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風まかせ旅紀行

新潟県新潟市 笹川邸


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2010年05月05日

大型連休の最終日、新潟県内に居るうちに県内にある重要文化財を見ておこうということで、新潟県新潟市南区、旧味方村にある笹川邸を訪ねてみました。良いお天気の中、ドライブすること2時間弱、駐車場に着くと県外ナンバーの車がチラホラ。訪れる人は案外多いようです。筆者が居た1時間半の間も、見学者が途切れることはありませんでした。

笹川家について
安土桃山時代に信濃国水内郡笹川村(現飯山市)から入植したと伝わり、昭和45年(1970年)にこの地を離れるまでの、14代300年超に渡り、辺りの大庄屋を務めた家です。敷地は表(東側)に中ノ口川(信濃川支流)、裏手には味方江に面しており水利の要にあります。現存する建物は、文政2年(1819年)から7年かけて火災焼失後に再建されたもので、昭和29年に重要文化財に指定されました。(新潟市発行の資料※1より抜粋)


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案内板
門前に建つ案内板。新潟県内で同様の建物は、長岡市越路(旧三島郡越路町)にある長谷川邸があります。


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表門
中ノ口川に面した表門。表門は火災消失を免れ、創建当時の天正年間の姿を残していると伝えられています。


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前庭と表座敷
前庭と表座敷。向かって左側、上手側に位置するのが藩主が出入りする玄関、真ん中の寄り付きからは主や代官、そして向かって右、下手側にある土間から家族や雇い人が出入りします。往時なら筆者は・・・多分、敷地内に入ることすら許されないでしょう。


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玄関
上手の立派な玄関。今でも使うことは許されません。


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寄り付き
主人・代官が出入りする寄り付き。


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土間の上の構造
土間から屋内に入ります。土間の上の天井の様子。梁も柱も大変立派。また、非常に高い位置にあかり取り用の窓があるのも特徴の一つです。


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囲炉裏の間
土間奥にある囲炉裏の間。


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土間から見た、寄り付きと広間
手前の板の間は寄り付き。その奥が広間、更にその奥が玄関から繋がる三の間。


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掲示物いろいろ
掲示物いろいろ、その1。


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掲示物いろいろ
掲示物いろいろ、その2。


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広間
近隣の庄屋(味方組8ケ村)との会合などに使われた広間。28畳もあります。


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三の間
三の間。床の間の文様は水を表しているそうです。この奥には家老の間があります。


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次の間と上段の間
廊下から見た次の間(二の間)と、その奥に続く上段の間。藩主などを向かい入れる広間です。


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次の間から庭を見る
次の間から見る廊下と庭。室内から外へ行くに従って、障子の腰板が低くしてあるのも特徴。


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畳廊下
部屋、ではありません。立派な畳敷きの廊下から見た庭。


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畳廊下の奥に上便所と上湯殿
南側の廊下。奥は上便所と上湯殿。


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土縁と土庇
その廊下の外の土縁(縁側)と土庇。下は白い砂を使った土間になっていて、ここと軒下で光を反射させて屋内を明るくする工夫。軒先を支える桁には約10間の1本の杉丸太。


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縁側からみた庭
縁側の上便所側から見た庭。向こうには池があります。


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家老の間
三の間の奥に位置する家老の間。


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渡り廊下
囲炉裏の間から奥に続く渡り廊下。天井に見えるのは配電線。現役かな?


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竜吐水
渡り廊下の壁に備え付けられた竜吐水。消防用の手動ポンプですね。


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六尺棒
同じく渡り廊下に備え付けられた六尺棒。上の3本は六尺どころの長さではないようですが。


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茶の間
渡り廊下から先が居住区になっています。まず有るのが茶の間。広さは24畳かな? 左側、開けられている障子の奥が客間、右側の板戸の奥が次の間です。


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中廊下の階段箪笥
中廊下にある階段箪笥。天井裏にある物置へ上がる事ができます。


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仲の間・勝手
仲の間(手前)と勝手。土間も土ではなく石敷きになっています。勝手は建屋から凸状に突き出た形になっており、3方が外に面しているので明るいです。いやぁしかし広い。


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住居からは表座敷内が見えない
仏間手前の廊下から庭園、左に見えているのが南廊下、その突き当たりが七畳の間、向かって道が上便所・上湯殿。こう見ると、藩主などが座る上段の間や家老の間から、居住区が見えないように建てられているように思います。上湯殿や上便所にはこちら側に窓が無いですし。


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住居2階
大正元年に増築された2階部分。なるほど1階と比べると新しく明るいです。簡素な感じがしますが、黒檀を初めとした貴重な木材が、彼方此方に使われています。


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三戸前口土蔵
三戸前口土蔵。入り口が3つ有ることから、その名前が付けられたようです。とっても最初から1つの土蔵に3つの入口を作ったわけではなく、もともと別々の土蔵だったものを繋げて、そうなったらしい。


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土蔵内に整理された民具
別の土蔵の中に整理された民具類。舟は水害時の備えでしょうか。


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土蔵群
裏門側から見た土蔵群。米の収穫期には、ここに沢山の人足が出入りして蔵に運び入れたんだろうなぁ。


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敷地周りの堀
敷地の外側を一周する堀。火災を期に掘られたそうです。


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裏門
裏門(乾天門)。ここから先程の土蔵へ通路が伸びています。写真のように屋敷周囲は板塀ではなく土塁が築かれているので、屋敷というより城館のような印象です。


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線路跡
表門の直ぐ先、中ノ口川沿いを走っていた新潟交通電車線の線路跡。周囲の干拓が進むと共に運航できなくなった水運の代わりとして敷設され、それも1999年に全線廃止となりました。笹川邸の長い歴史からすれば、元に戻った、と書けるかもしれません。


場所はこちら


関連URI

All Photographs by Ryo Masuda 2011.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2022.03.27]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp