建物の話はどこへやら、暫く自転車談義に花が咲いてしまいました。昔はよくロードレーサーを輪行してあっちこっち行っていたそうです。ということで、ちょうどお昼になったところで退散することに。


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案内板
 両方の建物の間にある案内板。


 場所はこちら


出典

関連URI

All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with D80 by Nikon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2020.06.06]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp