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風まかせ旅紀行
九州4県+広島放県浪 1日目 福岡県・博多駅前〜佐賀県唐津市
2014年4月25日(金)
かつて1号車で何度か輪行した経験の有る九州。父方の祖父母宅が有る関係で本籍上は故郷なのですが、遂に一度も住んだことの無い故郷・・・。いや、今後どうなるか分からないけど。祖父は随分前に他界し、祖母もつい先年、齢百で他界。そのどちらの葬式にも出られず、何となくモヤモヤしていたのです。そんな理由で今回の旅先は九州。
九州へ行くとなると、空路か鉄路。フェリーも検討しましたが、輪行し易さと財布とを慮ると、やはり鉄路か。とはいえ、帰省ラッシュの中に輪行バッグで突入するのは宜しくないな。という事で大型連休前日の金曜日、有給休暇を使っての平日スタートとしました。埼玉県内の最寄り駅を始発で出発し、東京駅から新幹線で一路西へ。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
お昼ちょうどに博多駅に到着。到着したホームの反対側には熊本駅行き「つばめ」が停車していました。九州新幹線の開通を実感。
博多駅前で5号車を組み立てて、住吉通りを西に向かいます。こんな大都市の中を走るのは初めてかも。
那珂川を渡ります。この辺は何故か見覚えが有るんだよなぁ。何故だか分かりませんが。[左]
住吉通りから、西鉄天神大牟田線の薬院駅の下を通って、県道31号線の大正通りへ入ります。道なりに行っても良いのですが、折角なので福岡城跡を見学。[下]
福岡城跡を見た後、更に西へ。地下に地下鉄空港線が走る明治通りに出て、そこから少し海側に入り込んだ所に残っている元寇防塁を見ていきましょう。昭和6年に建てられた石碑が出迎えてくれました。
福岡には何回か来ているけど、元寇防塁を実際に目にするのは初めてです、たぶん。今は福岡タワーの先の波打ち際まで1.2km以上離れていますが、1970年代の航空写真では350m。元寇の当時は直ぐに波打ち際だったのか。
百道1丁目に続く元寇防塁。住宅街の真ん中を松が波打ち際のように並んでいて、ちょっと不思議な光景です。
筑肥線に沿うように進んで、下山門駅近くの生の松原まで来ました。福岡の中心部からちょっとだけ離れて、少し走りやすくなって来ました。[左]
松原が途切れた、と思ったら唐突に海沿いに出ました。普段、地元では田圃やら丘陵ばかり見て走っているから、海沿いを走るのはとても新鮮でテンションが上がります。福岡湾だ! いや博多湾かな? 地理院地図だと両方とも書いてあるんですよ。[下]
長垂山の裾野を回り込んで今宿。走ってきた車道からY字になって海側へ別れていく細道へ入ってみると、旧唐津街道でした。[上]
その今宿の中心にある、藤棚が綺麗な二宮神社。直ぐ裏は海岸のようなのでちょっと寄り道してみることに。[左]
二宮神社裏の海岸。白い砂、碧い海、青い空![下]
向こうに見えるのは熊古島でしょうか。
白い砂浜、青い海、その向こうに都会のビル群。いやぁ日本にもこんな風景の場所が有るなんて!と素直にビックリ。右側から延びているのが長垂山の裾。あの先っぽを通ってきたのです。[左]
福岡タワーと、その向こう、ビルに隠れて見えている銀色の円形は、ドームかな? 左端に観覧車が見えていますが、それのほうが手前にあるらしい。[下]
素晴らしい藤棚。こうなると、棚が傷んだからといっても、補修も交換するのも難しそう。[上]
今宿から、国道202号線の北側を大回りするように路地を辿って、周船寺三丁目。[左]
筑肥線・周船寺駅近くで、商店がポツポツと並んで続く旧道らしき道筋に戻ります。
旧道らしき道筋はT字路に突き当たって終了。国道202号線に合流して、暫くそのまま国道を進みます。ついでに道沿いのコンビニで今日2回目の補給。
加布里駅手前で国道202号線を離れて、その加布里駅の裏へ続く細道へ。ルートを考えている時に、釜塚古墳の表記を見て、折角なので立ち寄ろうと思ったのです。案内板に発掘調査時の写真が有りました。
上の写真にある道路から見るとこんな感じ。良く残ったものです。当初は2段か3段だった、と考えられているそうですが。誰が何の理由で段数を増やしたんだろう?
釜塚古墳の脇の道をそのまま進んで畑の中に出ました。博多駅を出発して、初めて市街地を脱して田舎の風景になりました。[左]
田圃には蓮華草の小さな花がチラホラ。画面の右から奥に消えていくのは筑肥線。向こうに見えるのは脊振山地かな?[下]
国道からも県道からも離れて、田圃の中の農道を走ります。水の張られた田圃の向こうに土手のように見えるのは、福岡前原道路と二丈浜玉道路との間の国道202号線バイパス部分。[上]
唐津街道・深江宿に入りました。右の石灯籠は天保3年(1832年)建立。左の八百屋さんは宿場跡。という事を、このレポートを書く段になって知りました。そういえば写真左端に「梅屋宿場跡」という標柱が写っています。[下]
再び海沿いの国道202号線を走ります。車は有料道路の方へ行ってしまうのか、ぐっと走りやすくなりました。
旧道敷きを利用した「福井パーキング」に通り掛かったので、ちょっと休憩。
唐津線・大入駅の手間で右手に別れる旧道へ。小さな川の河口に作られた古そうな石積み。唐津街道時代から変わってないのかも。
大入駅から福吉駅の間、国道202号線の直ぐ隣を筑肥線が走ります。
福吉駅の手間で、また右手に別れていく旧道へ。建て屋の直ぐ隣に水路があり、降りられるようになっていました。かつては水路が広くて船が着けられたのだろうか?
福吉駅の先、花立峠を登るのが唐津街道なのだそうですが、今回は街道トレースが目的では無いので、海沿いの展望を求めて国道202号線へ。途中「二丈パーキングエリア」で写真タイム。向こうに見えるのは姫島。[上]
ここ姉子浜は鳴き砂なんだそうです。折角なので波打ち際に降りてみました。画面左にぼこっと出ているのが串崎。[左]
串崎を回り込むと、向こうに高島が見えてきました。もうすぐ佐賀県です。
午後4時を回って、ちょっと夕景っぽくなってきました。ここまで来れば唐津には無事辿り着けそうで一安心。不案内な土地で日没というのは、自転車乗りには結構心細いのです。
佐賀県に入って玉島橋を渡り、その名も「浜」という集落に入ります。折角なので海辺に出てみました。
松浦潟で2代目5号車の記念撮影。初代5号車も海をバックにした写真を撮ったなあ。
虹の松原の中を走ります。写真では伝わりづらいですが、木漏れ日が緑のステンドグラス状に課が輝いていて綺麗でした。が、路肩が写真の通りの狭さなので気が抜けない道です。しかも4km近く続くのです。
虹の松原を抜けて、東唐津駅跡(これも後で知りました)の前を通り舞鶴橋を渡ると、右手に唐津城が見えてきました。復元、と言いますか、そもそも天守まで建てられたかどうかも変わらないんだそうです。
振り返った所。この舞鶴橋、広くて妙に展望の良いのです。その代わり、ちょっと登るのですが。
早稲田佐賀中学校・高校の土台になっている石垣。藩庁当時のままなのだろうか。
町田川に掛かる八千田橋の上から眺める唐津城。ということで、今日の予定ルートは無事終了。明日はどんな風景が待っているでしょうか、楽しみです。
レポートは2日目へ続きます。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
走行経路2、姪浜駅近くから九大学研都市駅近くまで。
走行経路4、加布里駅近くから国道202号線の福井パーキングまで。
走行経路5、国道202号線の福井パーキングから姉子浜、鹿家駅近くまで。
走行経路6、姉子浜から虹の松原、旧駅跡、舞鶴橋まで。
GPSログはこちら「log20140425_0.gpx」。カシミール3DやGoogleEarthをご利用下さい。地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
All Photographs by Ryo Masuda 2014.
Took a photograph with FINEPIX F800EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.29]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp