風まかせ旅紀行
新潟県長岡市越路 長谷川邸
2010年4月30日
翌日からのBD-1 Off会@富山を控えて、朝早起きして準備をした後、午前10時半過ぎから一眼レフカメラを持って近所を回ってみました。まず同じ長岡市内にある雪国植物園を取材した後、はて他に行く所はないだろうか?と考えて思い浮かんだのが越路町の長谷川邸。随分以前から、そういう建物がある、ということは知っていましたが、行く機会がありませんでした。
長谷川邸の歴史
長谷川停波武士の出自と伝えられ、東谷の五十嵐家を頼り土着し、近世初期以降になってこの地に居を構えて、土地開発や治水事業など村の開発に貢献し、山村地主としての地位を固め、代々庄屋を務めてきた旧家である。
幕末から明治にかけては、近郊四ヶ村の耕地は山林の七割を独占し、百八十町歩余りの田から四千俵の小作料をあげた豪農である。
敷地は街道に面した間口約70メートル、奥行き120メートルと広大なもので、周囲に堀を巡らせている。母屋は宝永3年(1706)の大火で類焼し享保元年(1716)に再建されたと伝えられている。(パンフレットより)
街道(現国道404号線)に面した表門。ところで街道の名前は何だろうか?
長岡市教育委員会設置の案内板。
向かって左、上手に位置する賓客用の玄関。今でも使う事は許されません。
土間から建物内に入って寄付、玄関方向を望む。板の間になった広間の左側が寄付、その奥の衝立の有る部屋が玄関(なはず)。
玄関の間から次の間、上段の間。だったはず。こういった展示を撮り慣れてないので、後から写真見たら分からない事に・・・。それを反省した笹川邸取材では少しは進化したかな?
笹川邸に比べて土縁が広く作られているように思います。屋根から落ちた雪が室内へ突入しないようにという、この土地柄を反映したものでしょうか。
表から北側に回り込んだ所。縁側の一番奥が便所。
畳敷きの廊下。
便所。もちろん上段の間に通される御仁の使うものでしょう。
板張りの茶の間と、その奥の仏間。茶の間が畳敷きではないのはなぜだろうか。
土間。手前のひときわ大きな竈は風呂用のお湯を沸かすための物。調理用の竈は奥にあります。
台所。手前に有る扉棚状のものは、多分冷蔵庫。ここに在る物の中では新しいですね。
同じく台所。引き違い戸の2棹は食器棚でしょうか。
再び土間。調理用竈の裏手。正面が寄り付きから広間になります。土間の壁の下って、石敷きで支えられていて隙間だらけなんですね。屋根付きではあるが外、という事なのでしょうか。或いは冬場に煮炊きや暖のための火で酸欠にならない工夫か。
寛政5年(1793)に増築された二階建ての新座敷。長谷川邸の建物群の中では主屋について古いもの。こちらの廊下は板張りのまま。
新座敷から渡り廊下で直接繋がれた井籠蔵。渡り廊下の中に火災時の備え(水・土・砂)が有ります。冬期に火事を考えると、建物外に備えがあっても雪に埋まって取り出せない事を考えての事でしょうか。
土間に戻って天井の構造を見ます。笹川邸の屋根よりも傾斜がきついような感じがします。それに萱を留めるための縄が目立ちますね。
敷地の周りを取り巻く堀。防火はもちろん冬期の融雪も兼ねての作りと思いますが、土塁が在るから城郭のように防御も考えられているのかも。
長谷川邸の本当にすぐ近くにある三波春夫顕彰碑。ここ越路町塚野山は三波春夫生誕の地であり、またヨネックス発祥の地でもあります(ヨネックス創業者と三波春夫は同窓生)。今でもヨネックスの新潟生産本部は、ここ越路町塚野山にあります。
場所はこちら
All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with K20D by PENTAX
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2022.03.27]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp