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風まかせ旅紀行
九州4県+広島県放浪 2日目 佐賀県唐津市〜長崎県諫早市 Vol.1
2014年4月26日(土)
九州2日目、昨晩は早くに寝たお陰かスパッと目が覚め、朝食をしっかり摂って(私的には珍しいのです)、午前8時半に出発。今日は佐賀県内を南下し長崎県諫早市を目指します。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
ちなみに宿泊したのは松浦橋のすぐ傍にある唐津第一ホテルリベール。その目の前の国道204号を南下します。ちなみにグーグルマップでは国道202号になってますが、重複区間かな?
道なりにまっすぐ行くと国道では無くなるのですが、そのまま直進。松浦大橋で松浦川の右岸へ。
松浦川、暫くはこの川を上流方面へ進みます。
右岸堤防上に舗装路発見! 何処まで行けるか分かりませんが、進んでみることにします。行き止まりなら戻れば良いし。
暫く土手を進んだ後、久里小学校近くで県道40号線に合流します。県道40号線は、丁度その辺りまでが廃線跡だと知ったのは、やっぱり帰宅した後。
道なりに久里、双水、相知町黒岩、幸の元と走り抜けて、山崎橋を渡って国道203号に合流。厳木川左岸の堤防上を進む現国道203号を避け、街並みを目当てに旧道へ。福岡のビル街を走るより落ち着くよなぁ。
唐津線・相知駅を過ぎて直ぐの浜白橋を渡って、厳木川の右岸へ。県道341号線を厳木川沿いを遡ります。
再び国道203号に合流して進みます。車は併走する厳木多久道路を使うのか、国道203号が少し静かになります。左手に厳木駅に残る煉瓦造りの給水塔が見えてきました。明治32年に作られたものだそうで。
煉瓦造りの給水塔に負けない存在感の木造駅舎。昭和5年(1930年)建築だそうで。
厳木駅を出て、ググッと右カーブの先が上厳木。国道沿いに面入りの建物が連なっていました。
上厳木、厳木町牧瀬を通り笹原峠に差し掛かります。今日一つ目の峠越えです。峠といっても100mも無いのですが。
峠を越えると長〜い直線の下り坂。重力に身を任せて駆け下ると多久駅。駅前を通り過ぎて線路沿いに少し進んだ所に、かつての石炭産業の名残でしょうか、緑に覆われたホッパーが有りました。
中多久駅から唐津線を離れて南へ向かいます。長崎自動車道の高架下を通り、牛津川を渡って県道25号線に合流。長尾、縄手と通り、県道を外れて田圃の中の農道へ。この先、向かって右手方向にある鈴山峠へ向かいます。
農道から石原川沿いの県道35号線に合流して鈴山峠を目指します。向かう先、右カーブしながら登り始める県道35号線。結構厳しそう・・・。
峠を下って、筑紫平野に降りてきました。筑紫川まで遠いから佐賀平野って呼んだ方が想像し易いかも。いやぁ、本当に真っ平らだ。
平野と丘陵の境界に延びる道を辿ります。ん?なにやら古そうな道筋に入りました。
知らぬ間に長崎街道・小田宿に入りました。下調べを全くせずに偶然通り掛かったのですが、これはラッキー。
馬頭観音の大きな楠木。手前の枯れた株はシーボルトの記録にも出てくるんだそうですよ。その楠木の根元に煉瓦造りのお堂が見えますが、中に御座らっしゃるのはお地蔵様。煉瓦造りの鞘堂はこの後、あちこちで見掛けました。
折角なので、そのまま佐世保線沿いの長崎街道を大町駅まで進んでみることにします。
見えていた大きな木の下に、何かの案内板が立っている事に気が付いて停車。横辺田代官所跡でした。
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街道沿いで見掛けた煉瓦造りの倉庫。先ほどのお地蔵様の鞘堂も煉瓦造りだったし、これ以外にも民家の一部に煉瓦が使われていたり、とにかく煉瓦をよく見掛けました。炭鉱の町だったのが関係するのだろうか。それとも煉瓦の元となる粘土が近くで採れたためか。煉瓦の焼成には石炭が必要だから、両方の結果なのかも知れません。
こっち茅葺きをトタン板で覆った、のであろう、古そうな民家。古い日本家屋と煉瓦が交互に、一部は合体して点在する街道。
キョロキョロしながら進むと、左手に古そうではあるが小綺麗な建物が見えてきました。国の重要文化財に指定されている土井家住宅です。
軒下の桁持ち送りは装飾が施されています。寺社仏閣みたいに豪奢じゃないけどさり気なくお洒落ですね。波の模様なのだろうか。
長崎街道を辿って佐世保線・大町駅近くまで来ました。ここから先も気になる所ですが、今回はこの辺で南へ向かうことにします。長崎から五島列島へ行くってのも良いなぁ。ああ火野正平になりたい(笑
佐世保線・大町駅でちょっと休憩した後、その佐世保線を潜って田圃の中へ。
グネグネと曲がった六角川を渡り、白石町に入ります。道の両脇は青くぴんぴん尖ったネギ畑。ああ、深谷と同じだ〜と思ったら、これタマネギなのでした。そういえば佐賀はタマネギの産地でしたね。
県道214号線を南下し、古い道筋であろう、白石町立有明南小学校の下を通る小さな峠を越えて、百貫橋までやってきて国道204号に合流。橋の下を流れるのは塩田川。
百貫橋の上から、その南側に旧道らしき路面を見掛けたので、そこへ入ってみました。広い道幅に対して、小さな水路を越えるやたら短い橋。亀清水橋。
その反対側には二級国道の字。昭和27年から40年の間に出来た橋という事ですね。国土地理院の1979−83年の空中写真を見ると、現国道の橋と共に、まだ古い橋が掛かっている様子が写っていました。
長崎本線・肥前鹿島駅の近く。車を避けて旧道へ。この先はGPSを頼りに鹿島城跡(寄ってくれば良かった・・)を掠めて路地を右左。国道207号に合流して直ぐに石木津川を渡り、また直ぐに国道を右に外れます。
ちょっと行くと、古い茅葺きの建て屋がポツポツと表れます。道の曲がり具合も素敵。先を見通せないので、カーブの度にその先の風景が新鮮なのです。
カーブの先にはこんな風景が待ってました。肥前浜宿です。長崎街道の脇街道である多良往還の宿場。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている街並み。ちなみに、この重要伝統的建造物群保存地区というのは2014年12月10日現在、全国109カ所が指定されています。最近では佐渡の宿根木に行ったなぁ。
肥前浜宿/佐賀県鹿島市公式観光サイト かしまいろ
重要伝統的建造物群保存地区一覧
左側は継場。跡では無く江戸時代からの建物だそうで、建物単体で有形文化財に指定されているとの事。今は観光案内所になっています。
酒造が多く建ち並んでいて、別名「酒蔵通り」だとか。3月には「花と酒まつり」が開かれるそうです。
道の左側、水路になっているのですが、その中には鯉が泳いでいました。
もう少しで国道207号に出るかなーという辺りに設置してあった案内図。伝統的建物群保存地区は、国道を挟んで東西に別れているですね。
浜川を渡ります。下流に見えるのは長崎本線の鉄橋。その向こうの斜張橋は新浜大橋。右側に萱葺屋根の建物群が見えます。南船津と言って名前の通り港の在郷町として栄えた地帯だそうです。
白壁が目立った酒蔵通りとは違って、萱葺の建物が多い庄金集落。
美容室の看板が掛かる、トタン板に覆われた藁葺屋根の建物。こういう風景を見ると、どうも二階堂酒造のCMを思い出してしまう。あのCMとBGM集、発売されないかなぁ〜と心待ちにしているのですが。
レポートはVol.2へ続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2014.
Took a photograph with FINEPIX F800EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.29]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp