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風まかせ旅紀行
九州4県+広島県放浪 3日目 長崎県諫早市〜熊本県八代市 Vol.1
2014年4月27日(日)
九州放浪も3日目。前日も早い時間にコテッと寝てしまったお陰で、午前7時にスパッと目が覚めて行動開始。午前8時半前にホテルを出発。今日は島原からフェリーで有明海を渡り、対岸の熊本県 八代市へ向かいます。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
本明川傍のホテルを出発して東本町、朝日町、厚生町を通り島原鉄道の北側を併走する市道へ向かいます。
川内町、曙町と通り干拓の里駅近くで国道57号に合流し、しばらくの間国道を進みます。釜ノ鼻駅の少し先、行く手の右側に、Yの字状に別れていく旧道のような道を見掛けて寄り道。大正13年測量の2万正式図を見ると、現国道57号の開通前は、この道が幹線道路だったようですね。
雲仙市との市境に流れる有明川に差し掛かります。現国道57号の向こうに旧橋が残っているのを見付けて、渡ってみる事に。その手前に竣工記念時が建っていました。裏を確認して来なかったけど、旧橋開通の記念だろうなぁ。良く見てくれば良かった。
その旧橋。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで調べてみると、昭和22年(1947年)の空中写真には建設中の橋が写っています。更に下流川(左側)に旧旧橋が在った様子。
その旧橋の延長上、止まれの標識から向こうは現国道251号です。
そのまま真っ直ぐ国道251号に入って、突き当たりの道路案内板に「島原」の字が出て来ました。案内に従って島原方向へ。
愛野駅前後で旧道に寄り道した後、また暫くは国道251号を進みます。
阿母崎駅の先で再び旧道へ。こんな道幅の路地がクネクネと続きます。この先、現国道251号と、こんな路地とを行ったり来たりしつつ、島原へ向かいます。
エンジン音を鳴り響かせて島原鉄道が走って行きます。その向こう、波打ち際まで広がる田圃。大昔から干拓して田圃を広げてきたんだろうなぁ。
吾妻駅手前の旧道。車も人も少なくて走りやすいですが、ちょっと寂しい通り。
吾妻駅で水分補給。後ろに見える駅前商店、チラッと花輪が写っていることからも分かるように、新装開店したばかりでした。人集まると良いですね。
吾妻駅から再び旧道を東へ。現国道を横切りって、その向こうに続く旧道へ。吾妻町古城名から本村名へ入ると、こんな案内板が建てられていました。おお、当てずっぽうで路地をウロウロ入って来たのだけど、合っていたんだ。
その案内板の少し先で、現国道を横切り、更に島原鉄道も横切って海側へ。画面中央を左右に横切っているのが、有明海干拓の潮受堤防。
くねくねと左右に、そして時には上下しつつ延びる旧道。走っていて飽きません。
潮受堤防から外に出ると、島原鉄道の向こう側は直ぐに有明海が広がるようになります。さっきまでは田圃でしたね。
クネクネとした旧道をキョロキョロしながら走り、上伊古辺りで国道に戻ってきました。ここは西郷駅の近く、九州ワコール製造長崎工場の直ぐ傍です。
長浜という所に来ました。右側の松並木の陸側に旧道らしき道が延びているのですが、その松の間伐作業中で通れず、やむを得ず国道を走ることに。でも、そのお陰でこの景色。
さて、その長浜の直ぐ近くに鶴亀城跡と神代小路伝統的建物群保存地区が在るとの事なので、立ち寄る事にします。ここは鶴亀城跡の二の丸後と本丸跡の間を通る道。
鶴亀城跡東側に広がる武家屋敷。電柱が見当たらないのですが、地中埋設では無く屋敷裏手に移設したのだそうです。
雲仙市神代小路伝統的建造物群保存地区
雲仙市国見神代小路歴史文化公園鍋島邸
国見神代小路歴史文化公園鍋島邸
案内板発見。2本の川を天然の堀とした、なかなか実戦的な城なのですなぁ。
旧鍋島家住宅のとても大きな長屋門。貧乏人の私はこういう御威光物件に弱いので、これ以上は近付くことも出来ませんでした。しかし、石垣が凄いですね。石の調達には不自由しない土地柄から、こういう技術が発展したのだろうな。
本小路から横町小路と来て、みのつる川の手前。また案内板を発見。昭和32年の水害前までは、本当に昔のまま残っていたんですな。
新しい天神橋から見たみのつる川。この川幅を広げるために、屋敷林の在った向かって右側が削られたのか。
神代駅東側の踏切を渡って川西の街中へ。お、なんか突き当たりのT字路に歴史の在りそうな建物が。
T字路の先はちょっとした商店街でした。商店街跡、とも言えそうですが。
神代乙から、国道と島原鉄道から陸側に少し外れて、国見町土黒丁、乙、甲と通って多比良駅方面へ向かいます。
国道と旧国道、それから街道を行ったり来たりしながら、ひたすら島原方面へ。快調に進むので思ったより写真を撮って居なかった・・・ので、レポートを書く段になって、ちょいと困りました。
雲仙市から島原市に入りました。島原のフェリーの時間をちょっとだけ気に掛けつつ、キョロキョロしながら進みます。松尾駅まで来た時、ちょうど列車が来たので2代目5号車と一緒にパチリ。
洗切町から三会(みえ)町の境(たぶん)の川に架かっている、その名も大橋。フラ〜っと通り過ぎたのですが、チラッと目に入った親柱の年号が頭の中で「えっ!?」となった結果、引き返して来たのです。
なんと昭和5年3月架。訪れた2014年時点で丸84年が経過した橋なのでした。以前、長野県内で大正時代に架橋された橋に出会したのを思い出しました。
その橋の下流。直ぐに有明海です。左岸に転がっている石は、以前は右岸のように綺麗に積まれていたのではないか?と想像したのですが、はてさて。
三会町に入ると、島原街道を示す真新しい石柱が建っていました。
諫早市中心部を出発して40km超。それ以来の大きな街に来た!という印象。レポートはVol.2へと続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2014.
Took a photograph with FINEPIX F800EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.29]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp