風まかせ旅紀行
群馬県・長野県 碓氷峠を登る
2014年9月14日(日)
自転車仲間から「勾配緩いし楽に登れる」という言葉に騙されて、碓氷峠を登ってみることにしました。昔、軽井沢側から降りたことは一度だけ在るのですが、道中の記憶がほとんど無いのです・・・。輪行して高崎から走り出すか・・・それとも横川スタートにするか?・・。 折角なので、やや距離はありますが自宅アパートから自走していくことに。自宅アパート前を通る中山道を横川までは辿ったことがあるので、今回も中山道を基本に途中、大回りになる所はショートカットして碓氷峠を目指します。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
まず走り慣れた荒川左岸堤防を北上します。熊谷駅の少し北から中山道に合流するつもり。
熊谷駅北口を掠めて国道17号を目指します。
ニトリの裏を通って国道17号に合流。少しだけ国道17号を北上した後、左に分かれていく旧中山道を辿ります。またしばらく行くと国道17号を横切る旧中山道をトーレス。この先は籠原です。
籠原の住宅街を進みます。この先、深谷宿を抜けると国道17号に合流してしまうので、田圃の中を迂回。
もうすぐ国道17号バイパスにぶつかろうかというところに、百庚申の案内板が出てきます。
前回、中山道をトレースした時は「道の駅おかべ」に立ち寄る為にスルーしてしまったのです。万延元年庚申の年に造られた、との事。[左]
百庚申から国道17号バイパスを横断すると、間もなく小山川を越える滝岡橋に差し掛かります。立派な親柱を持つ滝岡橋、元は国道(国道5号)だったんじゃないかな? 土木学会の土木遺産(ランクC)、国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。[下]
滝岡橋・・・文化遺産オンライン
滝岡橋・・・きまぐれ旅写真館
広報ほんじょう
滝岡橋の先、一部は車道としては廃道になっていますが、歩道としては現役で残った中山道。
小山川を渡り直して本庄宿に入りました。中山道69宿の中で最大規模だったのが、この本庄宿。
神流川を渡って群馬県の高崎市新町に入りました。旧中山道、県道131号線を辿ります。明治天皇新町行在所の案内板に導かれて寄り道。明治11年の北陸・東海道巡幸の際にお泊まりになった所。
中山道を道なりに進んで烏川に掛かる柳瀬橋に来ました。川の向こうには岩鼻火薬製造所跡があります。敷地の一部は「群馬の森」公園になっていますが、以前訪れたときは、まだ火薬製造所時代の建物が残っていたなぁ。
柳瀬橋・・・土木学会
第22回岩鼻火薬製造所と軽便鉄道・・・高崎市
柳瀬橋を渡って倉賀野に入り、少しだけ中山道を辿りますが、ここから先は市街化していて走りにくい。そこで共栄橋で再び烏川を渡って右岸へ戻り、安中辺りまで別ルートを進むことにしました。とりあえず烏川右岸の堤防を進みます。
烏川右岸の道を適当に繋いで西へ向かいます。こんな事でも無い限りこんな道には入り込まないだろうなぁ、というような場所の農道を走行中。前に見えるのは東邦亜鉛の安中精錬所。[左]
碓氷川に掛かる伝新橋を渡って安中宿に入りました。[下1]
現・国道17号を横断すると杉並木・・・いや、並木と呼んで良いのだろうか・・・が現れます。ちなみに昭和8年に天然記念物に指定された事を刻んだ石碑(昭和9年建立)が、安中消防署の向かいに建っていますが、別の場所から石碑だけが移築されたのかと思うくらいに、綺麗さっぱり何もありません。天然記念物に指定された当時は321本の杉が立ち並ぶ、文字通りの杉並木だったそうですが、現存するのはたったの13本。[下2]
安中市立原市小学校の少し手前、商店等が立ち並ぶ、ちょっとした宿場のような雰囲気を残す一角が在ります。正式な宿場ではない間の宿だったそうで、明治天皇の行幸の折に休憩に立ち寄っています。[上]
松井田宿を通り抜けて信越本線沿いに出ました。昔は、年に1,2回、この信越本線に乗って碓氷峠を越えたなぁ・・・。[左]
松井田宿の五料の茶屋本陣から少し進んだ辺り。右には信越本線が並行しています。先を行く二人連れは街道歩きの人かな?
しばらくは信越本線の右へ行ったり左へ行ったりしていたのですが、僅かの間は現・国道17号以外に通るルートが在りません。車道を走ると直ぐに跳ね飛ばされそうなので、歩道をソロソロと進みます。先に見えている信号で国道17号を右へ横断して、その先の信越本線の踏切を越えます。
横川駅への入り口を過ぎたあたり。先に街道歩きらしい人影。[左]
旧・国道18号に合流して坂本宿に来ました。この真っ直ぐな登りが中々に辛いのです。脚を休めるタイミングが無いのです。[下]
坂本宿の少し先で信越本線のアプト線跡を越えます。以前は荒れた廃墟でしたが、廃線跡の散策路として徐々に整備が進んでいます。
この先、もう一度アプト線跡を越えるまで、ちょいときつめの上りが続きます。
第3橋梁、通称「めがね橋」まで登ってきました。確か新線からちらっと見えていた覚えが・・・。その新線も廃線になって久しいですが。
めがね橋から先、勾配が緩くなって登りやすくなります。エッチラオッチラ登る、ではなくクランクをクルクル回せて快走感が在るといいましょうか、自分が登りに強くなったような錯覚になります。
向かって左側の木立が無くなって、先に何か案内板が見えてきました。どうやら峠に辿り着いたようです。
少し時代の付いた、浅間山が噴煙を上げる県境表示が素敵。
峠の少し群馬県側にある、昭和8年建立の碓氷峠修路碑。当時の内務省が建てたものらしく、中山道から、この碓氷峠への変遷が綴ってあります。この道を鉄道馬車が通ったことも刻んでありますね。[左]
1934年 内務省発行の資料「碓氷峠道路の今昔」・・・土木学会
今日の終点はまだ少し先の小諸駅周辺の予定。軽井沢から先は、中山道を離れて北国街道を進みます。小諸市に入って平原宿。正式に置かれた宿場ではなく、追分と小諸の間の間の宿、らしい。[下]
小諸駅に到着。1980年代末から1990年代末まで「特急あさま」や鈍行で度々利用した駅です。当時は次々に特急が止まる利用者の多い駅でした。今は見る影も無し・・・。
そうえいば駅前に東急デパートがあったのです。向かって左側がそれ。現役当時、一度だけ最上階(だったかな?)にあったレストランに入ったことがあります。1994年か1995年だったか。
北国街道の一角に在る光岳寺の山門。慶長元年(1596年)に小諸城内に築かれた足柄門を移築したもの。
その足柄門から真っ直ぐに見える北国街道。
ほんまち遊子公園から見た北国街道北側の湯ノ丸から浅間の景色。左下隅に特徴的な親柱を持つレトロな橋が掛かっています。昭和3年に掛けられた常盤橋で、北国街道からその橋につながる下り坂を、権兵衛坂というそうです。その先の道筋をたどると、北国街道を経由せずに直接上田に出られる裏道だった感じですが、何か名前の在る道なのかな?
江戸時代後期の建築とされている脇本陣。2014年当時は特に利用されているように見えなかったのですが、今は綺麗に修復されて、旅館として活用されています。
北国街道・小諸宿 みどころ│小諸宿本陣・脇本陣・・・こもろ観光局
立ち並ぶ古い建物の中でもひときわ大きいのが、この本陣・問屋場。本陣付随の宿泊する建物(御殿)はしなの鉄道沿いに移築済み。この本陣・問屋場跡もほぼ放置状態だったのですが、2023年現在、復元工事を進めているそうです。
最後に大手門に立ち寄ってこの日の自転車活動は終了。走行距離は約125kmでした。初の碓氷峠登坂と久しぶりの小諸市中心部の散策と、いろいろ楽しめた一日でした。
All Photographs by Ryo Masuda 2014.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.28]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp