風まかせ旅紀行
長野県 飯山・中野・小布施ポタ Vol.1
2010年9月26日
前日25日の土曜日、同じ長野県内の小諸市に公用があって、いつも通り国道117号を使って新潟県長岡市の前線基地から小諸市へ。用事も済んで、いつもなら埼玉県内の本拠地へ戻り、翌日曜日に長岡市の前線基地へ再度移動するのが恒例なのですが、今回は長野県内に留まって飯山周辺をポタリングしてみる事に。いつも通過するだけで、国道117号以外はロクに見て回った事がなかったし、秋晴れが見込めそうな天気予報だし、こりゃポタリングしない訳にはいくまい!
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
小諸市での公用が終わったのは午後4時近く。一旦佐久平の「おぎのや」へ出て釜飯を買い込んで、そのまま佐久ICから上信越自動車道で移動。豊田飯山ICで降りて、直ぐ近くの道の駅「ふるさと豊田」に到着。この日はここで車中泊。
翌日、目が覚めると青空が広がり絶好のポタリング日和。しかし朝の気温は低く、寒さで震えるくらいでした。やっぱり標高が高い内陸は冷えるなぁ。パタパタと3号車を展開して出発準備完了。
道の駅から、国道117号を飯山市街方向へ向かって降りていきます。車では幾度となく通っている道ですが、自転車で走るのは初めて。[上]
途中から国道117号の隣を走る細道に入ります。以前から車で通りがかる度に「自転車で走ると楽しそうな道があるなぁ」と思っていたのですが、ようやく現実に。向こうに見えるのは高社山(1351.5m)。別名「高井冨士」。[左]
国道から少し離れて、静かな路地(県道96号線)を進みます。土蔵が有ったり火の見櫓が建っていたりと、良い雰囲気の道です。[上]
ちょっと先に見えるのが国道117号、その向こうにうっすらと見えているのは、千曲川対岸の柳沢辺りの民家でしょうか。あとであの辺りを通る事になります。[左]
道の駅から標高差で100m位降りてきました。細道は広い2車線道路に合流します。が、程なく向かって右側に分かれていく細道の続きを見付けて辿ってみます。帰ってきて地図を見たら、走った道筋そのままが県道96号線として指定されていました。[左]
細道を進むと、大久保の集落の中に小さなお堂が見えてきました。この感じ・・・古い道に違いない!と好き勝手に考えつつ進むと?[下]
果たして、旧国道117号(飯山街道)との合流点に道標が建っていました。右は飯山市街の中心地を、左は豊井を示しています。地図を見ると、飯山線替佐駅近くの飯山街道沿いに豊井郵便局・豊井小学校という名前があるので、その辺りの事を示すんじゃないかと思います。地名が変わったのかな?
道標の場所から、豊井方向を見たところ。この道は旧国道117号であると同時に、大正国道10号(東京市より秋田県庁所在地に達する路線)じゃないかと思います。
道標が指し示す飯山方向へ進みます。左側に分岐してい細道がなーんか気になりますねぇ〜。街道の名残かな?
飯山線を渡ります。ご覧の通りのローカル線。この路線も確か民間の会社が敷設を始めたんじゃなかったかな?
北畑の交差点を渡り少し行くと、左側にお地蔵様が立っています。いや、座っています。九兵衛地蔵と呼ばれるこのお地蔵様、飯山騒動に関わったとされ(実際には首謀者に仕立て上げれたらしい)獄門に処された、この土地の豪農・6代目九兵衛を偲んで建てられたものだそうです。
国立情報学研究所に資料(論文)があります。
そのまま道なりに進んでいくと、こんな広い通りが。千曲川堤防上のR117号は幾度と無く通っているのですが、その直ぐ隣にこんな広い道があるとは知らなかった。
さらに進むと商店街になります。こんな所にアーケードがあったとは、これまた予想外。しかし人が居ません。[左]
そのまま進むと、丁字路に突き当たります。左に折れて旧R117号方面へ。交差点に建つ旅館「御宿飯山館」。
旧国道117号のアーケード。車も少なく静かです。バイパス開通以前に車で通った事があるような・・・。
国道403号の中央橋で千曲川を渡り、右岸の木島平へ向かいます。1956年竣工の中央橋、歩行者用スペースが狭くて、人同士でもすれ違うときは止まって避けないとダメそう。
千曲川右岸から飯山駅方向。右のほうの一つ抜け出たピークは斑尾山(1381.8m)。
特に目標を定めず野坂田辺りを進みます。道沿いにあった石碑群。どれも大きいですね。庚申塔と二十三夜塔は分かるけど、一際大きい正面のは何だろう?[左]
さらに進んで下木島。正面は毛無山辺り? とすれば、あの左側が野沢温泉方面でしょうか。[下]
さて適当な所で進路変更、2002年に廃止された長野電鉄河東線の木島駅跡を見に行く事に。下木島からクルッと向きを変えて南西方向へ。R403号の三叉路を左に進みます。駅(跡)という案内板が有る訳もなく、通り過ぎそうになります。バスが数台止まっている向こうに見えるのは、もしかして駅跡?
正しく長野電鉄河東線の終点・木島駅跡でした。河東線廃止後、建物はバスターミナルの待合室として現役。
駅前に残る売店の建物。上の看板は色褪せてしまってハッキリとは読めませんが、「森永チョコレート」って書いてある? 売店の左側は野沢行きのバス乗り場。
駅跡の建物に入ってみます。向かって左側にも窓口があるのですが、こちらはバスの営業窓口として健在。正面には時刻表が残っています。
二度と使われる事の無いであろう切符売り場。廃止前に無人駅となったそうなので、廃止前から使われていなかったんでしょうね。
引き戸の窓からプラットフォームを覗いてみます。2009年辺りまでは構内に架線柱も残っていたようですが、それは綺麗サッパリ取り払われたようです。
木島駅跡から500mほど離れた踏切跡。踏切部分にだけはレールが残っていました。[左]
踏切跡から見た周囲の田圃。こんな風景の中を走る路線だったんですねぇ。
同じ踏切跡から次の信州安田駅跡方向。線路跡は特に転用される事もなく残っています。
千曲川右岸堤防の直ぐ下を信州安田駅跡に向かう線路跡。ここは架線柱やバラストがしっかり残っています。
草に埋もれた信州安田駅跡。右側が少し高くなっていますが、ここがプラットフォーム跡ですかね? 実は現地ではこれが駅跡だという事を知らなかったのですが、何か埋もれている気がして写真だけ撮っていたのです。
河東線唯一のトンネル、飯綱山隧道。信州中野-木島の間が開業したのは大正14年だそうですから、大正生まれの隧道という事になります。
隣り合う県道を走って飯綱山隧道の反対側へ。かつての線路跡は道路に転用されていますが、鉄道時代に作られた(であろう)擁壁が残されていました。線路跡が道路になる以前は線路下に平行していたようです。
少し行くと、道路から離れて再び現れる線路跡。この先は工事のため立ち入り禁止となっていました。右にチラッと見えている高架は北陸新幹線のもの。河東線廃止で電車の音が途絶えたこの辺りに、今度は新幹線が走る事に。[左]
中野市に入って岩井の集落中心を通る道を辿ります。[下]
岩井の集落から少し外れたところに残る踏切跡。架線柱などは撤去されているのですが、なぜか取り残された「でんしゃにちゅうい」の木製の柱。元々は枕木でしょうか?
踏切跡から再び岩井の集落に戻って信州中野を目指します。
田上の集落に残る踏切跡。何処の廃線跡もそうですが、踏切跡は撤去しにくいのか、長く残っている事が多いですね。越後交通長岡線なんて廃止後30年経っても踏切部分のレールだけは残っていたりしますから。
田上から柳沢、赤岩、越と細道を辿ります。古い道筋なんでしょうね。数人のサイクリストとすれ違ったのもこの道でした。[上]
柳沢の集落を通過中、なにか説明板が立っているのを見掛けて停車。マユミの大きな木でした。中野市の天然記念物に指定されています。[左]
道沿いの果樹園ではリンゴが少し赤くなっていました。そうか、リンゴの季節はこれからなんだよな。
信州中野方向へ進みます。狭い道ですが辺りのメインルートなのか、結構車が通ります。
柳沢の先で立派な2車線になりました。緩い上り坂から後ろを振り返ってみた所。斜面に広がる屋根屋根が柳沢の集落。道路は広がったのに、今度は車が来なくなりました。ハテ、何処行ったかな?
車が来ない理由はこれでした。北陸新幹線の線路敷きに突き当たって行き止まりなのでした。
結局、河東線跡を転用した道路まで降りて来ました。線路跡はこの手前で右にカーブして夜間瀬川を渡っていたようなので、ここは廃線跡では無い様ですが。[左]
件の道路を少し登りつつ、ふと夜間瀬川方向を見ると、河東線が夜間瀬川を渡っていた鉄橋が、そのまま残っていました。[下]
レポートはVol.2に続きます。
走行経路1、道の駅「ふるさと豊田」から飯山駅前、木島駅跡を通って千曲川右岸の赤岩までの経路です。
走行経路2、赤岩から夜間瀬川を渡り信州中野駅周辺までの経路です。
レポートはVol.2に続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.20]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp