風まかせ旅紀行
福島県・宮城県 奥州街道 福島-仙台 Vol.2
さっきまで居た国道4号の交通量とは対照的に静かな旧国道を進みます。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
八ツ森から新舘、大手町と辿って白石城へ立ち寄る事にしました。石垣自体から復元建築された、ちょっと珍しい城です。
白石城・・・白石城・歴史探訪ミュージアム・武家屋敷
白石城・・・白石市観光協会
ここで、桃と紅茶のももちゃソフトクリームを補給。名物と売り出すだけの事はあって美味しい![左]
序でに武家屋敷にも立ち寄っていく事にします。道標に従って水路沿いを進んで行きます。[下]
城の北側、外堀に当たる沢端川沿いに残る旧小関家。平成3年に、小関家から母屋・門・塀が白石市に寄贈されたのを機に修復・公開されたそうで。
白石城北側の武家屋敷から、東側の長町・中町を通る旧街道へ戻って、少し白石駅方向へ町並み探検。
白石駅で小休止した後、白石川に向かって北上します。白石川を渡る手前に残る旧道。ここは街道じゃなくて旧国道かな?
旧国道の白石大橋で白石川を渡ります。渡った対岸にも少し旧道が残っていますが、直ぐに旧国道、現在の県道12号線に合流し、北東に向きを変えて進みます。[左]
道なりに進んで、下河原の先で上下2車線の大きな道になった現国道4号に合流、と思いきや歩道を少し進むと側道が現れました。そのまま側道を進むと、親柱の上にこけしが乗った旧国道の児捨川(こすてがわ)橋が現れました。昭和11年(1936年)3月竣工という、なかなか古い橋です。[下]
児捨川橋の先、現国道4号を避けて、田圃の中の道へ。見えていませんが、左側に東北自動車道、右側に国道4号が位置しています。[左]
59番目の宿場、宮宿の入り口を掠めて、白石川右岸の県道50号線に移動。とあるトンネルを見ていく事にします。ちなみに県道のこの部分は、経路変更の廃線跡と言われているらしい。[下]
白石川に近すぎた線路を山側に移すために、明治22年(1889年)に作られた城山隧道。その頃は国鉄でも鉄道省でも無く、私鉄の日本鉄道。
北白川駅まで県道50号線を進みます。ご覧の通りの快走路で、ここで地元のロード乗りとすれ違いました。
白石市立白川中学校の正門前を通ります。良い環境にある中学校だなぁ。[左]
白石川を渡り、国道4号方面へ。車道の橋が「新白川橋」なので、歩行者専用になっている古い橋が「白川橋」かな?[下]
端を渡って突き当たった国道4号を右折。ほんの少し東へ行って左折すると60番目の宿場、金ヶ瀬宿に入りました。[上]
金ヶ瀬宿を出ると、大型店の建ち並ぶ国道4号に出ます。折角なので直ぐ先にあったセブンイレブンで補給&小休止。その後、国道を避けて大型店舗の裏手を進んで、県道110号線に入ります。[左]
県道110号線からY字状に分かれる県道216号線に入ります。正面に見える赤い屋根の観音堂を道なりに左へ行くと、61番目の宿場、大河原宿です。金ヶ瀬宿から近いですね。
蔵造りの旧家がチラホラと残る大河原宿。ゆっくり見て回りたいところですが、なんとなく夕暮れの気配を感じる日の光になってきました。
字名が「町」という珍しい地名の宿場中心部を通り、北側の桜町を通って白石川支流の荒川を渡って、韮神山の下を通る国道4号に出ます。その国道脇に集められた石仏群。
一際大きなこれは、山岳信仰の物だと思うのですが、3文字目の「山」以外が読めない。右側は「金峯山」かな? 石仏群から600mほど進んで国道4号を離れ、北舟岡、西船迫を通ります。柴田町西船迫交差点で国道4号を横断し、62番目の宿場、船迫宿の入り口になります。
が、ルート設定を間違えて、宿場の入り口を通り掛かっただけで宿場の中には進まずにショートカットしてしまいました。奥州街道の道筋に復帰して、東船迫の土地区画整理の記念碑。碑文の最初に「この地は古くから奥州街道 船迫の松並木として多くの人から知られていた」とされています。
東船迫の旧道。左の茶色いフェンスの向こうが現国道4号。やけに広いこの道路は旧国道なのかな?と思ったのですが、1974-78年の航空写真を確認すると、現国道4号の整備後に出来たみたいですね。
東船迫から白石川左岸の細い道を東へ進みます。この辺にも「距仙臺」の里程標があるとの事ですが、気が付かずに通過してしまいました。
東北本線の下を通り、道は北へ。古びた「急カーブ」の道路案内板辺りが、63番目の宿場、槻木宿の入り口。急カーブは往事の枡形の名残だそうです。
槻木宿で見掛けた門もある土蔵造りの民家。
槻木宿北側に残る枡形を通り、県道52号線を横断。街道は、その先で国道4号も越えて阿武隈川沿いを進むのですが、五間堀川沿いをショートカットして東洋ゴム工場近くで合流しました。先に見えるのは常磐線。
岩沼宿の近くまで来ました。この先、左折・右折・左折して岩沼宿の本町に入ります。
竹駒神社に立ち寄ってみました。立派な門は文化9年(1812年)に建てられたものだそうで。[左]
竹駒神社から本筋に戻らず、うっかり一本西側の路地を通って岩沼宿を出てしまいました。古い建物をスルーしてしまった・・・。現国道4号に合流して二間橋で志賀沢川を渡り、その先の歩道橋の手前で左に分かれる細道へ。その先で東北本線を渡ります。[下]
踏切の先、また田圃となった街道沿いの景色。手前は稲では無く大豆かな?
飯野坂辺りの街道。この辺りから車の交通量が増えてきます。狭い路肩をソロソロと進みます。
道なりに進んで、またまた東北本線を横断し、65番目の宿場、増田宿に入りました。菊池家の屋敷跡に残る大傘の松。明治9年の東北巡幸の際には、ここが行在所で、近年は公民館が建っていましたが、先の震災で使えなくなり解体されたそうです。通りすがりの旅人には、ただの広場にしか見えないけど、この辺りでも、震災でところが多いんだろうな。
道は狭いけど、交通量は激増します。大都市が近い事を感じますね。
増田宿を出て、名取市田高の交差点に有った道標。「距高舘村二十九丁」と刻まれています。この交差点は、少し前に改修されたようですが、それでも道標は残されたんですね。
増田宿を出ると、直ぐに名取川手前にある、66番目の宿場、中田宿になります。その先、名取橋で名取川を越えます。仙台駅までもう少し。
名取川を渡り諏訪町へ入って太子堂駅が近くなってくると、道が非常に広くなります。街道の通りは綺麗さっぱり無くなってしまいましたが、路肩をおっかなびっくり進む事もなくなります。区画整理前は操車場が有ったようですね。
太子堂駅を少し行ったところ、あすと長町3丁目と4丁目の境か、その辺りで東北本線の下を通り、街道の道筋に復帰。667番目の宿場、長町宿は自転車で走ってみると、そんなに古い感じがしない町並みですが、地図を見ると間口が狭く奥に長い地割りが続いていて、すぐにそれと分かります。道なりに進んで、広瀬橋の袂に来ると、昭和市電通りの案内を発見。奥州街道に準ずる形で路面電車が走っていたのか〜。
広瀬橋の上から眺める広瀬川。この時点で午後3時半を少し回ったところ。仙台駅までは残り3km弱、予定ルートは無事消化出来そうなので、暫く橋の上で休憩。水面では何か漁をやっていました。[下]
南鍛冶町から荒町辺りの奥州街道。広瀬川を渡った先は幾度も枡形を通る道筋になっています。事前の調査不足で枡形を幾つもパスしてしまいました。仙台市街の街道はもう一度辿らないとなぁ。色々宿題を残して、仙台駅から輪行で帰路に着きました。
ルートプロファイルです。一番高いのは福島・宮城の県境。距離は約101kmでした。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
All Photographs by Ryo Masuda 2015.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.28]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp