TOP MENU>旅紀行>魚津-能登 富山湾沿いポタ>魚津-能登 富山湾沿いポタ Vol.3
風まかせ旅紀行
富山県・石川県 魚津-能登 富山湾沿いポタ Vol.3
2014年08月13日(水)
七尾駅近くのルートイン七尾駅東で一泊した翌日13日、今日は能登島を経由し、さらに能登半島の先を目指します。今回の終着点は決めていないけど、埼玉県までの帰路と疲労を考えると、今日中に新潟県上越市あたりまでは戻っておきたい所。すると、午後3時辺りがタイムリミットでしょうか。穴水町辺りまでは行けるかな? という事で、午前9時にスタートです。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
旧街道と思しき道筋を進みます。昨日走ったルートは予め検討してたのですが、今日は全くのノープラン。[左]
GARMIN eTrexの地図を頼りに、それらしい道筋を進みます。左は呉服屋さん。流石は加賀の国、いや、ここは能登国か?[下]
能登島大橋に来ました。車道の白線より外側には余地が無く、歩道が東側にしか無い・・・。そんな訳で車線に従って走って来ると、橋の手前で急に行き場を失う事になります。少し手前から歩道を行くのが良いでしょう。
能登島大橋の上から、出発した七尾駅前方向を振り返ります。ぴょこっと出ているのが屏風岬かな。波が穏やかな七尾南湾、これでもっと青空ならなぁ・・・。でも、日差しが強いと消耗も激しいから、自転車乗るには程良い晴れかな?
能登島に入って最初の集落、能登島須曽町。[左]
県道47号線を進みます。大きな島だからか島っぽさは無く、昨日まで走ってきた能登半島の海沿いと変わらない印象。島っぽさとは何か、と問われると返答出来ませんが。あ、海をずっと同じ側に見て、同じ所に戻ってくると島だな、って思うかも![下]
ちょっとしたアップダウンをクリアして能登島佐波町、能登島マリンパーク海族公園へ向かう車を見送って、島のくびれ部分を北上し能登島向田町へ。途中、思いがけずコンビニが有ったので補給。[左]
防波堤上から七尾北湾を眺めながら小休止。もう二度と来れないだろう、と思うと去るのが惜しいのです。[下]
のとじま臨海公園水族館の手前に位置する、能登島曲町の黒い瓦の街並み。
想像していたより、ずっと厳しいアップダウンを何とかやり過ごして、中能登農道橋に向かいます。向こうに主塔の頭が見えてきました。そう、大きな斜張橋なのです。
路肩が狭い・・・仕方無いから歩道を進むか、と少し進んだ所で、ほとんど車が来ないことに気が付きます。能登島大橋はひっきりなしに車が通っていた事とは、随分対照的です。
こんなに立派な橋なのに農道とは。当時の建設省辺りに橋建設を陳情しても埒が明かないので、なら農道という事で農林水産省の補助で作ろう!という事かな?
右が能登島、左が能登半島。この辺りを三ヶ口瀬戸と呼ぶらしい。
中島町小牧辺り。右にちょっとだけ海が見えています。
v ちょっと休憩していこうと、全く偶然に近くののと鉄道の駅に立ち寄ってみたのです。そこは西岸駅でした。あれっ?何処かで聞いたことがあるな。
無人の改札を抜けてプラットホームに出てみると、そこにあった駅名板には「ゆのさぎ」の時。そうです、「花咲くいろは」のOPに出てくる駅のモデルなのですね。
無人駅の佇まいからは想像もしなかった長いプラットホーム。かつては海水浴客を満載した長大編成の特別列車が行き交ったのでしょうか?
待合室に掲示されていた「花咲くいろは」のポスター。いや、石川県のポスターか。そう言えば昨日通ってきた富山県氷見市や高岡市は「true tears」のロケ地でしたね。実は城端にも行った事があるのですが。[左]
穴水町まで、暫く海沿いを走ります。しかし海が近い。波が穏やかで、そして海面との高低差が小さい事もあって、なんだか湖畔を走っているようです。[下]
国道249号をひたすら北上し、七尾市から穴水町に入りました。町の中心部はまだまだ先です。
本当に波が無いので海では無く湖岸を進んでいるような錯覚に陥りますが。湾の中ではこの状態が普段の姿なのだろうか?
根木集落に有った旧道敷に入り、農産物の直売所を見つけてちょっと休憩。道も悪くないし、車の通りも少ないので、ついつい走りっぱなしになりがち。
穴水町の中心街まであと少しという所で歩行者専用のトンネルを通過します。かつては車が通ったのだろうか? 今になって地図を見ると海側に在る旧道を通れば良かったなぁ。
のと鉄道七尾線の現在の終着駅、穴水駅に来ました。かつてはこの駅を分岐点に輪島駅と、そしてこれから向かう能登町の先の蛸島駅まで延びていました。穴水-輪島間は2001年に廃止、穴水-蛸島間は2005年に廃止。
ただっ広い穴水駅構内。かつての賑わいの記憶を失わんとするように広いのだろうか?と思うくらいに広い。さて、まだ少し時間があるので、先に進んで見ることにします。
国道249号を進むのですが、度々国道沿いに現れる、のと鉄道能登線の跡を見ながら進むことになります。田圃の向こうの盛土が線路跡。
ここは国道の直ぐ隣が廃線跡。イカン、だんだん廃線跡レポートに成ってきたぞ。
穴水駅を出て一つ目の駅跡、中居駅。国道249号の直ぐ隣に有ったので、それと気が付きました。
丘の上にある穴水町立向洋中学校へ登る道、それは廃線跡を越える陸橋になっていますが、そこへ登ってみました。湾の中に直線上に何列も並んだブイが見えます。何かの養殖だろうか?
比良、川尻を通り、その先も海沿いを進む廃線跡をアンダーパス跡で横斬ります。国道249号は海を離れて祖山峠へ向かいます。
祖山峠の国道249号。道幅は広く車は少ない、勾配もさほどではないのですが、風も無くおまけに上りで車速が落ちるので暑い暑い。
祖山峠を越えた先、山田川に沿った形で海へ向かいます。向かって右側に廃線跡の鉄橋が見えてきました。
再び廃線跡をアンダーパスする国道249号。頑丈そうなコンクリート作りの橋台、あまり古さを感じさせないのですが、そもそもこの路線の開通がそれほど古くないからでしょうか。
再び国道と並行して進む廃線跡をチラ見しながら北上します。七海集落でバスの待合室に転用されている駅待合室。古さを感じさせないのは、駅自体が1995年設置と廃止路線の中では一番新しい駅だったためらしい。
廃線跡の穴水駅方面。右は国道249号。足元はバラストが残っていました。まぁバラストだけ回収して周る事も出来ないだろうしなぁ。
本当に海に飛び込めそうな道です、運転を誤ったら、の話ですが。路肩にガードレールが無いのが逆に新鮮だな。ガードレールだと高波で持って行かれるからだろうか?
国道から見えた波並駅跡のプラットホームに登ってみました。待合室も残っていました。しかし、長いプラットホームです。最盛期には何両編成で走っていたのだろう?
現役のバス停に残された波並駅の名前。そういえば、廃止された弥彦線東側の長沢駅跡もバス停として残っているし、こういった例は多いんだろうな。
前に見える半島状の丘を越えれば宇出津の町。時間的に今回は宇出津で撤収だな。[左]
丘を登りトンネルを潜って宇出津の町に入りました。後で地図を確認すると海沿いを廻ってくる旧道が有ったんだな。そっちのほうが古い町並みが残っていそう。[下]
宇出津駅跡のコミュニティーセンター「コンセールのと」に到着。今回はここで終了ということで、サポートカー(自分の車だけど)に連絡して合流を待つことにします。
コミュニティーセンターの脇にある駐車場の先、国道249号の下を潜ってくる廃線跡。あの先は左カーブしてトンネルになっているはず。
最近整備されたと思しき廃線跡の駐車場。1974−1978年の航空写真を確認すると、結構な広さの駅だったようですね。駅前にバスが何台も停まっているのが見えるし。向こうの左側に在る四角い白い建物に並んでプラットホームが有ったようです。
駅前の字が残る商店。鉄路は無くなってしまいましたが、そこそこ活気が感じられる町ですね。
「コンセールのと」の裏手に新しく設けられた駅表示。しかし、赤字でやむを得ず廃線とはいえ、何は無くとも駅に辿り着けば、何処へでも行けるという安心感を失った町というのは、何か世間から切り離された感じがして寂しいですね。一度は開通しているからこそ、そう感じるんだろうな。
蛸島方面に口を開けるトンネル。さて、この先の蛸島・輪島方面へ走るのは何時になるか? 北陸新幹線で輪行して、富山県の新高岡から再スタートするか、それとも金沢駅から逆周りするか? いずれにせよ今回より長い日程を確保せねば。
All Photographs by Ryo Masuda 2014.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.29]に加筆修正しました。
この記事のURLをQRコードで表示
Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp