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風まかせ旅紀行

福島県 猪苗代・磐梯・会津若松界隈ポタ Vol.2



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24年ぶりに来た鶴ヶ城

北出丸交差点を左折して追手門を入ります。久しぶりに鶴ヶ城に来ました。2000年以来24年ぶりかなぁ? その時は城内の博物館を見学したようなしなかったような・・・全く覚えてない。


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搦手門から退城

混雑する城内に長居は無用ということで、人出に追い立てられるように搦手門から退城。


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補修工事中の市役所旧館

搦手門から次の見学ポイント、会津若松市の市役所へ向かいます。昭和12年竣工の旧館があるとの事で行ってみたのですが、え、まさか解体!? が、よく見てみると解体撤去とは違う感じ。裏に繋がる新館の建て直しと一緒に旧館も補修工事して保存するとの事。[左]

市役所庁舎の整備・・・会津若松市

市役所から会津五街道の起点となる大町四つ角を通って国道252号の七日町へ来ました。古い建物がポツポツと残っていて、最近、大正浪漫の街並みとして売り出し中。[下]

七日町通りの歴史・・・会津若松七日町通りの観光情報 なぬかまち.com


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七日町

七日町から北側の田んぼの中をショートカット・・・するつもりが大分大回りして越後街道に戻り、神指町(こうざし)高久の旧道[下]

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神指町(こうざし)高久の旧道

道の駅「あいづ 湯川・会津坂下」で一休みした後、そろそろ出発地に戻るべく徐々に東へ向かう事にします。東へ向くと磐梯山が真っ正面。[下]

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道の駅あいづの近くから見る磐梯山

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偶然通り掛かった米沢街道

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会津若松方面へ続く米沢街道

田んぼの中の集落を繋ぐようにジグザグと東へ進み及川に入ると、あらまぁ、中々歴史のありそうな家並みが現れました。実はここが米沢街道だと知ったのは帰宅後の事。[上]

突き当たりの丁字路を右に折れて南下していくのが米沢街道の会津若松方向。[左]


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磐梯山に向かって真っ直ぐ進む

会津縦貫北道路をくぐり、及川駅の直ぐ南の踏切で磐越西線を横断して田んぼの中を真っ直ぐ進みます。


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会津変電所近くの堂島

東北電力・会津変電所近くの堂島集落を通って、この先の日橋川に架かる橋がお目当てなのです。


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お目当ての切立橋

堂島集落から坂を下って左に曲がった先に唐突に現れるのがこの橋、日橋川に掛かる切立橋。明治23年(1890年)にドイツで製造され、当初は九州に設置された鉄道橋との事。[左]

その後大正時代に入り、猪苗代湖周辺の水力発電開発の際して敷設された専用軌道用の橋としてこの地に転用され、専用軌道が廃された後は道路橋として今なお健在なのです。同種の橋は国内に2つしか残っていないらしい[下]

切立橋・・・会津若松観光ナビ


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遠くドイツから九州を経てここへ来た元・鉄道橋

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県道7号を郡山方面へ

今日のお目当てを見ることが出来て満足! さて、後は出発地点に戻るだけ。県道7号を郡山方面へ向かって登り続けます。


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歩道に待避して一休み

肌寒い気温ですが、さすがに上り続けてると暑くなる・・・。歩道に待避して水分補給しつつ一休み。


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通行不可になった旧道が残っていた

磐梯町駅まであと少しという地点で旧道とおぼしき道筋へ。振り返ってみると、通行出来なくなった旧道が放置されていました。


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旧道の踏切跡

道なりに進むと磐越西線にぶつかります。ここは踏切跡ですね。さっきの廃道と同じく1974-78年の航空写真では現役だった様子が見て取れます。[左]

大寺地区に入りました。地名の由来は近くにある慧日寺跡でしょうかね? そういえば磐梯町駅も以前は大寺駅だった・・というのを何処かで聞いたような見たような。[下]

磐梯山慧日寺資料館 史跡慧日寺跡・・・磐梯町


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大寺地区の旧道を進む

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明治32年開業の磐梯町駅

折角なので磐梯町駅に立ち寄ってみました。改装されていてそうは見えないのですが、明治32年(1899年)に大寺駅として開業した当時の駅舎らしい。


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県道を避けて別の道へ入った

駅の北側、踏切跡に作られた地下通路を通って東へ。交通量の多い県道7号を避けて、その北側に併走する町道を進むことにします。ずっと登り続ける事には変わりませんが。[左]

たまに農作業の車が通るだけでの静かな道。景色を眺めながらゆるゆると登り続けます。磐梯山が近くなってきたな。[下]


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磐梯山が近くなってきた

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またまた磐越西線を横断する

さて、またまた磐越西線を横断します。予定のルート上ではこの踏切が最後。


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土田堰から300m位北側の町道を進みます。猪苗代町長田の開耕神社近くの風景。

土田堰のおこりと友松勘十郎氏興 忠彦・まめひこ神社・・・水土里ネット福島 福島県土地改良事業団体連合会


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御大典紀念植樹の石碑

さて、猪苗代町役場の駐車場に戻る前にもう一ヶ所寄り道。県道6号線の旧道、二本松街道沿いの五十軒という集落へ。交差点にある民家の一角に御大典紀念(大正天皇御即位の時のもの)の石碑があるのです。碑文に第六五連隊が出てきますが、石原莞爾が居た隊ですね。


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少し古い感じがする道標

御大典紀念の石碑と道を挟んだ反対側には道標があります。御大典紀念の石碑より少し古い感じがします。こっちにも陸軍演習場兵舎と記されていますね。西は大寺を経て喜多方、かな?


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猪苗代駅へ向かう

これで予め決めておいた見所ポイントは全てクリア。五十軒から田んぼの中の直線道路を猪苗代駅へ向かいます。


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朝も通った駅から猪苗代町役場への道

朝も立ち寄った猪苗代駅前で最後の小休止。少しだけ夕景の雰囲気の中、猪苗代町役場の駐車場に戻って今回の自転車活動は終了。走行距離は約90kmでした。

現在の本拠地、群馬県とは県境を接している隣県なのですが、中々行く機会が無かったのが福島県。その中でも特に会津若松は栃木県を回っても新潟を経由しても遠い。そんな訳でこれがようやく2回目の取材でしたが、行く度に色々知る事が在りますし、また見逃した事も在ります。見逃した所はまた取材に行かなくちゃ。



All Photographs by Ryo Masuda 2024.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2025.12.14]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp