TOP MENU旅紀行>鶴岡市・酒田市ポタ Vol.2

風まかせ旅紀行

山形県 鶴岡市・酒田市ポタ



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黒森から坂野辺新田へ

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羽前国の字がある八幡神社

黒森を通り抜けて坂野辺新田へ向かいます。東側にバイパスが有る為か、車の通りが極少なく自転車にはとても良い道です。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)

坂野辺新田の八幡神社。羽前国西川田郡の文字が見えます。


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坂野辺記念碑

その、八幡神社の境内にある「坂野辺記念碑」。由来を酒田市教育委員会設置の案内板から引用すると、

坂野辺新田は、広岡新田村の佐藤太郎左右衛門による持続山植林事業により、宝暦十四年(1764)、黒森から移住し、開村したことに始まります。
狢山一円の山林は嘉永四年(1851)と嘉永六年に村で購入しましたが、明治十年と(1877)官有林として編入されてしまいました。このため、村民は明治三十一年に(1898)払下げを願い出ましたが却下されました。再び明治三十八年(1905)、佐藤瀧蔵が行政訴訟を起こし、四十五年にようやく百七町歩余の払下げに成功しました。
この碑は開村当時と払下げに尽力した人々の苦労を顕彰し、大正二年(1913)に建立されました。

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京田川沿いを河口方向へ

最上川と隣り合って流れる京田川の左岸堤防に来ました。最上川最下流にある出羽大橋へ向かいます。


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最上川を渡る

出羽大橋で最上川を渡り、酒田市の中心部へ。あっちのほう、酒田港の先に小高く見えるのは日和山公園でしょうか?[左]

最上川を渡り、酒田港の北側を通ります。この辺りは既に山居町なはず。さて、有名な山居倉庫は何処かな?

国土交通省東北地方整備局 酒田港湾事務所


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酒田港に泊まる漁船

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あの屋根の並び方は!

酒田港から新井田川を少し遡った所に、例の屋根の並びが見えてきました。

さかた散歩=>山居倉庫

明治26年、酒田米穀取引所の付属倉庫として建てられたのが、この山居倉庫。今でもJA全農山形の倉庫として使われています。平成20年には近代化産業遺産に指定されています。


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山居倉庫

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倉庫を取り囲むケヤキ並木

日除け・風除けの為に倉庫の周りを取り囲むケヤキ。ケヤキの作る木陰と、二重屋根の構造によって倉庫の中は低温に保たれています。秋や冬も綺麗だろうなぁ。しかし、冬にここに来るのは大変そうです。


山居倉庫とは新井出川を挟んで対岸の本町にある坂田町奉行所跡。元和8年(1622)に酒田家が庄内に入り、坂田町代官として置かれたのが始まりだとか。


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本間家旧本宅

酒田市内の残る木造建築では最古の本間家旧本宅。明和5年(1768)に本間家3代当主が幕府巡検使の宿舎として建て、藩に献上した後に拝領し、昭和20年まで邸宅として使われました。今日は自転車優先なので、中の見学はまたの機会に。

本間家旧本邸


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本間家別館

道を挟んで隣にある本間家別館。こちらは商売の場として使われた建物。


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鐙屋

酒田市役所の近くに位置する廻船問屋の鐙屋。昭和59年に国の史蹟に指定されました。

旧鐙屋


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新井出川の川面を行く屋形船

新井出川に戻ってみると、おや、川面を行く屋形船が。運行している会社のwebを見ると(レポート掲載当時)、ランチタイムクルーズですかね? しかし、この会社のweb、更新されてないようだが・・・。


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芭蕉ゆかりの不玉宅跡

中町一丁目にある不玉宅跡の石碑。松尾芭蕉が「奥の細道」の途中、ここ酒田で一週間余滞在したのが、ここに邸宅のあった庄内藩お抱え医師の伊藤玄順。


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巡視船「つるぎ」

酒田港に来てみました。ちょうど係留されていた海上保安庁の220t級巡視船「つるぎ」。つるぎ級のネームシップですね。これ以外に5隻が就役中。


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日和山公園の千石船

酒田港近くの日和山公園に来ました。最上川に渡ったとき、出羽大橋の上から見えていた緑の丘がここでしょう。公園の池に鎮座しているのは千石船の模型。模型といっても実物の1/2と、かなり大きい物です。


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明治28年に建てられた酒田港の初代灯台

園内の一角、一番高い所に木造の灯台が建っています。明治28年(1895)に宮野浦(こことは最上川を挟んだ対岸)に建てられ、昭和33年に代替わりした後、ここに移築されたものだそうです。


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園内に建つ河村瑞賢の像

同じく、園内に建つ河村瑞賢の像。江戸幕府の命を受け、東廻り・西廻りの航路を整備した人物として、中学辺りで習ったような記憶が。最上川に関するあれこれは、ここ「最上川電子大辞典」が詳しいですよ。


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酒田港専用線に行き当たった

昼過ぎの暑さと強い日差しを避ける為、日和山公園の売店でソフトクリームを補給しつつ、しばらく休憩。その後、辺りをフラフラしていると線路に行き会いました。酒田港専用線です。


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由緒有りそうな門

踏切の向こうに、古めかしい門を見付けて線路を渡ってみました。一見すると無骨な柱ですがディンテル状の装飾が施されていて、門柱上の照明も洒落ています。しかし古そうだ。何かの施設の正門であろうとは思ったのですが、現地では分からずじまいでした。帰ってから調べてみると、廃止された政府米倉庫でした。

現存する建物と成り立ちについてはここ「歴史を語る建物たち 第9回 旧国立倉庫(酒田市)」が詳しいです。 2013年に解体されたようです。


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国道112号を酒田駅方向へ

政府米倉庫の門を後にして、ひとまず酒田駅へ行ってみる事にします。一旦国道112号(羽州浜街道)に合流し、東方向へ。[上]

途中、90度向きを変える国道112号を無視して、道なりに進むと酒田駅が見えてきました。[左]


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駅前に更地が

駅前一等地に更地発見! いや、駅前が一等地という訳でもないんでしょうね、元々の町の中心部は港に近い方ですし。


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人もまばらな商店街

偶然通りかかった中通り商店街。一番東の方はシャッター街状態。日曜日だから店舗も休みなのか、それとも閉店しちゃっているのか。


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この辺はやや活気がある

ちょっと進んだ辺り。ここ辺はチラホラと開いているお店が有りました。この先に庄内地方唯一の百貨店「中合清水屋」があるのですが、この記事を書いている最中、その全86テナント中64テナントが撤退するというニュースが。

一旦閉店が決まりかけたものの、まさかの存続で今もマリーン5清水屋として営業中との事。

結局、2021年7月15日に閉店となりました。


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酒田から砂越へ

酒田市の中心部を離れ、羽越本線に沿うような形で、砂越駅(さごしえき)方面へ移動。前に見えているのは山形自動車道。


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鳥海山

左手には鳥海山。あれを越えれば秋田県。未だ足を踏み入れた事のない県です。いつか行ってみたいと思いつつ、機会と予算が有りません。


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羽越本線の普通列車

羽越本線の砂越駅まで来た所で、ちょっと休憩。午後の日差しの強い事! 駅前の自販機で水分補給していると、普通列車がやってきました。前を行くのは、お隣新潟県にある新潟トランシスで製造された最新鋭の気動車キハE120。


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砂越城跡本丸公園

砂越城跡本丸公園の案内板を見掛けて立ち寄ってみる事に。ハッキリとした築城時期は不明ですが、一説には久寿元年(1154)とも。奥州藤原氏健在の頃ですな。


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ハッキリと残る土塁

慶長6年(1601)には廃城になってしまったそうですが、土塁や堀がハッキリと残っています。


砂越城跡から庄内大橋で最上川を渡り、余目駅に来ました。後に見える白いドーム状の物は、羽越本線脱線事故を契機に設置された気象用ドップラーレーダー。


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余目駅近くの農業倉庫

駅近くに建つJA農業倉庫。山居のそれより時代は新しい感じですが、なかなか立派な倉庫です。


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梵天塚古墳

余目駅から、出発地点の「道の駅庄内みかわ」に戻るべく、田圃を突っ切るようなルートを走ります。余目駅から少し離れた梵天町まで来たとき、なにかの案内板が立っているのを見付けて立ち寄ってみました。

梵天塚古墳(町指定文化財)・・・Navi庄内町


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木の根本に立つ案内板

それは、梵天塚古墳の案内板でした。上の写真の中央、道より一段高くなっている辺りが古墳らしい。


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傘のように広がる「地蔵の松」

eTrexの示す地図を見ながら道を辿っていくと、住宅街と田圃の境に立派な松が立っていました。山形県指定の天然記念物「払田の地蔵の松」でした。現地の案内板によると、

備前の国の池田侯の一族といわれる人々が、鳥海山のふもとに来て、その地を開拓したが、山崩れにあったため、本町福原付近に移住したところ、今度は、洪水にあり田畑を失った。そこで三たび移りこの地を「払田」と名付けた。この松はそのころ植えられたといわれる。後に庄内藩主酒井侯のもとめにより藩邸に移植されたが、夜な夜な女の泣き声を発するので気味が悪くなり、六面地蔵を添えて植えもどした。それからこの松を地蔵の松というようになった。

払田の地蔵のマツ(県指定文化財)・・・Navi庄内町


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雪国の平野部でよく見掛ける

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振り向くと鳥海山

田圃の真ん中の道を進みます。道の片側には地吹雪除けの柵が設けられています。シーズン外なので、ブラインドの部分が外されていますが。[上]

「道の駅庄内みかわ」近くまで戻ってきました。後ろを振り返ると鳥海山。どこからでもよく見えていました。山頂近くに白く見えているのは雪だろうか?[左]


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なの花温泉「田田」

「道の駅庄内みかわ」に戻って、装備を片付けた後、同じ敷地にある「なの花温泉「田田」」でひとっ風呂浴びることに。宿泊施設も併設されているので、泊まり掛けでの車+自転車ポタの周辺観光に便利かも。


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午後4時過ぎ 帰路に着く

午後4時過ぎ、「道の駅庄内みかわ」を出発して帰路に着きます。日本海に日が傾きつつある風景を堪能しながら、国道7号を南下して新潟県内へ。


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新潟県内で日没を迎えた

新潟県内に入ってからも、暫く国道7号を南下。聖籠新発田ICから高速道路に入り、途中事故渋滞で足止めを食らいましたが、午後9時には長岡市内の前線基地へ帰還。

自転車を連れて山形県に行ったのは、これが初めて。特に庄内地方は行くのも初めての土地でしたが、なかなか収穫の多いポタリングとなりました。あえて難を言えば、春か秋にしたほうが良かった、暑かった〜(笑



走行経路4酒田市街地を巡った経路です。


走行経路5酒田市街から砂越駅を経由して、庄内大橋を渡り余目駅までの経路です。


走行経路6余目駅から田圃を突っ切るように吉岡・長沼を通り、「道の駅庄内みかわ」に戻りました。


ルートプロファイルです。走行距離は80km弱でした。

GPSログはこちら「log20100718_0.gpx」です。カシミール3DGoogleEarthでご覧下さい。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)



All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.12.03]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp