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風まかせ旅紀行

宮城県・岩手県 奥州街道 仙台-一ノ関 Vol.2



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草に覆われた旧国道

馬篭から先、少しの間だけ国道4号を移動します。立街道の手前で左にカーブしていく国道4号を離れて、直進する旧道へ。現国道脇に、何故か撤去されずに残された旧道敷。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


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県道1号線

国道4号から県道1号線に入って北上します。


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高清水宿下町

透川を渡ってクネクネと台地に登っていく街道。この辺りから奥州街道75番目の宿、高清水宿の下町らしい。


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中町辺りの旧家

中町で見掛けた旧家。少し前まで立派な門を持ち、醤油醸造元の看板を掲げていたそうです。地震で壊れたのかな。[左]

高清水宿を出ると、伊藤ハムデイリー本社工場の先で国道4号に合流。街道はその先で東に分かれていくのですが、その先の街道は自転車では難儀しそうなので、東北自動車道・築館ICの近くまで国道4号を走ります。今日の終着点、一関まで残り33km。[下]


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暫く国道4号を進む

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東北自動車道・築館ICの近く

築館ICまで来ました。2車線道路の直ぐの隣に、また2車線道路があるというのが不思議な感じですが、向こうが国道4号。その途中から左上に分かれていくのが、ICの入り口。この先でIC入り口の下を潜ります。[左]

IC入り口の下を通り抜けて、eTrexの地図を頼りに小さな路地を曲がります。この辺は本来の街道が東北自動車道で消えているので、迂回路を辿るのです。道の傍らに小さな「奥州街道」の案内板が立っていました。[下]


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小さな案内板に従って進む

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登ったり降りたり

もこもこっとした稲架が並ぶ姿を見ながら、ゆるゆると登ります。旧道を走るとこういったアップダウンが多くて、距離はさほどでなくても結構疲れますねー。


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案内板は小道を示す

奥州街道を指し示す小さな案内板、と、その奥に延びる小路。その先は、自転車では無理そうなので、手前の道で迂回します。


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築館宿

小さなピークを越えて緩やかな下り坂を駆け下りると、奥州街道76番目の宿、築館宿に入ります。この辺は、まだ旧街道ではなく旧国道かな?[左]

土蔵造りのような旧家、その隣も看板建築っぽいですね、その後ろにトタン屋根が続いてますし。手前は食堂という字が薄く残っています。賑やかだった時代を見てみたい。[下]


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食堂跡・土蔵造り・看板建築

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旧道の延長上に残る橋台

国道398号を横断し、迫川の手前で国道4号に合流します。国道4号で迫川を渡りながら上流側を見ると、旧道の延長上に橋台が残されています。


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街道時代のままかと思う位の狭さ

橋台の先に残された旧道に入ってみました。こんな細い路地でも躊躇なく飛び込めるのが、自転車・徒歩旅の良い所。この細道は、この先、栗原市消防本部の前で国道4号に吸収されて終了。


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宮野宿に残る郵便局跡

そしてちょっと先で東へ曲がっていく国道4号と別れて、直進する県道42号線へ。250m位先の交差点で右折すると、奥州街道77番目の宿、宮野宿へ入ります。お、何だか重厚な建物があるな、と停まって見てみると、上に〒マークが有りました。昔の郵便局でしょう。


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築館城生野

宮野宿から先は街道を辿るのが難しくなっているところが多いようで、走れる道を繋いで迂回します。築館城生野の集落に入ります。この先に城跡(伊治城)があって、その周辺の字名が要害、大堀と城に関係した名が残っていますね。


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栗原市立富野小学校脇の砂利道

栗原市立富野小学校まで来るとアスファルト舗装が無くなり、砂利道になります。[左]

この先進めるのだろうか、と不安になりますが、まぁ行き止まりになったら、ここまで引き返してきて、国道4号に出れば良いだけなので、ここはGoです。[下]


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砂利道を進む

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人道橋を渡る

生い茂る草に行く手を遮られそうで遮られず、小さな橋を渡ります。もしかして通学路なんだろうか?


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進めるのか不安になる道

まるで廃道のようですが、何とか進めそうです。しかし、向こうから人が来たら行き違うのが難儀だな。


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達田橋を渡って

二迫川と熊川の間の田圃を突っ切って根岸集落へ。そこから先、沢辺町まで国道4号で丘を登って降りて進みます。三迫川手前で旧国道に入って達田橋で三迫川を渡ると、奥州街道七八番目の宿、沢田宿に入ります。


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沢辺宿

三迫川の左岸を東西にまっすぐ伸びる沢辺宿。三迫川は結構大きな川なのに、水害に遭う事は無かったんでしょうか? 地形図を見ると、沢辺宿から北へ向かってだんだん標高が上がってるから、氾濫しても対岸の臥牛館跡の方へ流れるのかな?


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くりはら田園鉄道跡

沢辺宿の東端の交差点で左折します。すると、右手に何かレール状の物が目に留まりました。あっ、これが廃止されたくりはら田園鉄道か!と、直ぐに思い当たりました。向こうに駅跡があるようなので行ってみよう。


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沢辺駅跡

プラットフォームとレールが残された沢辺駅跡。駅舎は2009年末に解体されたようです。下世話な話ですが、一番高く売れそうなレールが残っているのが不思議。盗まれないと良いんだけど・・・。


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金成宿

駅跡から元の道に戻り、道なりに北上します。大型店舗と工場の並ぶ辺りを過ぎて国号4号を横断すると、奥州街道79番目の宿、金成宿に入ります。


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お手製(?)の道案内

金成宿の北端で、国道4号を西から東へ横断し、こんな案内板に導かれて田圃の中の一本道を進みます。


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あの丘を越える

この先、目の前に見える丘にある野盗坂を登ったり降りたりしながら進む、らしいのですが、アップダウンを少なくするために、少し先の十石坂近くまで国道4号を走る事にします。


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国道4号

国道4号を北上します。路肩が狭いので歩道をのろのろと進みます。それでも、出発した仙台周辺に比べると、交通量が随分減ったような感じ。


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十万坂の手前

十万坂の下まで来ました。こっちが野盗坂を越えてきた街道筋。左(東)に見えるのは東北新幹線の高架。


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十万坂

現代の十万坂をエッチラオッチラと登ります。旧来の街道は右手の雑木林の中だそうです。つまりもっと厳しい坂なんだな。


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思いがけず平坦な田圃に出る

坂を登り切って右にカーブしていくと、その先は思いがけずも平坦な水田。ちょうど東北新幹線の第一有壁トンネルの上辺りなのです。


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あと0.9kmで有壁宿本陣

旧来の街道も合流し、白いペンキで書かれた案内板に導かれて有壁宿に向かいます。あと0.9km!


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民家が見えてきた

コロコロと坂を下って行くと、民家が増えてきました。宮城県最後の有壁宿に辿り着いたかな?


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東北本線の踏切が見えてきた

向こうの方に踏切が見えてきました。東北本線が街道を横切っているのです。


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奥州街道にある若柳街道踏切

踏切の名前に「奥州街道」の字が入っているのかな?と予想していたのですが、違いました。「若柳街道踏切」でした。ここ有壁町と栗原市若柳(旧若柳町)とを繋いでいる県道の名前が付けられたようです。この県道も前身は古い道なのでしょうね。


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有壁宿本陣

東北本線を横断して有壁町新町を通り、県道との交差点を横断し有馬川を渡ると有壁町本町。奥州街道80番目の宿、有壁宿に到着です。最初に目に入るのが有壁宿本陣。

指定文化財〈史跡〉旧有壁宿本陣・・・宮城県公式ホームページ


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本宿御成門

本陣の御成門の前には、明治天皇に纏わる2つの石柱。明治9年と同14年の2回、この本陣を使われたそうです。奥に見えている、「御小休所」の石柱は今までも良く見てきたけど、ここ有壁宿のは一回り大きいような気がします。


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有壁宿本町

有壁本町の街並み。宿場というと建物が平入で立ち並ぶ、というイメージがあるのですが、ここは一戸一戸の間が広いですね。


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宮城・岩手県

有壁本町から直進して進む街道は、自転車では通行困難のようなので、少し戻って県道203号線から国道4号に入って宮城・岩手県境の丘を越えます。


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岩手県一関市に入った

久しぶりの岩手県一関市に入りました。岩ノ沢辺りで左に分かれていく現国道4号を見送って旧国道、県道260号線を駆け下ります。


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国道342号

右側から国道342号が合流してくると、民家・工場が連続して立ち並ぶようになって来ました。ここまで来れば一ノ関駅まで距離は幾らもありません。国道342号は途中まで東北本線の付け替えによる廃線跡なんですね。ちょっと戻って見てくればよかったかなぁ?


一ノ関駅に到着しました。あれ?以前と印象が違うな。過去の写真と見比べると建物の色が塗り直されたんですね。さて、どうするか。日没までには、未だ少し時間があるので駅の近所を見て回ることにします。


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旧沼田家武家住宅

駅前の観光案内板を見て、やってきたのは旧沼田家武家住宅。ちょうど係の人が閉めに来た時間だったので、中は見学できませんでした。また宿題が出来てしまった。

一関市指定文化財「旧沼田家武家住宅」・・・いわての旅


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磐井川

そのまま武家住宅の通りを真っ直ぐ北へ行って磐井川に掛かる磐井橋の袂に来ました。磐井川の向こうに夕日が沈む・・・。


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堤防の上にある石碑

その磐井橋の袂、土手の上に何か石柱が建っているのに気が付きました。「関行在所」? あ、上が折れているのか! 「明治天皇一関行在所」ですね。


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松尾芭蕉にも縁がある土地

明治天皇から、もう少し時代を遡って県道260号線に面して建つ松尾芭蕉の石碑。かつてここに有った金森家に二晩宿泊したことから、二夜庵と呼ばれるようになったとの事。7,8年前までは、この石碑の後ろに建屋が有ったようですが、今は更地。


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もうひとつの石碑

その金森家跡に建つ、もうひとつの明治天皇行在所の石碑。

さて、磐井橋を渡ってその先の奥州街道を進んでみたい気にもなりますが、今回はここで終了とします。磐井橋から地主町、大町と奥州街道を逆から辿って一ノ関駅へ戻りました。

さて、東北新幹線の時間は〜と時刻表を見ると暫く来ません。なら、在来線で移動してみようという事で、東北本線で仙台駅に向かうことにします。ん?それも直通が無い!? 小牛田駅で乗り換えのようです。知らない路線で知らない乗り継ぎは結構ドキドキしますが、なんとか上手くやって、真っ暗になった頃に仙台駅に到着。その後、東北新幹線、大宮駅で高崎線に乗り換えて無事帰宅し、奥州街道の1回目は終了。



All Photographs by Ryo Masuda 2014.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.10.28]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp