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風まかせ旅紀行
山口県〜九州3県放浪 2日目 福岡県北九州市門司区〜大分県日田市 Vol.2
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
国道212号に差し掛かる手前で、車道から別れて廃線跡単独の自転車道になりました。そして山が近くなって来ました。良い景色ですが、少しだけ不安が込み上げてきます。今日のルートは自転車道を終点まで走った後に峠を越えなければなりません。日没前に日田に辿り着けるだろうか・・・。[下]
国道212号を越えた向こうに残っている野路駅跡。民家の資材置き場に転用されているようですが、奥の待合室も当時のものでしょう。
プラットホーム跡に設置されていた案内板。この駅から当初の終点までが先に部分廃止されたため、全線廃止前はここで折り返していたそうです。[左]
新緑、というにはちょっと遅い感じだけど、煌めく緑の風景の中、自転車です〜っと進む。あぁ遥々遠出してきた甲斐が有った、と一人ニヤニヤしてしまうのです。[下]
程なく山国川沿いの断崖にへばり付くように進む、連続してトンネルが続く地帯になります。
トンネル、大小の切通が連続します。現役当時は山国川側の木立はもっと小さく展望も有ったのかな?
ここを通るのは廃線跡だけではありません。廃線跡の直ぐ隣に口を開けている小さな隧道は水路跡。
その水路跡の案内板。水路自体が廃止されたわけでなく、新トンネルに機能を移したのか。つまり着想自体は今も現役なんですねぇ。
国道212号と並走する場所に来ました。川の向こう側は有野地区でしょうか。
樋田地区の国道212号の歩道を進み、そのまま山国川を渡る橋に差し掛かると、下流に立派な連続アーチ橋が目に入って来ました。
対岸に渡って橋の袂に立ち寄ってみました。耶馬溪橋と言って、大正9年から12年に掛けて架橋され、石の連続アーチ橋としては国内最大だそうです。事前に調べていないので、こんな大きな見所も行き当りばったり。でも、その予期しない出会いが面白いのです。見逃す場合のほうが多いけど。
山国川左岸に延びる国道212号と並行する自転車道を進みます。対岸の青の洞門がよく見える区間です。田圃の中に鳥居が見えていますが、御神体は対岸の岩なのかな?[左]
また廃線跡単独になった自転車道。なんだか雨が降り出しそうな雲になって来ました。[下]
耶馬溪平田駅跡まで来ました。しかし、プラットホームが長い! 現役当時は貨物2両に客車8両なんていう大編成の列車も有ったようです。ただ客車といっても不揃いの凸凹編成だったようですが。
浅い切通を進む廃線跡。ここから次の駅までの区間は、人家から離れた地帯のようです。
廃線跡より新しそうなのに、ボロボロで通行止めになっていた道路橋。少し下流に代わりになる橋が掛かっているので用済みのようですが、撤去する予算も取れずに放置なんだろうなぁ。
石とレンガ造りのトンネルを快走します。なんだかワープしているような写真になりました。そう言えば照明が付いているのはここだけだったかな? 他より比較的長い為かも知れません。
トンネルを抜けると現役当時から写真ポイントとして有名な、第2山国川鉄橋に差し掛かります。
2012年7月の豪雨で向こう側3本の橋脚と鉄橋が流されてしまったそうですが、約2年後の2014年に新造されて復活。実はそのニュースを何かで目にしたので、今回のコースに組み込んだのです。
日田往還という小さな案内板が目に留まり、辺りをキョロキョロしてみたのですが、目に入ってきたのは、この道だけ。右の石積みが古そうだが。
また切通を幾つか通ります。全体的に岩石質だから出来る芸当なんでしょうね。
庄屋村辺り。この辺は最近になって舗装が補修されたのか白線も鮮やか。
白地駅跡のプラットホーム上には民家が並んでいました。ちなみに奥の民家は、実は当時の駅舎を改装したものなんだとか。
午後3時半近くになって、終点、守実温泉駅の跡であるコアやまくにに到着。多くの資料には守実温泉駅が終点と書いてあるのですが、1960年代の車内販売の切符には、その先に3つの駅名が書いてあり、最後は「耶鉄森」となっています。どういうことなんだろう? 接続のバス? それともナローゲージ時代は終点が違った? 守実温泉駅から先、平鶴森林鉄道が延びていた時代があったそうですが。
コアやまくにの売店でアイスクリームを売っているのを見掛けて補給。ついでに自販機でお茶を買ってボトルケージへ。この先は国道212号の旧道へ入り、伏木峠を越えなければなりません。距離は短いものの、走ったことの無い峠越えは時間が読めません。距離は無いし、迷う道でもないので、焦らず確実に登ることにします。
国道212号と伏木峠を示す、つぎはぎ感の有る少し草臥れた案内板。以前は「バイパス」「日田」とでも書かれていたのでしょうか? まっすぐに国道212号線を進むとトンネルが待ち構えているので、旧道である伏木峠へ向かいます。
旧国道212号は県道720号線になっていました。国道を示すものは、なさそうだなぁ。耶馬溪と日田を繋ぐ道路と言えば大石峠隧道が別の面で有名ですが。
現国道212号を左に見ながら徐々に標高を上げていく旧道。勾配はさほどキツくないので、フロント3枚のギアのうち、中間を使って進みます。
旧道化して、さぞかし寂しい道なのだろうと勝手に想像していたのですが、幾つかの集落が健在でした。[左]
出羽(いずりは)辺りの集落。農作業していたお婆ちゃんと行き合い、こんにちは〜と挨拶したのはこの辺り。[下]
旧国道時代の置土産、と言えそうな「境の谷橋」を渡って日田市に入ります。峠が行政境界では無く、日田市に入ってからも暫く登ります。ちなみに橋が越えている流れは「境の谷川」と言って、その名の通り、近くには「境の谷の関所」が有ったそうです。
橋の直ぐ先で見掛けた、これも国道時代の名残でしょうか、支柱の四角いガードレール。昭和30年代の一時期だけ導入されたものらしい。群馬・長野県境の碓氷峠旧道でも見掛けたことがある物です。
こちらは、もっと直接的な国道の痕跡。路線名「国道212号」となっている道路情報板。ここが国道に指定されていた頃から、ずっと置いてあるのか・・・。
木立の中の薄暗い道を抜け出して、足が軽くなったと思ったら、広がりが有り民家が点在している、高原のような場所に出ました。伏木町に入ったようです。右に見えるのは伏木小学校跡の伏木多目的交流館。宿泊2,700円か。こういう所にベースキャンプを張って走り回る、というのも楽しいかも。
伏木小学校跡、キャンプ場と緩やかな登りを進みます。おや、あの辺が峠だろうか?
しかし、本当に高原のようだ。実際、標高400mとソコソコ高い所に位置しているのですが。
何処が最高地点がはっきり感じられないまま、降り始めました。どうやら伏木峠を越えたようです。
耶馬溪側とは比較にならないほどの急坂。ブレーキをしっかり握ってノロノロと降ります。此処でコケて怪我でもしたら今回の遠征が台なしですし。
下っている途中、何か案内板が立っているのを見つけて停車。峠の細道で、こういう事が出来るのが自転車・徒歩旅の長所です。お、ここに日田街道の石畳が残っているらしい。
1850年と、それほど古い時期のものでは無いのですが、とても立派な石畳が残っていました。[左]
家屋が立ち並ぶ、秋原集落まで下りてきました。ここまで来れば日田の中心部まで10kmも有りません。日没前には辿り着けそうで一安心。[下]
日田市養面寺の日田街道沿いに建っている蔵。用水路の石垣も見事です。用水路に出入口が造られているので、かつては水運で何かを運んでいたのだろうか? 個人宅のようですが、すごいなぁ。
道なりに進み一新橋で花月川を渡ります。対岸に大きな瓦葺きの建物が見えています。煙突に書いてあるとおり、クンチョウ酒造だそうで、一番古い蔵は創業当時の1702年に建てられたものだそうです。[左]
一新橋から直進する通り、上町通りの1つ西側の御幸通りに入ります。この2つ通りを中心として、日田市豆田町伝統建造物群保存地区になっています。[下]
道がクランク状になっている枡形もそのまま。今日通ってきた何処よりも観光客が多かったなぁ。まぁここ以外は、観光地と呼ばれる所は避けてきたようなルートでしたけども。正面は草野本家。
魚町(いおまち)と呼ばれる、御幸通りと上町通りを繋ぐ路地。左側は広瀬資料館。
門司港から126km走って、午後5時半に久大本線の日田駅に到着しました。駅から直ぐのホテルにチェックインし、部屋に入った途端に黒い雲で覆われて結構な雨に。いやぁ間一髪でした。途中でもうちょっと時間食ってたら降られてたなー。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
All Photographs by Ryo Masuda 2015.
Took a photograph with FINEPIX F1000EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.10.28]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp