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風まかせ旅紀行

新潟県 長岡市・廃線跡ポタ


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2010年7月3日(土)

今日土曜日、ここ新潟県長岡市は日中は雨の心配は無さそうな天気でした。が、深夜、というより早朝までphpで遊んでいたりして、起きたのは9時過ぎ。まぁ早起きしたところで財布が空なので何処へ行く訳でもないのですが。そんなわけで、財布が空なら自転車で散歩でもすればいいじゃない?との天啓が。5号車で市内を日本海方面へ行ってみました。向かう先は寺泊。距離は・・・さぁて何キロなんだろ?

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廃線跡転用の道

廃線跡では無く、別のルートで通って与板の町に到着。ここが近年整備された廃線跡の道。つまり近年まで路盤がそのままに残されていた場所です。


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道の案内図

道の案内図。この赤い歩道が、そのまま廃線跡。枡形が2つ残る古い街道沿いの建物のすぐ裏、裏山とのわずかな隙間を電車が走っていたんですねぇ。


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整備済みの区間終了

整備済みの道が終わって手付かずの廃線跡になりました。いや、手付かずという訳では無さそうですが、あまり積極的な利用はされていないようです。


photo-20100703-4国道403号の大きな枡形

国道403号、三国街道へ出て北上します。大きな枡形が残っています。さすが城下町。それが要因かどうか分かりませんけども。


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藪地として延びる廃線跡

新潟県の管理事務所近くに来ました。奥から手前に緑の道のように伸びて来るのが廃線跡。無理矢理何かに転用するほど土地に困ってはいないから、こういう風に残り続けるのでしょう。


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現存する与板駅跡の駅舎

現存(2010年当時)する与板駅舎。与板運輸本社として使われているそうです。手前の駐車スペースがレールの有った所。

大正5年、長岡鉄道自らが出版した「長岡鉄道案内」に与板駅駅舎の写真が掲載されているのですが、この建物とは違うように見えます。今のバス停がある辺りに建ってたのかな? (2019/03/30追記)


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駅構内に残るレール

与板駅構内の跡地に残るレール。


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掘り起こされたレール

こちらは掘り起こされたレール。廃線直後では無く、廃線後35年を経て掘り起こされる所が、漸く決心がついた、という感じがしてしまいます。


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田んぼと道路の間に延びる廃線跡

与板駅跡を出て、田んぼと道路の間に延びる廃線跡。もしかして土地はまだ越後交通の所有なんだろうか?


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小さな鉄橋も残されている

小さな水路を越えるための小さな鉄橋もそのまま残っています。さすがに枕木は残っていないか、などと思っていたのですが・・・。


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三国街道の案内

信濃川のすぐ隣に来ました。道路に上書きされてしまった(らしい)廃線跡の脇には三国街道の案内。


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あぜ道のようになって残る廃線跡

田んぼの真ん中であぜ道のようになって残る廃線跡。向こうの土手は信濃川の左岸です。


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盛り土の廃線跡

寺泊岩方に残る盛り土の廃線跡。


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比較的大きな鉄橋も残っている

比較的大きな鉄橋も残っています。7月だというのに草に埋もれることも無くはっきりと姿を現しているのは、どなたかが刈り払いをやってくれているんだろうなあ。


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竹藪のトンネルから伸びてくる廃線跡

斜面をほんの少し切り下げて、竹藪のトンネルのようになった小さな切り通しから伸びて来る廃線跡。


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信濃川左岸堤防の並走する廃線跡

信濃川の左岸堤防と平行に伸びる盛り土の廃線跡。知らない人が見たら、信濃川の旧堤防なのかと勘違いしそう。


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山ノ脇小学校跡の隣の廃線跡

寺泊山ノ脇センターの近くまで来ました。今度は逆に道より低い位置になった廃線跡。レールこそ有りませんが、枕木とバラストが残っていました。地域の公民館も兼ねる寺泊山ノ脇センターは山ノ脇小学校跡。小学校跡の隣に廃線跡。何とも形容し難い寂しさです。


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アスファルトに埋まるレール

寺泊町軽井に、アスファルトに埋まって残るレール。枕木も残っていました。


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県道410号線傍に残る鉄橋

同じく寺泊町軽井の県道410号線と交差する手前に残る鉄橋。後ろに見える県道410号線が新設、あるいは今のように拡幅されたのは廃線後の事だろうと思うのですが、撤去されること無く残されています。


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弥彦山に向かって延びる廃線跡

大河津分水駅跡に向かって延びていく廃線跡。その先にポコポコと頭を出している山は、国上山から弥彦山でしょうか。


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よく見るとレールが埋まっている

大河津分水駅跡の直前、住宅の間の空き地となって残る廃線跡。よく見ると砂の中から手前のアスファルトの下にレールが埋まっていることが分かります。


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かつては踏切だったのだろうか?

手前、立っている場所は大河津分水駅。昔は遮断機のある踏切だったのでしょうか。そして、冒頭の写真が大河津分水駅跡。架線柱も残っています。右側に菜園として残っているのがプラットホーム。この先は現・国道116号に突き当たって分断されていますが、国道を横断するとすぐに枕木の残った廃線跡が復活します。


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JR越後線・寺泊駅近くに残る廃線跡

JR越後線の寺泊駅近くの廃線跡。レールも残っています。周りも、廃線跡が現役当時からそのままのような建物ばかり。


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寺泊駅を越えて西側に残る架線柱

現在のJR越後線と平面クロスして、寺泊駅の反対側に出て来た廃線跡。与板から寺泊までの間は架線柱を見掛なかったような気がするのですが、寺泊駅を越えると逆に架線柱ばかりでレールも枕木も見えません。


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左右一対で残る木製の架線柱

左右一対で残る木製の架線柱。風雪に耐えてよく残った、感動した!


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寺泊中学校跡と新道駅跡

寺泊中学校跡の大階段。その前を通るのは、今の県道22号線。写真の左側が新道駅跡。丸いポストは、当時は駅構内にあったようですが、今は中学校跡の階段脇に。代替わりしているかも知れませんが。


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寺泊の古い通り

鉄道が現役だった当時から、あまり変わってないのじゃないか?と思う寺泊の街中。こういう所が故郷だったら、と、こんな風景を見るたびに思うのです。


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寺泊港に来ました。ここから佐渡へ行くことも出来るんですよ〜。冬の運休期間がありますが。

参考にさせて頂きました。
長岡鉄道・・・さえずりの広場from寺泊


All Photographs by Ryo Masuda 2016.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.12.02]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp