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風まかせ旅紀行

長野県・北国街道 小諸〜善光寺 Vol.2



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千曲川を背にして建つ道祖神

菅平を源流域とする神川が千曲川に合流する辺りに、道祖神が立っています。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


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千曲川に近づいていく北国街道

緩やかな下り坂になった北国街道を走っていきます。この辺は、自然歩道の道案内も見あたらず、勘と手元のGarmin eTrexが示す地図だけが頼りです。


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堤防の上で一休み

千曲川の堤防まで来ました。この先、北国街道は千曲川沿いを離れて、上田城跡の北側を通ります。が、若干時間が押してきて、混雑した市街地を避けたかったのと、上田市街地の北国街道を余り調べてなかったので、ひとまず千曲川沿いを走り、上田城跡の直ぐ北側に出ることにしました。


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復元整備が進む上田城跡

久しぶりに来た上田城跡。復元工事が進んでいて、石垣が綺麗になっていました。


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案内板で北国街道へ戻る

上田城跡の駐車場にある案内板。お、左上に北国街道の文字が。とりあえず北上すれば合流できそうです。この種の案内板はデジカメで撮っておくと、後々役に立つことがあるので必ず撮っておくことにしています。この日も後で見直して道を確認することができました。


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北向観世音道と記された道標

北向観世音とは、温泉街で有名な同じ上田市内の別所温泉にある天台宗のお寺らしいです。明治28年以前、上田と別所を繋ぐ道はこれ以外になく、大変賑わっていたそうです。今では大変静かな住宅街になっています。

北向観音


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近年置かれたと思われるお地蔵様

国道18号バイパスを潜る直前に居たお地蔵様。本来の北国街道は国道18号バイパスと平面交差する高さに有ったようですが、バイパス建設時に掘り下げられてアンダーガードでパスする形に。このお地蔵様はその工事以降に置かれたものでしょう。


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お手製の道案内に助けられた

国道18号バイパスを潜り抜けると、あれ? 直進する道はない!? ふと見ると、お手製と思われる道案内が立っています。有り難く案内に従って進みます。


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上田市上塩尻付近

虚空蔵山の裾をなぞるように進む上田市上塩尻付近の北国街道。今の地図を見ると、もっと平地側(しなの鉄道寄り)を通っても良いような気がしますが、あの辺は昔は千曲川の氾濫原だったのかな?


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二十三夜塔・道祖神・庚申塔

坂木宿に入る辺りに建っていた二十三夜塔、道祖神、庚申塔の3つ。現在の地名は坂城なのですが、坂木宿の「木」なんですね。


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村上義清公墓所の案内板

二十三夜塔から程なく村上義清公墓所が有ります。


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1657年から脈々と受け継がれてきた墓所

ちょうど放送中の大河ドラマにも出てくる事もあって、幟まで立っていて目立つのですぐに分かると思います。1657年というと、350年前か。10年なんかあっという間に過ぎるし、350年と言っても、遙か以前のようで、実はそうでもないのかもしれません。


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本陣跡の博物館

坂木宿本陣跡に来ました。今は坂木宿の博物館として機能しています。写真を撮っていたら中から年配の夫婦が出てきて「なかなか面白かった」と言っていました。

坂木宿 ふるさと歴史館


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カーブミラーに囲まれた常夜灯

坂木宿の中心部を抜けて(ついうっかり一つ手前の路地でパスしてしまいましたが)、枡形と思われる場所に建っている常夜灯。カーブミラーに囲まれていますが、そこには善光寺の文字が刻まれています。


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笄(こうがい)の渡しの案内板

坂木宿を抜けて、再び国道18号線に合流。この辺は、五里ヶ峰の裾野と千曲川が最も近づいているところです。そこにはこんな伝説が残っているそうです。


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石碑が建ち並ぶ

千曲川の土手の上には石碑が建ち並びます。風化が激しく何が掘ってあるのか読めない石碑が多く、年代の古さを感じさせます。


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岩崎街道踏切

笄の渡しから1.2km程行くと、岩崎街道踏切でしなの鉄道を渡っていきます。しかし、なぜ踏切の名前が岩崎街道なんだろ? ここから屋代宿までは国道18号の東側を進みます。


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矢代宿本陣跡

だんだん向かい風が強くなってきて、うーん、どこか適当にしなの鉄道に逃げようかなぁと考えつつも惰性で屋代宿に来てしまいました。ここは屋代宿脇本陣跡。さすがに現役国道に面している事だけあって、往事を感じさせる物はあまり残っていません。この直ぐ東側には明治天皇休息地の碑も建っています。


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篠ノ井橋で千曲川を渡る

屋代宿から篠ノ井橋までの北国街道は、国道18号や上信越道の更埴JCTなどの建設により明確な跡が残っていません。堤防上の道で篠ノ井橋に出て、今日初めて千曲川を渡ります。


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橋を渡って直ぐ旧道へ、そして旧旧道へ

篠ノ井橋を渡ってすぐ、右にカーブしていく現国道18号と少し直線に進んでから緩やかに右に曲がる旧道、さらにその西側を長野市方向へ伸びていく道があります。しばらくeTrexの示す地図を眺めて、一番西側の道が北国街道だろうと推測。この町並みは正解だったかな?


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丹波島橋で犀川を渡る

丹波島橋で犀川を渡ります。この時点で長野駅までは残り2kmちょっと。いよいよ善光寺も近くなってきました。日没までには時間に余裕があるし、余り急がずとも十分に間に合いそうです。


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ついに参道に到達

長野駅西側のアンダーガードを潜り抜けて、ようやく善光寺の表参道に到達。台風一過の天気の良いお休みということも有ってか、それとも何時もこんな感じなのか、結構な賑わいを見せる表参道。うう、人混み苦手(^-^;


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BD-1漕いで善光寺参り達成!

長野駅前から2.2km、ようやく善光寺に到達! 頻繁に長野県入りしているのに、善光寺に来たのは初めてです。大きな山門は修復工事中のため、姿を望むことが出来ませんでしたが、今日はこれで良しとしましょう。しかし、街道シリーズで一区切り付いたのはこれが初めて? 三国街道も中山道も甲州街道も一部分だけだしなぁ。


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陽が落ちる長野駅

JR長野駅に戻ってきました。ちょうど夕日が眩しい時間帯。新幹線込んでるかな? でも始発駅なんだから乗れないってこともないだろうと、自転車を畳み込んでちび輪バッグIIへ格納。自動券売機で乗車券・新幹線特急券を買ってホームへ。


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時間があったので立ち寄りました

ホームへ降りると、拍子抜けするほどに人が居ない! さて、次の新幹線はと電光掲示板に目をやると後25分ほど東京行きが出る所。ちょうど良い時間だな。ちょうど立ち食い蕎麦屋が営業中。そう言えば今日はロクに食べてなかったなと思ったところでお腹が減ってきました。時間は十分あるし、一杯食べて新幹線に乗り込みました。
いつものように高崎駅で上越新幹線から来る各駅停車に乗り換えて熊谷駅へ。2時間も掛からずに地元の駅へ戻ることが出来ました。


走行経路3、上田から屋代までの走行経路です。GPSログはこちら「log20070908_0.gpx」です。カシミール3DGoogleEarthでご覧下さい。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


走行経路4、屋代から善光寺までの走行経路です。


ルートプロファイルです。累積標高は1200m余り、とは言え大半は下り一辺倒なルートです。走行距離は約89kmでした。松尾芭蕉の「奥の細道」は一日40kmが当たり前だったらしいですから、89kmでも正味1泊の距離なんでしょうね。追分宿を朝出発したとすると、一日目は坂木宿、二日目の夕方には善光寺に到着って所かな?




All Photographs by Ryo Masuda 2007.
Took a photograph with IXYDIGITAL500 by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
Special Thanks 'カシミール 3D Ver.8.7.1' 1994-2006 Sugimoto Tomohiko.


この記事は[2024.01.27]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp