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風まかせ旅紀行
山口県〜九州3県放浪 4日目 熊本県菊池郡大津町〜熊本県八代市
2015年5月1日(金)
4日目、この日は同じ熊本県内を移動する、当初から距離短めの予定なのでノンビリ起床。昨日発生した、5号車の小トラブル解決の為、途中、健軍にある自転車屋さんに立ち寄るつもり。早くに出発しても開店前に着いてしまうので、午前9時過ぎにルートイン阿蘇くまもと空港駅前を出発します。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
肥後大津駅南側を東西に伸びる国道57号,325号を横断して南下します。まずは健軍にあるサイクルベースあさひを目指します。昨日の道すがら、小さなギャップを越えるたびにカシャカシャと小さな音がしていて、色々と点検してみたら、なんとスプロケットロックリングが緩んでいるのを発見。昨日は、何キロか進む度にマイナスドライバで無理やり締めてやり過ごしたのです。
今回の旅で一番良い天気になりそう! あまりに日差しが強いと日陰に逃げたくなるので、そこそこの晴れに収まって欲しいと考えるのがサイクリスト。[左]
10時前に健軍に到着。コンビニエンスストアで補給と時間調整した後、開店直後のサイクルベースあさひでスプロケットロックリングを締めて貰いました。助かった! 健軍から県道232号線で御船町方面へ向かいます。[下]
木山川を渡って熊本市東区から御船町に入りました。画面の左外が、2016年4月の地震で大きな被害が出た益城町の中心部。
国道443号に合流しました。道なりに御船町の中心部へ向かいます。
御船町の市街に掛かって4車線バイパスになる国道443号を避けて、右に折れています。ついーっと走って行くと、何やら左にアーチ状の物が見えた!? 停車して振り返って見ると、小さな川に確かにアーチが掛かっています。
「門前川眼鏡橋」と呼ばれている橋で、文化5年(1808年)に、日向往還の要路として架橋されたものだそうです。
古い道を西に向かいます。熊本バス自動車学校の入り口近くです。
国道445号バイパスを横断し、その次に廃線跡(熊延鉄道)の道に出て左折。ちなみに廃線跡だと気が付いたのは、このレポートを書く段になってから。御船川を渡って、その左岸へ。
ここも古くからある道でしょうか。この先、妙見坂を越えて甲佐町へ向かいます。
妙見坂を越えて、廃線跡を転用した国道443号に合流。暫く国道を進みます。そして、一本調子の国道に飽きて脇へ逸れてみます。逸れた先も廃線跡を転用した道でしたが、これを知ったのもこのレポートを書く段になってから。
甲佐町役場に来ました。掲示されていた案内板で情報を仕入れます。ついでに水分補給。ちなみにこの甲佐町役場は貯木場の跡地に建っていて、内大臣森林鉄道が走っていた所だそうです。
案内板で国道の西側に旧道が在る事を知ったので、そっちを経由してみることにしました。チラホラと営業中の商店が続く道です。
この交差点の商店は、どれも廃業のよう。塗り分けられた舗装だけが綺麗なのが、却って寂しさを誘う感じですね。森林鉄道が動いていた頃が最盛期だったのでしょうか・・・。
甲佐町の中心を流れる大井手川。慶長13年(1608年)に加藤清正公の命によって開削された、近くを流れる緑川を水源とする水路だそうです。
その緑川を中甲橋で渡り、河岸段丘を登ります。その標高差40kmあまり。国道218号に合流し西へ移動して宇城市に入りました。[左]
国道も中々快適に走る事の出来る道なのですが、旧道と思われる細道へ。馬立という、これも古そうな地名の集落を通ります。[下]
再び国道218号に合流して、小熊野川を越える橋に差し掛かり、ふと下流方向を見ると、あ!何やらアーチが見えます。
カメラでズームしてみると、おお、石のアーチ橋です。これは近くに行って見学していく必要が有りそうです。
GARMIN eTREXの地図を見ると、さっきの旧道を辿っていくと、石橋の下流の橋を通って対岸に見える道に行けるようです。行ってみると、その現役の橋「山崎橋」も、昭和8年8月竣工という古い橋でした。
石造アーチの橋も、名前は山崎橋でした。架橋されたのは天保2年(1831年)さっき通ってきた次代の山崎橋が昭和8年(1933年)ですから、100年ちょっとは現役だったのですな。今なお、歩行者を通すのには不自由しません。
小熊野川に沿って南へ向かいます。豊野町下郷を通り掛かると御手洗水源が在りました。熊本名水百選の一つらしい。
田圃の中の一本道を進んでいると、あれ?国道?
国道マークにそっくりな町道2号線でした。白い吹き付けで「町」とマスクされている下には「村」の文字。本物の国道標識を貰ってきたのだろうか? それともわざわざ新たに作ったのか?
三由橋に通り掛かりました。隣には車両を通す橋が架かっていて、手前は歩行者専用。ここから見ると、それ程古くないコンクリート橋に見えますが・・・。
横から見ると石造のアーチ橋である事が見て取れます。種山石工の名工、岩永三五郎により文政3年(1830年)の架橋だそうです。
良く観察してみると輪石の大きさ(幅)はバラバラ。しかし、これで安定していて200年近く建っているのだから、凄いですね。
小熊野川の支流を越える、これまた小さな橋。来た道を振り返って見たところ。左右の欄干が違うので、後から拡幅されたのでしょう。たぶん左が古いんじゃないかな?
上の橋のほんの少し先の風景。田圃に水が入ったら、もっと良い景色だろうなぁ。[左]
県道32号線を南進。ピークを越えて今度は砂川沿いを宇城市小川町へ向かって降りていきます。[下]
途中、左手に何かの案内板があるのを見掛けて停車。こういう事が簡単に出来るのが自転車の良い点。さて、立ち寄ってみると「塔の瀬石橋」でした。
宇城市小川町の街並み。ここは薩摩街道の宿場だったそうです。
町の東側、丁度平野と山地の境目にある小川阿蘇神社の境内にある、大きな樟(くすのき)。
樟の案内板。樹齢は約1300年、神社自体も1000年の歴史が在るそうです。
刈萱橋を渡って薩摩街道、現在の県道155号線を進みます。この辺では有名な白玉屋新三郎も、この薩摩街道沿いに位置しています。そういえば八代の祖母ちゃんは、よく白玉粉を送ってきてたなぁ。
その薩摩街道が現国道3号に合流する所にあるのが、道の駅「竜北」。食堂がとても美味しそうだったのですが、中途半端な時間だったので、手軽な糖分補給で済ますことに。それでもご当地品をという事で、い草ソフトを食べてみました。
これもご当地品、らくのうマザーズのカフェ・オ・レ。この旅では、やまぐち県農のマイルドなコーヒー以来かな?
道の駅から先は国道3号を避けて、並行して延びる農道を進みます。手前がい草、奥のピンク色はレンゲソウ、ですかね?
目的地は直ぐ其処。しかし、時間は未だ未だ有ります。折角なので八代海を眺めていこうという事で、氷川沿いを下流へ向かってみることに。九州新幹線の下を通ると、河口までは2kmちょっとという距離。
河口が見えてきました。その先に見えるのは宇土半島。
午後3時、八代海に到達! 向こう岸は宇土半島、その左奥にうっすらと見えるのは雲仙岳でしょう。
さて、八代海を後にして今度は鏡川を遡ります。この港は古くから有るらしい。写真の左外には肥料工場や物流倉庫が有るのですが、1945-1950年の航空写真を見ると、鹿児島本線有佐駅から引き込み線が延びていたのが分かります。かつてこの地で操業していた日窒鏡工場の専用線だそうです。[左]
鏡川沿いの県道42号線。右側には長屋が続き、左には川面に迫り出さんばかりに民家が続く、なんともノスタルジックな風景です。夕方、オレンジ色のスペクトルだけで、コントラスト強めに撮せば、二階堂酒造のCMが出来そうです。[下]
何となく夕刻を感じる風景の中、田圃の中の一本道を進んで最終目的地の祖父母宅へ。午後3時50分に無事到着して、今回の旅は終了です。
All Photographs by Ryo Masuda 2015.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.28]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp