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風まかせ旅紀行
奥州街道白河-郡山-福島 Vol.1
2015年10月25日(日)
新白河駅前のルートイン新白河東でのんびりして二日目。窓の外を見ると柿の木の枝がユサユサと揺れるほどの風。しかも結構寒い。新白河駅から輪行して帰宅しようかとも考えましたが、今日はずっと東北本線沿いを進む予定なので、簡単にエスケープ出来ます。なので、スローペースでも進めるところまで進んでみようという事にして出発です。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
白河駅の北側の路地を通って国道294号に合流し、田町大橋で阿武隈川を渡ります。
すぐに向寺集落の上り坂です。
続いて深い切り通しを通ります。斜面にある段差は、掘り下げられる前の路面の高さなのだろうか?
女石の追分で左に別れていく会津街道を見送り、右にカーブしていく旧道へ入って、国道294号とはここでお別れ。その右側に林立している石碑群。
続いて蕎麦屋さんの建物裏にひっそりと建っている上水道記念碑。
少しだけ国道4号に合流し、すぐに進行方向右側の旧道へ入って道なりに進むと根田宿です。
入り口から360mほど進むと、かくっと左に90度曲がって北上します。
左折してから450mほど進むと国道4号に合流。ここから少しだけ、おっかなびっくり、交通量の多い国道4号を走らなければならないと覚悟していたら、掘り下げられた国道4号の西側に旧道が残っていました。へー。
国道4号脇に残った旧道を350mほど進んで泉田の旧道へ。阿武隈PAの直ぐ東側です。次の小田川宿までの間、旧道は国道4号の切り通しで分断されているとの事なので、東北自動車道の西側の市道で迂回します。迂回したルート、1947年前後の航空写真を見ると、旧国道の名残のようですね。
国道4号に戻って緩い坂を下って、神社の建つ分岐で左に入って小田川宿に入ります。特に古い建物が残っている訳ではないのですが、街道由来の地割りと旧国道の静けさが良いですね。
小田川宿を出て、次の太田川宿へはこんな田舎道。
小さい丘を越えて緩い坂を下っていくと太田川宿に入ります。どれもこれも大きな民家だなぁ。道はこの先でT字路に突き当たります。それを右折し、直ぐに左折します。小さい丘を登ったり降りたりの繰り返しです。
四ツ屋前に未舗装で残る旧道。1947年の航空写真を見ると、ここは旧国道のルートからも外れていたようですね。だからこそ、この状態で残ったのでしょう。
新池の前を通過する旧道。他の交通も少なく快適です。
現国道4号を西から東へ横断して踏瀬宿に入りました。しかし、宿場間の距離が短いですね。ほぼ2km毎にある感じです。
あぶくま高原道路を跨道橋で越え、その直ぐ先で県道283号線との信号のある交差点を直進します。戊辰戦争時にはここに門が設けられたそうです。右の道脇にぽつんとあるのが、それを示す案内板。
風で落ちた杉の葉が散乱して、一見廃道のようにも見えてしまう七曲がり峠を下ります。葉で滑りそうなのでノロノロとスロースペースで進みます。未舗装の旧道が東側に残っているそうです。
七曲がり峠を下りると大和久宿。やっぱり踏瀬宿から約2kmの距離です。しばらく行くと、道路案内板と思われるものの後ろ姿が。通り過ぎて振り返ってみると、東北自動車道、矢吹ICを示したものでした。開通直後から有るのでは?と思う古さ。
進行方向の右側で見かけた、なにやら古そうな石柱。道標らしいのですが文字は全く読めず。地理院地図を見ると、確かに奥州街道からY字状に細道が分かれて延びているのですが。
大和久宿から境目がハッキリしないうちに次の矢吹宿に入ったようです。
ちらちらと古そうな倉や商家の残る本町辺り。矢吹宿の中心だったそうです。
北町の北で現国道4号に合流し、850mほど進むと、久来石宿へ向かう旧道とのY字路になります。右に見えているのが現国道4号。
大きな民家が連なる久来石宿。
久来石宿から国道4号を西から東に横断し、次の笠石宿に入りました。大きな民家が広い間隔で並ぶ様子は久来石宿と同じです。1948年の航空写真を見ても、今とあまり変わっていないようです。
笠石宿、そして東北本線鏡石駅周辺と、民家が続く街道を進みます。
鏡沼、高久田を通り、須賀川一里塚の少し手前で国道4号に合流。さて、どこを進めば・・・と見渡してみると、国道の東側に旧道のスペースが残されていました。
歩行者専用となった旧道を須賀川宿に向かって下りていきます。
東西一対で残されている須賀川の一里塚。昭和11年9月3日には国指定の史跡になっています。
街道を分断している国道118号を大きく迂回して横断し、続きを追うと東北本線とぶつかります。正面の頑丈そうな柵になっている所が、国道時代の第一奥州街道踏切が有った跡。
踏切跡を迂回して須賀川宿に入り、本町まで来ました。この辺り、道路拡張工事中のようでした。数年後には、また別の景色になっているかも知れません。
「結の辻」ポケットパークの芭蕉と曾良の立像。「奥の細道」にも縁のある地ですね。「辻」は石川街道との交差点だった事に由来するのかな?
さらに進んで、福島県商工信用金庫の交差点で何か石柱が建っているのを見かけて停車。「明治天皇行幸所」の石柱は各地に残されていますが、これが変わっているのは、それに続いて「旧産馬会社」と彫られている事。明治9年の東北巡幸の折に、当時ここに存在した産馬会社を訪問された事に由来するそうです。
公立岩瀬病院脇の新平坂。かの後藤新平が、この坂道を通って岩瀬病院の前身である福島医学校に通っていた事から、そう呼ばれるようになったとか。
「岩瀬の渡し坂」を下ります。坂の直ぐ下を流れる小川の治水工事の影響で、つい最近になって道筋が変わり、右の坂を下りていっても行き止まりになったようです。
中宿橋で釈迦堂川を渡り、鎌足神社から笠原工業(株)須賀川工場の裏手を進むと、県道355号線の跨線橋に突き当たります。その先に続いていた東北本線を越える踏切は廃止されたと聞いていたので、では、向こう側に行くにはどうすれば?目の前の跨線橋で越えるのが早そうだ、と跨線橋をえっちらおっちら登って向こう側へ。すると、踏切跡に地下道が作られていました。
何故か残されている虎縞模様のコンクリート製ガード。にしても、道案内が見当たらない奥州街道は不遇だなぁと思うのです。
踏切跡を背にして、これから進む北方向を見たところ。岩瀬の渡しの坂から途絶えていた街道に復帰です。
下宿から丘を登って工業団地脇の街道を真っ直ぐに進みます。あまりに真っ直ぐなので、工業団地造成時に道が付け替えられたのか?と思ったのですが、工業団地の影も形もない1947年の航空写真を見ても真っ直ぐでした。その先、新道との分岐点に石仏が集められていました。廿三夜塔と庚申塔が多いですね。
滑川を渡る手前、新旧の道が合流する地点に、明治期に建てられたという道標が有りました。「右綱馬通行道」と読めます。右は新道(旧国道)は車で行けますよ、旧道は馬を曳いて行けますよ、という事かな?
福島県立清陵情報高校の辺り、田んぼと東北本線に挟まれた旧国道、現在の県道355号線を進みます。西側はさっぱりとした田んぼ風景。
第3奥州街道踏切で東北本線の東側へ、続いて水郡線を横断します。
道なりに進んで笹川宿に入りました。安積永盛駅の少し北側、笹原川を渡る手前に行き止まりの路地として残っている旧道へ。
レポートはVol.2に続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2015.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2025.01.03]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp