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風まかせ旅紀行

福島県・宮城県 奥州街道 福島-仙台 Vol.1



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2015年10月12日(月)

昨年(2014年)の奥州街道の続きをやらねば。という事で当初は1泊2日の日程を考えていたのですが、天気予報がイマイチだったので日帰りという事に。すると一ノ関から先というのは往復の時間が勿体無い。では手前の福島-仙台間を走ろうと思い付きました。1年ぶりの東北。かつて東山道を辿って、僅か数10mでしたが福島県側に入った事が有りましたが、ちゃんと走るのは初めてとなる福島県

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)

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青空に恵まれた1年ぶりの東北

1年ぶりの東北新幹線で福島県までひとっ飛び。青空が広がっていました。早起きして出掛けてきた甲斐がありました。


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福島駅に降り立つ

去年はただ通過した福島駅に、初めて降り立ちます。


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横断歩道手前にある芭蕉と楚良の立像

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本陣跡

奥州街道に近い西口を出て自転車を組み立てて、早速出発。と、その前に芭蕉と楚良の立像にご挨拶。この先しばらくは奥の細道とも重なるルートですね。[上]

駅前をまっすぐ進むと、なにやら高札的な何かが立っていました。北上してきた奥州街道が東へ曲がる、この辺りに本陣があったらしい。[左]


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銀行街へと進む

タイル敷きになった中心街を進みます。この、互い違いになった路地が、この道の古さを示しているような気がします。画面左の角に建つのは常陽銀行、その奥に日銀福島支店、続いて秋田銀行福島支店、東邦銀行本店と銀行が建ち並んでいて、福島の金融の中心部のようです。


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奥州街道と米沢街道の分岐点がこの辺り

お、また高札発見。奥州街道と米沢街道の分岐点がこの辺りだそうで。ただ、せっかく当時の地図を掲載しているのに、現在地点が分からないんだよなぁ。


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福島稲荷神社へ続く通りには露店が並んでいた

秋の祭礼か、朝から露店が並んでいた、福島稲荷神社へ続く道。

福島稲荷神社・・・ふくしまの旅


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石橋跡?

上町でアスファルトの中に残る石を発見。もしかして、側溝に掛かる石橋なのだろうか?


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上町辺り

上町の細い路地を進みます。さて、奥州街道はここなのか?それとも一本南側なのか? うーん、たぶん一本南側だなぁ。


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国道4号を横断する

などと考えつつ進むうち、国道4号に突き当たります。北町交差点で国道4号を横断して、その西側を平行して延びる道へ向かいます。[左]

豊田町の奥州街道に来ました。ようやく、直ぐにそれと分かる道になりました。[下]


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豊田町の奥州街道

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福島豊田町郵便局に立つ案内板

豊田町の奥州街道を北上すると、国道114号にぶつかります。その左側にある福島豊田町郵便局に、あの高札を発見。この辺に仙台口と呼ばれる枡形があったそうです。


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古そうな長屋と、その先に福島競馬場

国道114号を横断して、まっすぐ先に進みます。浜田町から五老内町と進んで、向かう先に福島競馬場の大きな建物が見えてきました。その手前に残る古そうな長屋。


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松川を越える

朝から駐車場整理に精を出す係員に軽く挨拶しながら、福島競馬場の前を通過。岩谷下交差点で現・国道4号と合流します。岩谷下交差点で街道を少し逸れ、岩谷観音の直ぐ下の水路沿いを通り、松川手前で国道4号に戻って松川を越えます。旧道には既に橋が無いのです。


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セブンイレブン裏から伸びる街道

松川を渡って直ぐ左側に在るセブンイレブンで今日初めての補給をした後、その店の裏手を延びる旧道へ復帰して北上します。この道に軽便鉄道の軌道が敷かれていた事を知ったのは、何時ものようにこのレポートを書く段になってから。


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少し先で八反田川を越える

左右に緩やかにカーブしながら進んで、水雲神社の近く。左の幟が立っているのが、その参道。街道は緩く右にカーブして、八反田川を越えます。


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県道353号線上の瀬上宿

阿武隈急行・福島学院前駅の下を潜り、さらに進むと県道197号線に突き当たって直進出来なくなります。そこが瀬上宿の入り口に当たる枡形の跡のようです。右折して直ぐ左折と、枡形を進んで県道353号線になった街道を進みます。[左]

幸橋で摺上(すりかみ)川を越えます。上流方向に見えるのは新幹線の高架。「幸橋」という橋の名前は、明治天皇の東北巡幸を連想するのですが、関係あるのかな?[下]


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摺上川を越える

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民家が途切れた

摺上川を越えて伊達市に入りました。時折現れる旧家に目を遣りながら、国道399号を横断して少し行くと、民家が途切れて素晴らしく広い風景が現れました。見えているのは阿武隈山地。


緩やかな坂を登って台地に上がり、奥州街道53番目の宿、桑折宿に入りました。その中心部、本町の南の端に街道をまっすぐ見下ろせる位置に建つ、立派な、しかし古そうな木造建築。明治16年に出来た旧伊達郡役所でした。ちょうど開館時間の9時を回ったところだったので、見学していく事にしました。

見学の詳細レポはこちら
旧伊達郡役所・・・観光情報/桑折町公式ホームページ


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桑原宿

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奥州街道と羽州街道の追分

旧伊達郡役所の正面からまっすぐに伸びる桑原宿を北上します。[上]

旧伊達郡役所を出て桑折宿を北上。1kmちょっと走ると、柳の木が目立つ奥州街道と羽州街道の追分に来ました。柳の木の奥には東屋が建てられていて、街道を辿る人には嬉しい施設。[左]


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パンフレットが収められている

しかも、その東屋の中には、この先の奥州・羽州街道沿いの、各地の観光パンプレットが納められていて、自由に貰う事が出来ます。


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仙台の字が読み取れる道標

仙台の字が読み取れる道標。今日は、その仙台まで走る予定。


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追分から先も住宅が続く

追分から先も、未だ少しだけ住宅が続きます。[左]

暫く進むと田んぼと民家が交互に現れるようになります。[下]


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民家が途切れるようになってきた

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柿の木と火の見櫓

柿の木と火の見櫓。こういう何でもないような田舎の風景が好きなのです。出掛けてきて良かった、と思う瞬間です。


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街道近くに残る堰下古墳

「堰下古墳」の案内を見かけて、街道から直ぐの位置だったので立ち寄ってみました。直径28m、高さ2.5mの古墳時代中期(5世紀中頃)の円墳で、昭和48年に国見町指定史跡となっています。

堰下古墳・・・国見町ホームページ


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円墳の上から見える景色

円墳の上から見える景色。これは街道からも良く見えていたんだろうなぁ。[左]

さて、古墳から再び街道に戻り、54番目の宿場、藤田宿に入りました。[下]


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藤田宿

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旧国道で「阿津賀志山の古戦場」を通る

藤田宿を出た街道は現国道4号に合流しますが、車の多い国道を避ける為に近くの農道へ迂回。その後に旧国道に復帰して、小さな峠状になった「阿津賀志山の古戦場」へ登ります。

阿津賀志山防塁・・・国見町観光ポータルサイト


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「阿津賀志山の古戦場」の案内板

道の片隅に立てられていた、「阿津賀志山の古戦場」の案内板。昭和56年に国指定史跡となっています。


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緩やかに登る旧道

「阿津賀志山の古戦場」のピークから少し駆け下って、再び緩やかに登ります。


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庚申塔と馬頭観音

新田から原町を通り、国道4号と交差します。その少し手前で見かけた古そうな庚申塔と、左には小さな馬頭観音。後ろに見えている路面が国道4号へ合流していく奥州街道。


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貝田宿

国道4号が東から西へ横断し、緩やかなカーブの坂を登って、55番目の宿場、貝田宿に入ります。緩やかなカーブは旧国道由来で、今は果樹園となっている斜面を突っ切っていたそうです。地理院地図を見ると、それと思われる細道が記されています。


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どの家も大きい

どの家も大きいのが印象に残る貝田宿。


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来た道を振り返って見たところ

来た道を振り返ってみたところ。貝田宿を出ると国道4号に合流し、狭い峠を東北自動車道、東北本線と渾然一体となって県境を越えます。国道4号が非常に狭く、写真を撮るどころでは無く、トラックに追い立てられるように走り抜けて宮城県へ入りました。


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真正面の細道が街道との事

県境を越えて宮城県白石市。そして直ぐに56番目の宿場、越河宿に入ります。しばらく旧国道を進んで東北本線の下を潜り、上屋敷で旧国道と分かれて細道になります。この正面へ続く細道がそれ。


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越河駅から北側の旧国道

越河駅の北側にある踏切で東北本線の西側から東側へ移動し、旧国道に復帰します。この先、現国道4号に合流し馬牛沼まで進みます。


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峠森踏切

馬牛沼の先、国道4号を進む事を避けて中屋敷、原屋敷、荒屋敷集落を通る、東北本線西側の道へ。峠森踏切で東北本線を渡った先、斎川大橋の袂で旧国道・奥州街道に合流しました。往事から在る脇道かな?


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斎川宿の枡形

57番目の宿場、斎川宿に入りました。宿場の南側にS字状になって残る枡形。[左]

枡形跡から先、約400mに渡って立ち並ぶ斎川宿の民家。[下]


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立ち並ぶ斎川宿の民家

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距仙臺元標十四里

斎川宿を出て1kmも行かないうちに国道4号に合流します。合流したところに在った「距仙臺元標十四里」の石柱。2014年の仙台−一ノ関間を走ったときに初めて見掛けて知った、明治22年に宮城県によって設置された里数標。1里を約4kmとすると、今日のゴールまではまだ約56km有るんですね、先はまだまだ長いぞ。


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歩道に退避

交通量の非常に多い国道4号。車道は危ない感じなので、これまた狭い歩道をソロソロと進みます。


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現旧国道4号の分岐点

大平で左へカーブしていく現国道4号と分かれて、真っ直ぐに伸びる旧国道へ進みます。オレンジ色のセンターラインが残る旧道。そのまま盛り土して現国道を作ったのかな?



All Photographs by Ryo Masuda 2015.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.10.28]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp