風まかせ旅紀行
新潟県 仙田・高柳・石黒界隈ポタ Vol.2
坂道を登って見えてくるのが荻ノ島松尾神社の二本杉。柏崎市の天然記念物に指定されています。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
黄色い稲穂が広がる荻ノ島の風景。もう暫くして収穫が終わると、ぐっと寂しい風景になるなぁ。[上]
荻ノ島から南側に延びる道で12号線へ戻ります。下に見えるのが鯖石川と主要道12号線。もうちょっと行くと門出の集落。[左]
門出集落を通過します。石黒へ向かう道沿いでは一番大きな集落でしょうか? しかし、ここにある門出小学校も平成24年3月末で廃校となりました。[下]
門出集落から更に進むと左手に赤い水門が見えてきました。鯖石川ダムです。道なりに主要道12号線を進めば松代に出ることが出来ます。それは今年4月末に通ったルート。[上]
今回は鯖石川ダムから西へ県道275号線に入って石黒集落を貫く国道353号を目指します。275号線に入ると直ぐに中ノ坪雪覆道が現れます。[左]
地図を見ると、雪覆の右側は標高差100mを越える急斜面。冬季は雪崩必至な場所なのでしょう。
そろそろピークだろうか・・・。これから向かう石黒集落まで延びる、この車道が出来たのは昭和26年の事。
それまで集落外に出るには、釜坂峠か地蔵峠を歩いて越えるしか方法が無かったそうです。この厳しい地形を見るとさもありなんという感じです。
難所を過ぎて2車線になった275号線、寄合集落を通過します。
石黒川を越える橋から見える旧橋。国土地理院の地形図には現役の道のように書かれています。車道開通当初のものではなく、その後に作られた初代の永久橋(コンクリート橋)でしょうね。
こちらも現役さながらに残る旧道の橋。旧道沿いにある送電線の巡視にも使われるのか、前後の道も特に荒れた様子はありません。その旧橋の向こう、川の中に何か見えています。
望遠で覗いてみると、コンクリートで固められた石積みでした。これは車道開通当時の橋脚跡でしょうか? 1974−78年の空中写真を見ると、旧道の更に東に道跡らしき筋がうっすらと見えるのですが。
下石黒集落に差し掛かりました。昭和40年には石黒集落全体で282戸、1300人超が住んでいたそうですが、今はその1/10近い人数まで減少しているそうです。
右側、杉の木の向こうには稲架掛けの準備がされていました。
国道353号との合流地点が見えてきました。あの標識に従って国道353号を左に行くと、大概の人はビックリするだろうなぁ。
現道と旧道のY字路の片隅に、昭和26年の車道開通を記念する石碑が残っていました。
開通当時、この記念碑の前に大勢集まってお祝いをした写真が残されています。石碑基部の様子が少し違うようですが、開通当時は別の場所に建っていたんだろうか?
上石黒の国道353号に入って小岩トンネルを目指します。
小さな沢を渡る橋の上から見た、ススキの海に点在する上石黒集落の民家。下の掲載されている写真とほぼ同じ位置のようです。中央と、右側の民家は変わってないようですね。
上石黒集落センターで一休み。後ろに見える民家もシッカリと手入れされていますが、庭先の草をみる限り定住している様子は無いですね。
集落センター前の花壇に咲く花。綺麗に手入れされておりました。
上石黒集落を後にして、小岩トンネルへ向かってゆるゆると登ります。標高差は70m程。写真は上石黒集落方面を振り返ってみた所。
行く手に壁のように見えるのは、鷲の巣山と黒姫山が繋がる尾根。ここを越える車道は、この国道353号が出来る1992年まで有りませんでした。[左]
程なく小岩トンネルの前に到着。トンネルの長さは1400m超で、自転車で通過するトンネルとしては過去最長。交通量は極少なく、片側ですが歩道も用意されています。歩道があるということで、今回のポタリングでこのトンネルを通るルートを立案したのです。[下]
途中、トンネルの中の暗さを利用してヘッドライトの角度調整なぞやって、逆に長いトンネルを楽しむようにノンビリと移動して北側に出てきました。トンネルを出ると、そのままスノーシェッドになります。その先、柏崎市街地を目指すように開通記念碑が建っていました。
尾根の向こう、ちょこんと見えているのは米山。この山が見えると柏崎市に来たな、という気がします。
道なりに折居、餅粮の集落を通り抜けて、地方道13号線に合流します。13号線は桜坂峠からの下りで一度走ったことのある道です。
国道353号をちょっと外れて、鵜川の田圃の中を散策してみます。
田圃の向こうの刈羽黒姫山。通ってきた高柳町岡野は山頂を挟んでちょうど向こう側。刈羽黒姫山の南側を半周してきたのですね。鵜川といえば、写真の左手前に見える丘陵部に、1998-99年シーズンまで鵜川スキー場があったそうです。ちょっと古いツーリングマップルを見ていて、スキー場のマークが有る事に気が付きました。
国道353号に戻って中山峠を越えます。鵜川側から行くと、ほんのちょっと坂道を登るだけ。[上]
標高差100m余りを駆け下って熊谷集落のバス停で一休み。この辺りが丘陵地帯と平野の境目になっています。[左]
次に向かうのは城山トンネル。暫く国道353号を北上した後、旧道らしき道筋に入ります。
主要道でも何でもない所に穿たれたトンネルで、もしかしたら古くて狭いのだろうかと心配したのですが、そんな事はありませんでした。とは言え1.5車線という感じですね。古くは明治の頃から構想があり、昭和30年代には人力に依る掘削が試みられたそうですが、開通したのは1994年だそうです。
トンネルを抜けて細越集落の先へ出ると、稲穂の向こうに刈羽黒姫山が見えました。ここは収穫が始まっていました。[左]
ここの田圃は1枚が大きいですね。この農道も向こうの端まで900m位有りました。[下]
こんな田圃風景を眺めながら尼が額峠へ向かいます。尼が額峠をこちら側から登るのは初めてです。
尼が額峠の登り道。片峠のイメージが有ったのですが、どうして中々こちら側の登りもキツイ。
売り切れ寸前の脚でなんとか尼が額峠を越えて、鯖石川沿いに戻って来ました。
市道の小さな橋で鯖石川を渡り、川の右岸にある県道252号線を北上。次に向かうのは、毎度お馴染みの塚山峠です。[左]
少しだけ国道291号に合流し、北条駅前を通過。そのまま道なりに直進して地方道72号線に入り、信越本線沿いに走って塚山峠を登ります。ここを登るのは何度目だろうか?[下]
何とか停まらずに塚山峠を越えて、塚野山の三波春夫氏之像に来ました。ここへ立ち寄るのは久し振り、のような気がする。今年の春に来たっけ?[上]
以前から気になっていた農免農道東谷塚野山線の東谷トンネルを抜けて、越路原の南西にある蔵王川沿いの細道を進みます。阿蔵平集落を通り過ぎ、結構な急勾配を登ります。[下]
後ちょっとという所で、尼が額峠でガス欠ランプの付いた脚が、とうとう動かなくなってしまいました。他にどうしようもないので、押して歩きました。その傍を車が行ったり来たり。こんな所を通る人が結構居るんだな〜と、その時は不思議だったのですが、後でその理由が判明。この日は片貝の花火だったんですね。[上]
越路原から片貝中学校の脇へ降りる県道236号線が工事の為に通行止め。ちょっと遠回りしてようやく県道411号線に降りて、後は一路、山谷から平沢、城内を通り、旭橋へ出ました。日没前に道の駅「ちぢみの里おぢや」の駐車場に到着出来てホッとしました。[左]
結構疲れたので、片貝の花火を見物すること無く、そのまま埼玉への帰路に着きました。晴天とはいかなかったけど、陽射しが無くても結構暑かったから、逆に助かったでしょうか?
走行経路4、小岩トンネルを抜けて鵜川、中山峠、城山トンネル、水上まで。
走行経路5、水上から尼が額峠、鯖石川を渡って鯖石川右岸、北条駅前まで。
走行経路6、信越本線沿いに塚山峠、三波春夫氏之像、東山トンネル、阿蔵平集落を通って越路原へ。
走行経路7、越路原から片貝に降りて山谷、旭橋で信濃川を渡り、道の駅「ちぢみの里おぢや」に戻りました。
GPSログはこちら「log20120909_0.gpx」。カシミール3DやGoogleEarthでご覧下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
ルートプロファイルです。走行距離は約112km、累積標高は約2,300mでした。道理で脚に来るわけだ。
All Photographs by Ryo Masuda 2012.
Took a photograph with FINEPIX F300EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.11]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp