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風まかせ旅紀行

新潟県 赤泊-小木-宿根木ポタ Vol.2



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45号線で宿根木方面へ

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それ程古いものではなさそうだが

45号線の案内に従って宿根木方面へ。切妻造りの建物が並びます。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)[上]

2階の高さで古さが分かる、と何処かで読んだ記憶がありますが、とすると、どの建物もそれ程古くはないようですが、平入りで並ぶ様は趣があります。[左]


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大正時代の小木郵便局跡

少し洋風的な古い建物。昔の郵便局の跡でしょうか。1階の右側にも窓が有った形跡が残っていますね。左右対称だったんだろうな。

レポートを書く段になって調べてみたら、やはり大正時代の小木郵便局跡だそうです。こんな良い資料があるなら、行く前に調べておけば良かったと反省。いえ、また訪れる大義名分が出来たということにしましょうか。


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三味線堀跡の道に設置された案内板

45号線の一本海側の道に設置されていた案内板。なるほど、かつてはこの辺りが船溜まりだったんだな。[左]

折角なので小木漁港に出てみました。右に見える岬が弁天崎。弁天崎と城山が天然の防波堤になっている入江なのですね。[下]


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今の小木漁港

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海沿いから台地の上に

小木港から一挙に30m余りの丘陵へ上がります。海のすぐ近くとは思えない風景になりました。


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小木民俗博物館前の案内板

佐渡国小木民俗博物館の前に設置されている「宿根木周辺ご案内」の案内板。この先、左カーブで谷へ降りていけば宿根木です。


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宿根木郵便局

宿根木の郵便局。町並みに合わせて石置き屋根になっています。先代と先々代の郵便局の建物は、集落内に残されています。[左]

県道から見た宿根木の町並み。なるほど聞いた通りの密集具合です。[下]


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県道からみた宿根木

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かつては沢山の船が繋がれたであろう港

宿根木の港。何やらポツポツと建っている石材は、廻船を繋いでおくためのもの。[上]
宿根木の路地をチラッと覗いてみました。おお、狭い。[下]

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狭い路地

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バス待合所にある案内板

さて、集落に入る前に「宿根木地区ご案内」を見ておきます。称光寺川沿いの狭い平地に、文字通り肩を寄せ合うように家々が建っています。


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先代の郵便局

角に建つ先代の郵便局の建物。集落の中では唯一のコンクリート建築でしょうか?[左]

3号車と共に路地に入ってみました。右は先々代の郵便局の建物。辺りで唯一の洋風建築らしいのですが、路地がご覧の狭さで全景が見えません。[下]


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全体が見えない先々代の郵便局

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水路の石橋

水路に掛かる石橋。石橋一つ取ってもかつての繁栄ぶりが分かります。後ろに見えるのが有名な三角屋。


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船主の邸宅

一般公開している清九郎宅。元は船主、有田久四郎の邸宅だったそうです。外見は質素な板張りですが、中は大変立派な作り、だそうです。今回は中の見学はパス。一泊して時間が有ればなぁ。

[寄港地(2)]佐渡・宿根木村(しゅくねぎむら)―1帆船から学ぶ海と日本日本財団図書館


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石敷きの路地

石敷きの路地。3号車を見ても分かる狭さ。現地では気にも留めなかったのですが、もしかすると右側の側溝まで石造りだろうか?[左]

三角家の路地に戻ってみました。なるほど三角形だなぁ。この日は一般公開しておりました。この年(2012年)から公開を始めたようです。[下]


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有名な三角家

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宿根木公会堂

三角家の更に奥に立つ昭和33年築の宿根木公会堂。大正期に建てられた旧公会堂と位置・規模などほとんど同じに作られているそうです。[左]

民家の前に何気なく掛かるこの石橋「念仏橋」。船主・高津勘四郎によって安永5年(1776年)に寄進されたものだそうで、石材は瀬戸内海から運ばれた物。橋を渡った先の奥に見えるのは共同井戸。[下]


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念仏橋

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中央がすり減った石段

その共同井戸の右脇を、段丘上の集落へ向かって延びて行く石段。段丘の上にまで集落が増え、上に住む人達が水を運び上げたのがこの石段。


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白山神社

白山神社。入口に建つ石造りの鳥居には安永2年(1773年)の年号が刻まれているそうです。そして石材は、やはり瀬戸内海のもので、念仏橋と同じく船主・高津勘四郎の寄進。


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屋号「伊三郎」邸

屋号「伊三郎」邸。明治24年に建て始められた母屋ですが、その途中で親子2代が海難に遭い、未完成のまま使われていたそうです。大修理の末、平成5年に完成形になったとか。


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軒下に注目

軒下飾り。扇を模した形に姓の一文字「石」を彫ってあります。今は民宿となっているようです。[左]

一客一亭の御宿 伊三郎・・・さど観光ナビ

集落を一巡りした後、港に来てみました。3号車の直ぐ後ろに立っているのが船繋ぎ石。駆け足だったけど、ひと通り見ることは出来たかな?[下]


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宿根木の港

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宿根木小学校

さて、ぼちぼちと赤泊港へ戻ることにしましょう。段丘を登って再び佐渡国小木民族博物館の前を通過。この博物館、正面の建物が大正9年に建てられた旧宿根木小学校の木造校舎であり、それ自体が大きな収蔵品といった感じ。[左]

小木までの道は、こんな感じで丘の上のアップダウン。海が近い感じがしません。[下]


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小木までは丘の上

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向こうからバスが来た

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この看板、バリエーションが有るらしい

小木の街まで戻って来ました。どこかで昼ご飯にしようかな〜とキョロキョロしながら進んでいると、向こうから路線バスがやって来ました。[上]

小木港ターミナル近くで見掛けた、クスっとくる交通安全の看板。左側にちらっと水路のようなものが写っていますが、ここがかつての波打ち際のようです。現在の小木港ターミナルビルがある辺りは埋立地なんですね。[左]


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遅めの昼ご飯

佐渡汽船小木港ターミナルビル1Fの片隅にある軽食コーナーで、今日最初で最後の本格的な補給。岩のりラーメンを選んでみました。そういえば以前、直江津港ターミナルで食べた岩のりラーメンもこんな感じだったな。


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旧道トンネルへ行ってみる

往路にパスした旧道に入ってみました。此処も旧トンネルの海側に、道筋らしき平地が続いていますね。さて、正面の旧トンネルは抜けられるのだろうか。


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下の広場らしき辺りにも船があったようだ

旧道から振り返った大杉の集落と港。1974-78年の航空写真を見ると、現道辺りまで引き上げられた船らしき影が見えます。ここも沖に拡張して道を通したのでしょう。[左]

多少荒れていたものの、難なく旧トンネルを通り抜けることが出来ました。全身錆を纏ったガードレール。海の向こうには弥彦山が見えています。[下]


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錆びついたガードレール

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南新保集落の旧道

南新保集落の旧道。1974-78年の航空写真には、海側の現道が未だ見えないので、この通りが島一周道路の一部だったのですね。[上]
帰りの高速船まで、1時間余りを残して赤泊に戻って来ました。折角なので赤泊の旧道も散策していくことにします。赤泊は、佐渡と本州を結ぶ最短航路の港町として発展し、金の出荷経路が北国街道から三国街道へ変わった事と相まって、その頃に一時期を築いたようです。ただ大型船が入れない港であった事から、その後衰退。次の発展の機会は「松前稼ぎ」と言われる出稼ぎに依るものであったといいます。[下]

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赤泊の旧道

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各家其々に個性的

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赤泊漁港

平入り・妻入り、土蔵や洋風建築まで混在する通り。少し奥の方に塔のような屋根を持った建物が、「松前稼ぎ」で成功し地元赤泊の基盤整備に尽力した田辺九朗平氏の邸宅。[上]

漁港。ベニズワイガニ、甘エビ、イカ等が良く採れるらしい。カニかぁ〜お腹すいたなぁ。[左]

寺泊に到着した時から気になっていた、丘の上の展望台「城の山(じょうのやま)公園展望台」に登ってみました。左がついさっき写真を撮った漁港、右にフェリー乗り場。この「城の山」は天正年間、本間対馬守高貞の弟、本間三河守高頼が居住してたとされる城跡です。[下]


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展望台から港方向

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旧道を上から眺める

同じく展望台から見た南側。旧道沿いに建物が並んでいる様子が良く分かります。ここから見ても平入りと妻入りの建物が混在しているのが分かりますね。何となく山側の方が妻入りが多いような?


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展望台北側

展望台の北側。正面に見えるのは赤泊小学校。その裏に続く山々の深いこと。真野や両津へ行くには、海沿いに大きく迂回するか、この山々を越えていかねばなりません。ひょいっと来て、両津まで往復、というのは中々難しそう。


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3号車チェック中の猫師匠

展望台から降りると、3号車の周りに2匹の猫が屯しておりました。うち1匹は自転車に興味津々のようで、逃げもせず3号車をチェックしておりました。

「なかなか珍しいのが来たニャ」


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駆動系に関心がお有りで?

「どうですか師匠。実はこの前、安曇野ポタの際に風で倒れて以来調子悪いんですよ、リアディレイラに横荷重掛かっちゃったんで」

「ふーん、どれどれ」


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なにか言いたそう

「ダメだにゃ、整備がなっとらんにゃ」

なんていうセリフを付けたくなる程に、何か言いたげです。セリフは兎も角、安曇野でぶっ倒して以来、リア変速の調子がちょっと悪いのは本当。リアハンガー曲がったかなぁ? コイツも10年選手なので、そろそろ部品供給に不安があります。


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丘の上に見えるのが展望台

時間を見て、フェリー乗り場に移動。丘の上に見えているのが、「城の山公園展望台」。


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定刻通り出港して帰路へ

帰りも定刻通りに出港して寺泊へ。短い滞在時間でしたが、目的の宿根木の街並を見ることが出来たし、なんといっても初の佐渡上陸を果たしました。今年中にもう一度訪れるのは難しいので、次は来年の春以降かな。今度は1泊して真野や両津の方へも行ってみたいですね。


走行経路2、野崎鼻から小木港まで。


走行経路3小木港から宿根木まで。

GPSログはこちら「log20120929_0.gpx」。カシミール3DGoogleEarthでご覧下さい。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


ルートプロファイルです。走行距離は約48km、累積標高は約760mでした。



All Photographs by Ryo Masuda 2012.
Took a photograph with FINEPIX F300EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.11.11]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp