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風まかせ旅紀行

長野県 飯山・中野・小布施ポタ Vol.2



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色褪せた白看板

 夜間瀬川に掛かる越橋の手前まで来ました。道の傍らには色褪せた道案内が。お、これは俗に言う「白看板」じゃ? 小数点で100m単位の距離が書いてある、懐かしい看板です。[左]

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)

 夜間瀬川を渡ります。越橋から上流方向を眺めた所。1.5kmほど上流には「十三崖のチョウゲンボウ繁殖地」が有るそうで。下流方向には長野電鉄の廃橋と、その向こうに建設中の北陸新幹線の橋。[下]


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夜間瀬川を渡る

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橋の先はまた細道

 越橋の上だけは2車線なのですが、また直ぐに細道になります。


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なにかの醸造元だろうか

 細道を辿って中野を目指します。金井の集落の中、道沿いに建っていた一際大きな瓦屋根の建物。蔵の裏にタンクのようなものが見えるから、お酒かお醤油のような醸造系かな?[左]

 若宮の集落内を通過中。もう少し行けば国道292号を横断します。[下]


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もうすぐ国道292号

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信州中野駅から続く商店街

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信州中野駅

 国道292号を横切り800mほど進んで、長野電鉄長野線を横断します。まずは信州中野駅へ向かう事に。信州中野駅前から続く商店街の中を移動します。しかし静かだ・・・。[上]

 信州中野駅に到着。以前は河東線との分岐点でしたが、今は長野線のみ。寂しいなぁ。[左]


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「肩たたきの像」

 信州中野駅のロータリ内に建つ「肩たたきの像」。地元中山晋平氏作曲の童謡「肩たたき」をモチーフにしたものです。

中山晋平記念館


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中野県庁跡

 県指定史蹟になっている中野県庁跡に来ました。案内板を引用すると、

中野県庁跡(中野陣屋跡)
 幕府領中野陣屋(代官などの支配地における役宅や屋敷)があった場所。
 陣屋がここに置かれたのは、織田信長死後の上杉陣屋を初めとすると伝えている。
 陣屋が置かれたことが確実となるのは、元和二年(1616)幕府代官陣屋以降である。
 中野陣は、慶応四年(1868)三月天朝御料尾州取締所、同年八月伊那県中野分局として、明治三年九月からは中野県庁として使われた。ところが同年一二月の中野騒動で消失し、中野町の嘆願にもかかわらず再建されず、長野へ県庁が移った。
 県庁としてはわずか十ヶ月の命であった。
 今では石垣・陣屋井戸・陣屋稲荷が当時の名残をとどめている。

 すると建物は再建か。明治の一時期、この辺りは中野県で、ここが県庁だったんですね。


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県道358号線

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川東善光寺

 中野県庁跡の前の通り、県道358号線。向こうの方にお寺の赤い屋根が見えています。行ってみよう。[上]

 南照寺でした。一名を川東善光寺と称し、長野市にある善光寺(川西善光寺)と同様、古くから信仰されているお寺だそうです。正面に建つ回向柱は、2007年に本堂再建200年を祝って行われた御開帳の時のものらしい。[左]


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元・小田急がやって来た

 長野電鉄中野松川駅近くで一休みしていると、警報機の音が聞こえてきました。お、シャッターチャンス!とデジカメを取り出して待っていると、向こうからやって来たのは小田急ロマンスカー!?

 小田急から無償で譲り受け「特急ゆけむり」とて運用しているんですね。 最近の車両のような気がしてましたが、登場から既に23年経ってるんですね(小田急では1987年営業運転開始)


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中野松川駅

 木造の中野松川駅。もちろん無人駅です。


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長屋作りの残る路地

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周りは果樹園になる

 さて、そろそろ次の経由地へ向けて出発しましょう。長野電鉄長野線に沿って小布施町へ向かいます。まずは中野市街の路地を適当に移動して、県道358号線へ合流します。何の変哲もない交差点を曲がって、その先にこんな長屋作りの建物が残っている辺り、町の歴史を感じます。[上]

 市街地から少し離れると、辺りは果樹園に。リンゴかな?[左]


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秋祭りの御輿に遭遇

 長野電鉄延徳駅の近くを過ぎた辺りで、道が狭くなりセンターラインのない細道になりました。道の先に、揃いの半被を着て歩く一団が見えてきました。秋祭りか。


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道沿いに建つ庚申塔

 道沿いに建っていた庚申塔と、真ん中にいらっしゃるのは観音菩薩かな? この先に釜上地蔵というのが有るらしい、立ち寄ってみましょう。


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道から少し登った所にある

 道なりに進むと釜上地蔵の案内板が見えました。お地蔵様は道から少し登った所に居ます。


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釜上地蔵

 釜上地蔵。案内板を引用すると、

総高105cmの石造の地蔵尊で、正確な造立年代、趣意などは不明ですが、桜沢区に伝わる伝承などから、これらなどの伝染病による犠牲者を供養するために祀った地蔵尊であると考えられています。

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福島正則公霊廟を案内する石碑

 小布施町の中心まで後1km余りと近づいた所に、大きな石碑を見付けて停車。ここから800mほど東に行った所にある福島正則公霊廟を案内するものでした。右側に「従是東五町」って書いてありますね。この石碑、12500地形図にも載っています。


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町立歴史民族資料館

 道なりに進んでいくと、右側に小布施町立歴史民族資料館が有りました。


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おそらく元・都住小学校校舎でしょう

 立派な建物。門柱の裏には「都住小学校」と刻まれたので、元々小学校の建物だったのでしょう。門柱は、向きを180度変えられたのかな?


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国道403号

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蔵作りの自転車屋さん

 国道403号に出ました。個人的には新潟県内で馴染み深い道です。この辺りは、この日も観光客で賑わっていました。[上]

 その国道403号と、小布施駅前へ続く県道343号線の中町南交差点に建つ蔵作りの建物は、実は自転車屋さん。レンタサイクルもやっています。[左]


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小布施駅

 長野電鉄小布施駅で一休みしながら、この後のルートを考えます。まず小布施橋を渡って千曲川左岸へ移動して豊野駅へ行ってみよう。[左]

 オアシスおぶせの直ぐ近くの千曲川右岸堤防に来ました。千曲川を挟んで(川面は見えていませんが)対岸に見えるのは飯綱山(1917.4m)。[下]


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千曲川堤防上から飯綱山を望む

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となりは上信越自動車道

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小布施橋

 右に見えているフェンスの向こう側は上信越自動車道。この辺りは、千曲川右岸堤防に沿って上信越自動車道が走っています。[上]

 900m超ある小布施橋を渡ります。長さ的には、ここから遙か下流にある、お馴染み新潟県長岡市の長生橋と同じくらいかな?[左]


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白い河原が眩しい

 小布施橋から千曲川下流方向。左の方に北陸新幹線の高架が見えていますね。


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扇状地に広がる飯山

 正面に広がる扇状地がさっき通ってきた信州飯山の街々。赤い屋根が目立っていますが、川東善光寺でしょうか?


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豊野駅へ向かう

 小布施橋を渡り千曲川左岸へ。ひとまず豊野駅へ寄ってみることにします。


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豊野駅東口

 豊野駅東口。2007年から2008年にかけて改築されて橋上駅となったそうです。それ以前は木造駅舎だったそうで。木造駅舎の頃のも見てみたかったな。


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猫に睨まれる

 豊野駅から飯山線沿いに出発地点の道の駅「ふるさと豊田」に戻ることにします。細道を辿りながら隣りの信濃浅野駅方向へ。不審者に目をやる猫発見。


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こっちからも

 もう一匹にもマークされる私。なかなか立派な尻尾をお持ちの白猫。


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信越線の電車が行く

 信越線の普通電車を右手に見ながら進みます。信越線と飯山線の分岐点はもう少し先。


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信越線

 飯山線の信濃浅野駅手前で、信越線と飯山線が分かれます。登り勾配で直江津方向へ向かう信越線。一度も乗ったこと無いんだよなぁ。子供の頃、金沢辺りから東京に連れて行かれた時に乗ったのは「急行能登」だったのかな?[左]

 信越線の踏切を渡って、すぐに飯山線の踏切。それを渡ったところで写真を撮っておこうと、停車したところ、警報機が鳴り出しました。力強いディーゼルエンジン音を響かせながらキハ110が走ってきました。[下]


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飯山線

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古そうな道筋に出た

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千曲川を渡る北陸新幹線

 旧旧国道(大正国道)と思われる道筋に合流しました。お、こりゃまた歴史を感じる良い道ですね。[上]

 国道18号を横断し、国道117号の旧道へ。工事の進む北陸新幹線。[左]


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飯山線沿いの旧国道

 右側は千曲川、左側は飯山線に挟まれた道を進みます。この旧道沿いには全く民家がない為か、車が全く通りません。この道筋は大正時代の国道10号と同じなんでしょうか? 飯山線の少し上に見えているのは、現国道117号。


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飯山街道に合流したらしい

 いつの間にか飯山街道に合流。「現在地」のマークがある「二つ石」の石仏群近くです。これを見ると、飯山街道-旧国道-飯山街道と辿ってきたらしい。


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石仏群

 見上げると、確かに石仏群が。街道時代はもっと高い位置を通っていたのでしょうか。


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上今井駅方向へ向かう

 そのまま道なりに上今井駅方向へ。商店や民家がぽつぽつと立ち並んでいて、寂しくはないものの閑かな通りです。


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小さな橋の親柱に目が停まった

 上今井駅手前で、小さな沢を渡ります。最初何事もなく通り過ぎようとしたのですが、ふと橋の親柱に掘られた文字に目が停まりました。「國道拾号線」と旧字体で書かれています。


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なんと大正時代の橋だった

 向こう側の親柱の道路側には「大正拾四年八月竣工」の文言が。大正・昭和・平成となっても、尚現役。[左]

 そう、ここ大正時代の国道10号なんですね。大正9年に制定された旧道路法によると「東京市ヨリ秋田県庁所在地ニ達スル路線」だそうです。昭和(現道路法は昭和27年〜)に入ってから竣工した旧国道10号の橋は、いくつか残っているようですが、竣工当時のまま残っているのは結構珍しいのかも。[下]


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「いまゐばし」だった

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再び千曲川沿いを進む

 上今井駅から替佐駅の間。再び千曲川沿いを進みます。


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替佐駅

 木造の替佐駅。駅の開業は大正10年、駅舎はそれよりも先の大正9年竣工らしい。ということは前述の「いまゐばし」よりさらに古いんですねぇ。


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果樹園の中を登る

 替佐駅から道の駅「ふるさと豊田」へ向かって果樹園の中をえっちらおっちら登ります。登りながら振り返るとこんな景色。結構きつい。


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もうすぐ道の駅

 上信越自動車道・豊田飯山IC裏を通って道の駅「ふるさと豊田」へ戻り、今回のポタリングは終了。国道117号から豊田飯山ICのルートは幾度となく行き来している道ですが、自転車で走ったのは初めて。やっぱり自転車のスピードだと色んな発見が有るなぁ。


 走行経路3、信州中野駅界隈を廻って小布施町方向に進んだところまでの経路です。


 走行経路4、釜上地蔵から小布施町、小布施橋、豊野駅から旧国道117号までの経路です。


 走行経路5、旧国道117号から「いまゐばし」、替佐駅を通って、道の駅「ふるさと豊田」までの経路です。


 ルートプロファイルです。走行距離は60km弱、累積標高は900mちょっとでした。

 GPSログはこちら「log20100926_0.gpx」です。カシミール3DGoogleEarthでご覧下さい。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)



All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.11.20]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp