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風まかせ旅紀行

山形県 鶴岡市・酒田市ポタ Vol.1



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2010年7月18日(日)

折角新潟県内に島流しになっているんだから、隣の県へ足を伸ばしてみよう第2弾ということで(第1弾は富山県)、今回は新潟県の北に県境を接する山形県へ。米沢市天童市辺りは車で何度か行ったことがあるので、今回は日本海側の鶴岡市酒田市を廻ってみることにしました。

今回は、土曜日の午後に新潟県内から鶴岡市へ移動し、その日は道の駅で車中泊。翌日曜日にポタリングして、その日のうちに新潟県内へ戻る、という日程で取材を敢行。17日土曜日の午後、機材一式を積み込んで出発。関越道-上信越道-日本海東北自動車道と乗り継いで新潟県北端の村上市へ。村上市から先は、国道7号を道なりに移動し鶴岡市に入ります。その後、湯野浜温泉庄内空港へ寄り道した後、三川町の「道の駅庄内みかわ」に到着。まだ日没後の明るさが残る時間でしたが、暗くなってから道不案内な土地をウロウロするのは愚策と、さっさと寝てしまいます。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


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道の駅を出発して直ぐ旧道へ

暑くて目が覚めてエンジンを掛けてエアコンを掛けて、エンジンを止めてまた寝て、を何度か繰り返し、寝たのか寝てないのか分からないうちに朝に。暑くなる前に出発しようと午前8時過ぎにスタートします。道の駅のすぐ前を走る国道7号(こっちも旧道になりましたが)を横断し、横山下の旧道と思しき道へ。


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横山の明治天皇横山御小休止所

暫く行くと、明治天皇横山御小休止所の石碑が建っていました。ということは古くからの街道筋だろうという読みは当たったのかな?


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石碑と松の木

明治天皇横山小休止所址の石碑と、傍らに立つ松の木。裏は、この横山の地の名主を務めた菅原家の家屋が建っています。


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蛾眉橋手前の道しるべ

赤川を渡る蛾眉橋の手前に立っている道標。「左さかた乃」は今来た方向。「右きよかわ乃」と読めますが、近くに「きよかわ」の地名が見当たりません。何処の事だろう? 真ん中は読めないんですが「つるおか乃」かな?[左]

赤川に掛かる蛾眉橋を渡ります。明治6年に架橋されるまでは、渡し船による交通だったそうで、渡し場近くは料理屋などが並び賑わっていたそうです。[下]

参考:山形新聞記事-やまがた橋物語-赤川編 第1部【蛾眉橋(三川−鶴岡)】


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蛾眉橋

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鶴岡方面へ進む

文下(ほうだし)を鶴岡の中心部向かって進みます。東工業団地の傍を通り、国道112号を横断して道形町へ。


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羽越本線を越える

鶴岡駅東側の跨線橋で羽越本線を越えます。


鶴岡駅の南口へやって来ました。輪行だったらここで下車するプランかな? 新潟から特急「いなほ」で来る場合ですが。埼玉県内の本拠地からだと、山形新幹線を使えば米沢市山形市方面にはアクセスしやすいですが、普通の土日のみで庄内側を廻るのはなかなか難しいですね。


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朝の商店街

駅前から日吉町、山王町へと伸びる商店街。でも人が居ませんねぇ。そういやまだ朝だったな。


ウロウロしていると、何か古そうな黒い建物に行き当たりました。昭和初期に建てられた織物工場で、今は「鶴岡まちなかキネマ」として活用されているそうです。

鶴岡まちなかキネマ」は2020年5月22日に閉館[2020.08.04]追記
なんと2022年12月に再度復活するそうです[2022.08.16]追記


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内川の旧河道

新内川の支流、というより内川の旧河道を渡ります。地図を眺めると鶴岡城の大外堀として機能していたようですね。

参考サイト:まちあるきの考古学 鶴岡・・・まちあるきの考古学



本町の鶴岡銀座商店街。朝9時前だからなのか人もまばら。手前の看板にある木村屋(お菓子屋さん)は、朝9時からということで、ちょうどお店を開けるところでした。[上]

銀座商店街を横切って鶴岡公園方向へ。鶴岡信用金庫の裏手に、なにか古そうな建物が見えてきました。国の重要文化財に指定されている>旧・風間家住宅でした。今日はゆっくり見ていられないので、先へ進みます。冬に来てみるか・・・。やってるのかな?[左]


その近くに見えてきた赤い塔が目立つ建物は、鶴岡カトリック教会の天主堂。庄内藩家老の邸宅跡に建てられた教会で、これを国の重要文化財に指定されています。


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鶴ヶ岡城跡に来た

鶴ヶ岡城跡の鶴岡公園に来ました。そうか、ここは信州松代の坂井氏が移入してきた城なんですね。大名も転勤があって大変ですな。


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大手門跡から見える庄内神社鳥居

かつての大手門から入ると、正面に庄内神社の一の鳥居が有ります。[左]

庄内神社。米沢の上杉神社に比べるとこぢんまりしています。[下]


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庄内神社

庄内神社の傍に新しく出来た藤沢周平記念館。平成22年4月29日に開館したとのことなので、まだ開館して3ヶ月足らず。しかし訪れる人は多いようで、この日もバスツアーの一行が来ていました。藤沢周平作品は未だに読んだこと無いんですよね。吉川英治作品はほぼ全てを読んだことがあるのですが。


鶴岡公園を出て県道47号線を進み始めると、向かって右側に、なにやら由緒有りそうな建物が。致道博物館に建つ旧鶴岡警察署庁舎でした。明治17年に建てられた物で、お役後免になった後、昭和32年に現在の地に移築されたそうです。


同じ致道博物館に建つ旧西田川郡役所。明治14年に鶴岡が西田川郡となった際に郡の役所として建てられ、明治天皇の東北巡幸の際には宿舎となりました。こちらは国指定の重要文化財。


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住宅街を進む

致道博物館から学校給食発祥の地とされる大督寺の前を通って、光陽町の交差点から、北西に延びる地方道に辿ります。


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追分石のある三叉路

大西町・一本柳の三叉路で湯野浜方面に向かいます。この三叉路は古い街道筋らしく、道標(追分石)が建っていました。


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二つある

傍に設置された案内板を引用すると、

一本柳 追分石
追分とは、道が分かれている所をいい、昔旅する人のために、道しるべとして立てたのが追分石です。
ここには古くなって文字が読みとれないほどにこわれたものと、文政六年(1823年)加ぢ町(今の陽光町)の志須、利助の両名で立てたものとがあり「向かって右は淀川、大山、左は三瀬、あつみ」としるされています。
このような追分石は、ほかにも数箇所にありますが、昔のことを知るうえに大切なものです。

昭和53年10月 平成20年10月改修
社団法人庄内文化財保存会

だそうです。向かって右側にあるほうが古いのでしょうか?


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羽前大山駅方向へ

青々とした田圃を眺めながら、ひとまず羽越本線の羽前大山駅へ向かいます。


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TDK庄内工場脇の廃踏切

TDK庄内工場の脇を進みますが、あれま、やっぱり踏み切りは廃止されているか・・・。直ぐ傍に陸橋が出来たので踏切はお役後免になったようです。情けない脚力の筆者は、僅かなアップダウンも避けるルートを通ろうとするのですが、大体こういうオチになります。


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羽前大山駅

羽越本線を陸橋を越えて、羽前大山駅に到着。駅前に建つ松の木と赤い瓦屋根の駅舎、水色の跨線橋。田舎の駅の標準型といった趣きです。模型のジオラマキットに有りそう。[左]

羽前大山駅から善法寺方面に向かって、駅前の通りを北上します。道沿いにある醸造元の冨士酒造株式会社。「栄光冨士」の名は知っている人もいるでしょうか。[下]



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善宝寺に到着

程なく善宝寺に到着。文久2年(1862年)に再建された立派な山門。


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五重塔

五重塔。これは明治時代に魚鱗一切の供養塔として建てられたものだそうです。


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石段を上がると本堂

山門をくぐり、階段を上がると本堂です。しかし、周囲の杉の木が大きい!


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善宝寺鉄道記念館跡

さて、善宝寺といえば庄内交通湯野浜線を思い出す人も居るでしょうか? 鶴岡駅からここ善宝寺の前を通り、日本海側の湯野浜温泉を結んでいた私鉄で、昭和50年に廃止。鉄道廃止後の善宝寺駅は善宝寺鉄道記念館として利用されていましたが、それも閉鎖され、今は荒れるに任されています。


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風雨に曝されるモハ3

唯一残された当時の車両、モハ3。昭和5年(1930年)に製造された電車。もう80年も経っているのに、未だ電車としての形を保っています。電車の上には、屋根が掛けられる鉄骨が渡してありますが、屋根板が無く、風雨に晒される状態。


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架線柱の残るプラットフォーム

残された架線柱とプラットフォーム。2面2線の駅だったそうなので、こちら側のプラットフォームが鶴岡方面の乗り場だったのでしょうか。


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善宝寺駅跡から伸びる廃線跡

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砂丘を越えて湯野浜へ続く廃線跡

善宝寺駅跡から先、湯野浜温泉までの線路跡は自転車道に転用されています。折角なので途中まで行ってみることに。善宝寺と湯野浜の間にある砂丘を越えるため、結構な勾配で登り出します。[上]

途中まで登ってみました。ここから先、大きく左にカーブしながら砂丘を乗り越えて湯野浜へ向かいます。[左]


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酒田へ向かう

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庄内空港近くまで来た

廃線跡を離れて、県道38号線の裏手にある旧道を北上します。民家の間を縫って進む細道です。車も少ないので安心して走ることが出来ます。[上]

庄内空港の近くまで来ました。ここからは県道38号線を進みます。[左]

新川橋で赤川を渡ります。今朝出発した三川町は、この上流になるんですね。新川橋を渡って直ぐ、また旧道へ入り黒森の中心部へ。[下]


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赤川を渡る

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日枝神社境内にある黒森歌舞伎の案内板

日枝神社の前を通りかかると、なにかの案内板が目に入りました。停まって見てみると、県指定の無形文化財 黒森歌舞伎に関するものでした。日枝神社の隣には黒森歌舞伎の演舞場が併設されています。


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日枝神社のケヤキ 後ろに演舞場

日枝神社境内の立派なケヤキ。後ろに黒森歌舞伎の演舞場がチラリと見えています。


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日枝神社を後にして先へ

日枝神社を後にして、先へ進みます。目指すは酒田市内の山居倉庫です。

レポートはVol.2に続きます。


走行経路1「道の駅庄内みかわ」を出発して、鶴岡城址周辺を経由して善法寺までの経路です。


走行経路2、善法寺から庄内空港の東側を回って黒森までの経路です。


走行経路3、黒森から坂野辺、京田川沿いを走り、出羽大橋で最上川を渡り酒田市街までの経路です。

レポートはVol.2に続きます。



All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.12.03]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp