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風まかせ旅紀行

新潟県 湯ノ谷-山古志-小千谷 vol.1



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2008年7月13日(日)

梅雨明けしたんだっけ?と思うような暑い日が続く7月。化学物質過敏症で体調不良が続いて居るんですが、このまま引き籠もっていても、基礎代謝が落ちるだけで、良いこと無いな〜と無理矢理出掛けることにしました。行き先は前回と同じ新潟県長岡市の旧山古志村。前回は国道352号から栃尾・見附・長岡へ抜けるルートを走りましたが、今回は道の駅「ちじみの里おぢや」を拠点に国道291号で山古志を回るコースを設定しました。

12日(土)の夜になってから3号車と、ツーリング装備一式をジムニーワイドに積み込んで出発。アパートの駐車場を出たのは午後10時半近く。関越自動車道で一路新潟県を目指します。ラジオを聴きながら順調に北上して、塩沢石打ICで高速を下りて国道17号へ入り、道の駅「ちじみの里おぢや」を目指して、さらに北上します。ふと、その手前に道の駅「ゆのたに」があることを思い出します。道の駅「ゆのたに」のほうが近いし、山古志へ登るには湯ノ谷側からのほうが緩やかなのかも?と考え、急遽、道の駅「ゆのたに」をベースにすることに。午後1時過ぎには「道の駅ゆのたに」に到着し、しばし仮眠。この道の駅「ゆのたに」、道を挟んで反対側にコンビニ(セーブオン)があるので便利です。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)

午前7時過ぎに行動開始。身支度を調えてからコンビニに行き、朝食と補給食を調達します。午前8時過ぎ、梅雨時期とは思えない青空の下、3号車と共にいざ出発! というか、既に暑いような(^_^;


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ここは前回も紹介したルート

道の駅「ゆのたに」を出発して、県道70号線で越後広瀬を目指します。このルートは前回と同じ。


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只見線が見えてきた

只見線が見えてきました。日頃の行いが悪いのか、なかなか列車が走っているところに遭遇しない(^_^;


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田圃が緑で埋まり水面が見えなくなった

只見線を跨線橋で越えます。前回と同じ地点で同じような構図の写真。前回は田植え直後で、田圃の水面が見えていましたが、今回はすっかり緑で埋め尽くされています。[左]

国道252号を横断して国道291に入り、いよいよ山古志に向かって登り始めます。通る車も少なく、至極快適な道が続きます。[下]


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国道291号を登り始める

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民家の軒先に掛かる道案内

吉原まで登ってくると、国道291号と県道230号線が分岐します。青看板が無い代わりに、民家の軒先に道案内が掛かっていました。滝之又方向へ行くと、国道352号に出ることが出来ます。その先は前回辿ったルート。今回は国道291号を山古志村方向へ向かいます。


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吉原のお堂

国道と県道の分岐点にあるお堂。雪深いこの土地にあって、しっかりとした鞘堂が建てられています。隣りに立つ木も大きいなぁ〜。


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国道291号と県道415号線の交差点

さらに国道291号を登っていくと、西にある芋川集落に向かって県道415号線が分岐していきます。芋川集落との間には平成3年に開通した芋川トンネルがありますが、その隣りに手で掘られた芋川隧道が残っているとの事なので、見に行ってみることに。


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旧隧道は画面右上にある

標高差50m程をえっちらおっちら登っていくと、正面にトンネルが見えてきます。こちらは平成3年に開通した芋川トンネル。500m近い長さを持つトンネルですが、断面はそれほど大きくありません。芋川隧道は現トンネルの右上に位置しています。


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芋川隧道(茂沢側)

こちらが手で掘られた芋川隧道。数々の改修を経て自動車が通過出来るまでになっていますが、それでもこの小ささで、手前に駐車したBD-1が異様に大きく見えます。こちら側は椎茸栽培に再利用されていたようですが、最近は使っているのかな?


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芋川隧道出口からの眺め

芋川トンネルの出口から茂沢方向を見たところ。さて、ここを下って再び国道291号に戻って中山トンネルを目指します。いや〜、僅か50mの標高差とはいえ下るのが勿体ない。[左]

国道291号に戻って、再び登り出します。1kmほど登ったところで、1998年に竣工した中山トンネルが見えてきました。歩道スペースこそ無いものの、2車線の普通のトンネルです。さて、目的の日本最長の手堀隧道はこの左上にあります。[下]


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現国道291号の中山トンネル(L=913m)

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斜面のコンクリ吹き付け近年行われたもの

新しいトンネルを右から回り込むように取り付け道路を登ると、小さな断面のトンネルが見えてきます。手前に置いてあるBD-1が、なんだか大きく見えてしまいますが。1998年までは、向こう側の小松倉集落とこちら側の水沢集落を繋ぐ唯一の車道で、ここを車が通っていました。おそらく軽自動車に限られたと思いますが。

隧道・・・山古志オフィシャルウェブサイト
中山隧道(ずいどう)・・・新潟県


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隧道内に設置された案内板

隧道中には、隧道の経緯を示した案内板が設置してあります。小松倉集落の住民達が自ら計画し手にツルハシを持って開削を開始したのは昭和9年。途中、太平洋戦争によって作業が中断しますが、戦後に作業が再開れ、昭和24年に見事開通します。貫通後、落盤によって全長がやや短くなったようですが、それでも877mという長さは、開通当時から現在に至るまで、人の手で掘られた隧道としては国内最長を誇ります。


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入り口から暫くは補強されている

水沢集落側からちょっと入ったところ。ちょっとの区間だけ補強されていますが、その先はどうやら素堀のままらしい。シューズが泥だらけになるのでこれ以上中には進入しませんでした。今思えば通り抜けてくれば良かった・・・。


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小松倉集落側にある案内板

新しい方の中山トンネルを走り抜けて、小松倉集落側の中山隧道に行ってみます。小松倉集落側にはちょっとした駐車スペースと、休憩場所が用意してあります。そして、この案内板。この周辺には手堀の隧道が多いんですねえ。この後、羽黒隧道跡に行ってみることに。


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小松倉集落を振り返る

少し小千谷側に進んだところから振り返ってみる小松倉集落。その後ろのピーク近くが中山峠でしょうか。標高は400m弱なのですが、冬は豪雪に閉ざされ、まさに陸の孤島になります。そんな状況を打開しようと住民自ら隧道を掘り始めたんですね。


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地滑りで埋まった芋川と前沢川の合流点

小松倉集落から小千谷方向に向かって国道291号を進んで行くと、何か谷が埋まったような場所が見えてきます。ここが中越地震の時に地滑りで川が堰き止められて、大きな池になったところです。小学校の校舎の中に、放水用パイプを通して必死に排水作業をしていたのを覚えてます? 左側の斜面の土砂が右方向に滑っていったんですね。


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地滑り地帯を見渡せる場所に案内板がある

現場がよく見える場所に、ちょっとした駐車スペースと展望スペースが用意され、こんな案内板が立っていました。この写真を見れば、思い出す人も多いかも。堰き止められた芋川によって、国道291号も水没してしまいました。 そうそう、中山隧道を初め、羽黒隧道等々、中越地震で大きな影響を受けた場所には要所々々に案内板が用意されています。


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2代目の新宇賀地大橋

上の写真を撮った場所からちょっと進んだ場所に、再び展望スペースが有ります。ここから見えるのは、中越地震後に、突貫工事で建設された国道291号の新宇賀地大橋。ちなみに水没した橋も「新宇賀地大橋」という名前だったそうで、これが2代目の新宇賀地大橋となります。よく見ると現橋の袂脇に旧橋の橋台が見えています。


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木籠集落水没家屋の案内板

国道291号と県道23号線の交差点で、県道41号線へ入り、羽黒トンネル方向に進みます。1km程進むと芋川を渡る橋に出ます。その手前に案内板が立っていました。さっき通ってきた堰き止め湖によって水没してしまった木籠集落に関するものでした。[左]

橋の上から芋川を見てみるとご覧の通り。水没してしまった家屋が解体されることなく、そのまま残っています。最も沼地と化した今になっては、近寄ることすら出来ないでしょう。[下]


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解体されることなく残る家屋

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え?もしかしてあの上まで登るの?

さらに県道23号線を進みます。目の前に立ちはだかる斜面の上に家屋が見えます。え、もしかしてあの高さまで登るのかな?まさかなぁ〜? ところで、この県道23号線、正式名「地方主要道柏崎高浜堀之内線」は文字通り、魚野川沿いの堀之内から、日本海側の高浜を結ぶ、比較的長いルートです。前々回通った地蔵トンネルも同じ県道上なんて、ちょっと不思議。


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コース内側の坂は登れなさそう

危惧したとおり、上の写真の断崖へ登るように道が続いています。最初の予定では、コースを逆回りするつもりだったので、この道を登ることについては深く考えてなかったんですよね。ここまで来て、今更引き返すのも癪だし、対して距離が有るわけでもないので登ることに。左から来て、右へ登っていきます。キツいカーブの内側はこんな状態。


photo-080713-25なんとか登り切りました

最後のギアまで使って登ります。こんな時ダンシングで登れないのがBD-1の惜しいところ。まあ、そんな事する目的の自転車じゃありませんけど。もうちょっとで登り切る辺り。山の斜面の奥の奥まで田圃が広がっている様子が見て取れます。


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残念ながら開催日ではなかった

標高300mちょっとのピークを越えて古志南平まで来ました。闘牛場への案内板が立っていましたが、この日は開催日ではありませんでした。残念〜。でも、場所だけでも見ておけば良かったかも。

牛の角突き・・・山古志オフィシャルウェブサイト


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並んだお地蔵様

県道23号線と24号線の交差点、民俗資料館が有る交差点のちょっと手前に並んでいるお地蔵様。7体並んで居たので、最初見たときは七福神かな?と思ってしまいました。でも、真ん中の一体は、明らかにお地蔵様じゃなくて弥勒菩薩坐像か、毘沙門天坐像に見えるなぁ。


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明治40年に建てられた日露戦没記念

お地蔵様の左脇には、日露戦争の戦没者供養の大きな石碑が建っています。それを読むと、この山古志からも多くの出征が有ったことが伺えます。この辺りももっと人が居たんだろうか・・・。


走行経路1道の駅「ゆのたに」から、中山隧道、木籠までの走行経路です。

レポートはVol.2に続きます。



All Photographs by Ryo Masuda 2008.
Took a photograph with IXY DIGITAL 500 by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002.


この記事は[2024.01.08]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp