風まかせ旅紀行
新潟県 赤泊-小木-宿根木ポタ Vol.1
2012年09月29日
ある日、いつものように仕事そっちのけでWWWの海を漂っていると、佐渡にある宿根木という集落の町並みついての記事を見かけました。佐渡ヶ島か・・・。新潟県へは幾度と無くポタリングに出掛けていますし、そもそも住んでいた事もあるのに、佐渡ヶ島は海の向こうに眺めるばかりで行ったことが無いのです。
寺泊港からの高速船を使えば、新潟港からのジェットフォイルほど高くないし、フェリーほど時間もかからない、おまけ寺泊港内の駐車場は無料。いきなり一泊はハードルが高いが、関越道+高速船のハイブリッド輪行なら日帰り出来そうなので、思い立ったが吉日で行ってみることに。金曜日、少し寝てから早朝に移動しようと思っていたのですが、中々寝付けず。なら、夜のうちに移動しちゃって向こうで仮眠しようと出発。深夜の関越道をスイスイと移動し、道の駅「良寛の里わしま」の駐車場で一眠りしました。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
午前8時半過ぎ、寺泊港の佐渡汽船のりばに到着。チビ輪バッグに入った3号車ことBD-1とウェストバッグ、ヘルメット等を車から降ろします。
港には、停泊している佐渡汽船の高速船「あいびす」。これに乗ります。ネットから予約しておいたので、窓口で直ぐに乗船券を購入して乗る準備は完了。
この寺泊-赤泊航路は2019年5月で廃止になりました。残念。
1Fの座席はご覧のとおりガラガラ。3人掛けシートが3列に並ぶ様は、電車というより航空機のよう。2Fのカーペット席の方が人気があるようですね。
午前9時15分、定刻通り寺泊を出港しました。佐渡・赤泊港まで小一時間の船旅です。
午前10時20分、佐渡・赤泊港に到着。初めての土地は、期待感よりも不安の方が大きいのです。輪行を初めてから20年以上経ちますが、今でもそれは同じ。
赤泊の佐渡汽船のりば前で輪行を解き、午前10時30分には出発準備完了。この航路、この時期は1日1往復しかないので、帰りの便を逃すと翌夕方になるまで帰る事が出来ません。しかも翌日は台風の影響で運休の見込み。なので午後4時前には、必ずここに戻らなければなりません。今日は余り欲張らずに、当初の目的である宿根木へ行って帰る事が優先です。
早速出発して主要道45号線「佐渡一周線」で小木方面へ。左折すると、その佐渡一周線。ちょっと奥に行くと旧道のようですが、戻ってきて時間が有れば寄ることします。
左に海、右に丘陵を眺めながら南へ。ここは道路から直接海に飛び込めそう。[左]
ちょうど稲架掛けをやっている様子を見ることが出来ました。[下]
頸城丘陵の中ではよく見る風景ですが、これだけ海沿いにある稲架掛けは初めて見ました。海風で直ぐに乾燥しそうですね。
流石佐渡、という案内板。佐渡国際トライアスロン大会のバイクパートの距離標です。佐渡国際Aタイプはバイクパートだけで190km(佐渡一周)もあるんだそうで・・・。
通り掛かる車も少なく走りやすい道です。ただ、やっぱり向かい風。
岩の上に何か建っているのを見掛けて停車。月山、湯殿山、羽黒山の名前を刻んだものでした。それぞれ別々のものは珍しくないのですが、出羽三山を1つに刻んだのは初めて見ました。
海の向こうに見えるのは、出羽三山ではなくて弥彦山・多宝山と北の方に角田山。
大杉集落に入る手前に短いトンネルが見えてきました。このトンネルの左側(海側)に旧道と旧トンネルが残っているのです。帰り道はそちらへ入ってみましたので後ほど。[左]
いい眺めなので、ついつい止まっては写真を撮ってしまいます。ああ、時間が決まっているというのに。[下]
赤岩集落にある旧道トンネル。直ぐ手前は赤岩荘という民宿。岩の外側を回るよりも岩を穿つことを選んだという事は、現道辺りは海だったという事でしょう。
先に見えるのは野崎鼻。現道は野崎トンネルでパスしていますが、ここも海側に旧道が見えています。[左]
ひとまず現在の野崎トンネルを通り抜けて、旧道を振り返ってみます。旧道のトンネルは塞がれていますが、ご覧の小ささ。これじゃ大型トラックの通行は無理だな。そして、その更に海側に旧々道らしき道筋が残っていました。これは完全に徒歩のみ通した感じですね。[下]
佐渡一周線を順調に進みます。こんな道ならロードレーサーを持ってきても良かったな。
行く先に羽茂港、更にその先に小木港が見えてきました。
道沿いに瓦屋根の大きな建物が並んでいました。
ちょっと羽茂港に寄り道してみようと、先の建物の裏手に回ってみると、半壊しておりました。ありゃりゃ。解体途中って事は無いよね?
港傍にあるJA羽茂(はもち)のおけさ柿選果場。最近は柿だけではなく、西洋ナシも栽培しているそうです。西洋ナシは、本州側の白根から三条にかけても栽培が盛んですね。
佐渡一周線に戻って、さっき半壊していた建物の正面辺りへ。株式会社マルダイという味噌屋さんでした。
この会社、2005年に解散し子会社だったマルダイ味噌販売会社は現在ハナマルキの傘下のようです。
道の反対側には事務所らしき建物。これも歴史が有りそうな建物ですね。
小木まで来ました。ここまで来れば目指す宿根木までは、後4,5kmといった所でしょうか。住宅街を分断する用水路状のもの。昔の航空写真にGPSログを重ねて見ると、かつての防波堤のようですね。向こう側は埋め立てなのか。
国道350号に合流し小木港方面へ。写真は来た道を振り返ったところ。左側はガソリンスタンド跡でしょうか。
国道350号に面して建つ、かなり大きな長屋。写っているだけでも5世帯分有るでしょうか。表が各戸に改築されているので、ひとつの建物に見えないのですが、屋根を見ると全て繋がっています。
交差点に建つ、一際目立つ5階建ての建物。国の登録有形文化財になっている喜八屋旅館。元々は切妻造の2階建て(明治38年)だったものを、昭和3年に展望をより良くするため上3階を増築し、この形になったそうです。この喜八屋旅館、今年(2012年)2月に破産したそうです。
小木港のフェリー乗り場が見える所に来ました。ここで今日最初の休憩です。
佐渡市小木町は佐渡の金銀の積出港、北前船や西廻り航路の寄港地として栄えた港町です。商業を中心に賑わい、佐渡では珍しい歌舞伎も行われていました。[左]
海運資料館の庭に転がっている石材。何かというと、函館の五稜郭になり損ねた瀬戸内海産の花崗岩なのだそうです。[下]
海運資料館と道を挟んで隣にある、幸丸展示館の中に保存されている佐渡海峡最後の和船「幸丸」。寺泊の「長谷川勘右エ門家」が所有していた船で、昭和15年に建造され、昭和36年までの21年間運行されたそうです。[上]
寺泊からは日用品を、小木港からは、木炭・薪・真竹・干物・海藻類を運んだとのこと。全長16.8m、全幅4m。純粋な和船ではなく、洋式帆船の長所も取り入れた構造になっているそうです。へぇ。[左]
小木港から南に向かって半島状に突き出ている城山の、付け根にある木崎神社。[上]
慶長14年(1609年)、時の佐渡奉行大久保石見守長安が、金銀輸送の航海安全を祈願して勧進したもの。拝殿は明治22年の改築だそうです。航海安全ということもあってか、彫り物に波の紋様が目立つ気がしますね。
境内にある、拝殿同様に歴史の有りそうな建物。社務所の跡だろうか?[左]
木崎神社から真っ直ぐ進みます。丸いポストと古い建物の組み合わせ。風情ありますね。先の道路案内に「宿根木」の字が出てきました。[下]
レポートはVol.2に続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2012.
Took a photograph with FINEPIX F300EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.11]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp