風まかせ旅紀行
埼玉県・群馬県 土坂隧道・志賀坂隧道 Vol.2
旧国道というより街道の面影が濃い平原の旧道。当然、通る車も少なく静かな道を進みます。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
一旦国道299号に合流し、その先の向屋という集落近く、神流川を渡る手前で右岸にある旧道らしき道へ。道端に道標を見付けました。
正面は文面が3列で彫られていて、読み取るのが難しいのですが、地名らしきものがチラホラ。
向かって右側には「右野栗澤?山?玉県秩父町小鹿野町至」と有ります。野栗沢はここから野栗沢川を埼玉県側に遡ったところに地名が現存しています。赤岩峠を越えて秩父に向かう道でしょうか。小鹿野に出ようとすると八丁峠も越えることになるな。
向かって左側は「磐戸?里」「秩父?里」が読み取れます。磐戸村は1955年まで北甘楽郡内にあった村で、今の南牧村の一部だそうです。道標一つからも、色々疑問が湧いてきて面白い。
新羽集落の旧道。ここも築はそれほど古くはないのでしょうが、立派な民家が残っています。
新羽集落の先で国道299号に合流し、ちょっと行くと道の駅「上野」に到着です。想像以上の混みようで、プラムソフトクリームを補給して直ぐ志賀坂峠に向かって出発。
帰り道は旧道に立ち寄ることもなく国道299号を走り、国道462号との交差点を右折して志賀坂峠方面へ。つまりずっと国道299号を走ります。ツーリングマップルにも載っている「木古里」。そのツーリングマップルに依ると「煮込みうどん定食」がお勧めらしい。
「木古里」の直ぐ先から細くなる国道299号。行く先のカーブの向こう側からは広くなるのですが、車で来るとあまりの狭さにギョッとするかも。
しばらくは10%前後の勾配が続く坂道(途中10%勾配の標識があります)に悪戦苦闘し、当然写真を撮る余裕などあるはずもなく。何とか停まらずに「さざ波岩」に辿り着いて小休止。正式には「瀬林の漣痕」なんですね。
道脇の聳え立つ岩に残る恐竜の足跡。直ぐ近くに駐車場があるので、車でも立ち寄ることが出来ます。
恐竜の足跡そのものよりも、ここが波打ち際だった、という事の方が想像し難いのですが、個人的には。足跡を残した当の恐竜はこの近くでやっぱり化石になっているのだろうか?
「さざ波岩」を過ぎると勾配も幾分緩くなり、写真を撮る余裕も出てきます。でもこれは自販機で水分補給中に撮ったのですが。
間物の集落が見えてきました。志賀坂隧道までの8合目といった所でしょうか。
間物集落のほぼ全景。狭い道の向こうから大型トラックが登場してビックリしたのもこの辺り。ちょうど正面にそのトラックが写っています。
時代の付いた石垣が続く国道299号。県境まであと少し!と言い聞かせながら登ります。
そうこうしているうちに勾配がほとんど無くなりました。ん?あの先はもしかして?
志賀坂隧道に到着です。ライトを点灯して中へ。そう広くはないトンネルですが交通量が少ないので、さして危険を感じることもなく通過。
ここもトンネルが群馬県・埼玉県の県境。トンネル出口の埼玉県側で道は左へ急カーブ。トンネル正面はこんな景色になります。
蛇行して下っていく国道299号が見えています。この距離であの位置まで降りるのか。中央に見えるのは坂本の集落でしょう。
少し下り始めた所からの眺め。一際トンガッた山容を見せるのは天理岳(1153m)。
河原沢まで降りてきて八日見山竜頭神社で一休み。右に見える建物は小鹿野公民館河原沢支館。
その神社前を流れる尾ノ内沢。ああ、水が冷たそう。あの中に足を突っ込んでジャブジャブしたら気持ちよさそう。
峠の急坂程ではないものの、小鹿野町へと下っていく国道299号。この先、小鹿野町までこんな2車線道路が続くのだったっけ?
などと思っていたら、狭い一車線が復活。向こうから大型トラック同士が鉢合わせしたらどうするのだろうか?
上の写真のカーブの先はこの状況。見通し悪いので手前で待つ事も出来なさそうです。でも大型車通行止めになっている訳でもない。
行く手の右側に見えてくる新秩父開閉所。文字通り送電路のスイッチです、巨大だけど。最近の国土地理院の地図からは表記が消えてますけどね。
その新秩父開閉所の先、久月集落の中を通る旧道に入ります。いや、旧道かと思いきや国道299号を示すオニギリ発見。ゼンリンの地図では現道を示す黄色で示されていますがハテ?
赤平川を跨ぐバイパスの橋梁の下を潜ります。右の石積みが、国道というより街道という雰囲気にしてくれます。
旧道沿いには道路原標が残っていました。三田川村は明治22年に、周囲の三山村、飯田村、河原沢村が合併して出来た村で、昭和31年に小鹿野町の一部に成りました。ああ、それで三田川という名前を持つ集落が無いのか。三田川村役場も、この道路現標の直ぐ裏に現存しています。
小鹿野の中心市街が近くなってきました。左手に大きな石碑が建っているを見かけて停車。寛政12年(1800年)に建てられた千部供養塔。札所巡礼の道標にもなっていて、古くからの巡礼街道のようです。
後もうちょっとで小鹿野の中心部着く、はず。
三田川郵便局の先に少しだけ残っている旧道に入ってみました。岩殿沢を越える、昭和初期に作られたコンクリート製のアーチ橋が残っていると、何処かのwebで読んだのが頭に残っていたのです。それがこの柏木橋。建設されたのは昭和2年(1927年)の事。立派な親柱が、ここが重要な街道である事を主張しているようです。建設した会社(島田建設工業)が現存しているのも凄い。
気まぐれ旅写真館=>橋のメニュー=>古い橋の一覧=>柏木橋
島田建設工業株式会社=>実績紹介1926〜1964年=>柏木橋
小鹿野の市街に入りました。この辺りの旧道は以前にも走ったことのある、お馴染のルート。
市街の旧国道。上州街道の宿場町の名残が感じられて、個人的にお気に入りの道。
「醤油店」の看板が掲げられた大きな建物は、現役の村上酒店。その隣(奥)は小鹿野町観光交流館。
枡形の跡であろうクランク状に曲がった先に小鹿野町役場があるのですが、その片隅にちょっとした休憩スペースが有ります。自販機で買った缶コーヒーで水分補給しながら壁面に掲げられた案内を見ていると、秩父札所サイクル巡礼というのを見つけました。へぇ、こんなのやっていたのか。
小鹿野の街中を抜けて、地方道283号線に入って、後は道なりに進めば吉田の町へ戻ります。と、「おがの化石館」の案内版を見かけて立ち寄ることに。時間が遅かったので館内を観ることはしませんでしたが、見事な地層路頭を観ることが出来ました。
「ようばけ」と呼ばれる第三期層からは化石が多く見つかるそうですよ。「ようばけ」とは陽の当る崖という意味らしい。眺めているとミルクレープが食べたくなってくる?
「ようばけ」から赤平川に掛かる奈倉橋を渡り、吉田町方向へ進みます。
ただの農道と思っていたら、結構古い道のようです。33番札所の有る道だからそりゃそうか。そういえばさっき渡った奈倉橋の西側に旧道のような道があったかな? 1974-1978年の航空写真を見ると、やはり今の奈倉橋の東側、川面近くに細い橋が掛かっているのが写っていますね。
最後に、吉田町の中にある大正7年(8年とする文献も)建築の旧武毛銀行本店を見物。名前からも分かるように、武蔵から上毛にかけてを営業域として設立された銀行。前身は明治32年(1899年)に設立された国神銀行で、今の埼玉りそな銀行に繋がっています。
グラファイトデザイン社脇の坂をエッチラオッチラと登って道の駅「龍勢会館」へ帰着。久しぶりに峠らしい道を走ることが出来て満足な一日でした。群馬県内を走ったのも久しぶり。神流町から上野村にかけては、少し通ってみようかな。自走して行って一泊、なんていうのも面白いかも。
走行経路4、志賀坂隧道から赤平川沿いに坂本、尾ノ内沢。
走行経路5、新秩父開閉所から旧三田川村役場、千部供養塔から旧道に入り柏木橋。
走行経路6、小鹿野市街、「ようばけ」、奈倉橋を渡り菊水寺、吉田町に入り旧武毛銀行を見てから道の駅「龍勢会館」へ帰着。
GPSログはこちら「log20120520_0.gpx」。カシミール3DやGoogleEarthでご覧下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
ルートプロファイルです。走行距離は約87km、累積標高は約1900mでした。
All Photographs by Ryo Masuda 2012.
Took a photograph with FINEPIX F300EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.11]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp