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風まかせ旅紀行

長野県 牛に曳かれて善光寺 Vol.2



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善光寺常夜灯

坂木宿の西端に常夜灯が残っていて、そこには善光寺と彫られています。善光寺への巡礼街道として賑わった頃の名残でしょうか。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


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国道18号と千曲川

坂木宿を出ると、千曲川がググッと迫ってきて、国道18号(と北国街道)は五里ヶ峯の裾野と千曲川の隙間を進むことに。以前は信越本線もこの隙間を走っていて、今でもその跡を見ることが出来ます。


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戸倉辺り

戸倉を過ぎた辺り(だったかな?) 微妙に蛇行しながら、まだまだ続きます。


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寂蒔水除土堤

寂蒔水除土堤に建つ二十三夜塔と、かなり崩した字体ではっきり分からないのですが、おそらく道祖神。全行程の2/3は来たでしょうか、ここは木陰が有るのでちょっと休憩。この手前には、昔一里塚が有ったのでしょうか、「一里塚」という地名が残っています。


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微妙に蛇行する道

屋代駅方面に進みます。この微妙な蛇行具合で、走っていて飽きる事がありません。


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屋代駅が近くで道幅が広がる

屋代駅が近づくと、少し道幅が広くなります。街道時代の道幅そのままとも思えないので、拡張されたのでしょう。


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屋代駅近くのピザ屋さん「LA FORET」

屋代駅近くのピザ屋さん「LA FORET」でお昼ご飯。ここまで来れば目指す善光寺までは、残り20km足らず。急がずとも、1時間ちょっとで到達出来る距離です。と来れば、なにも急ぐ必要はない!と、ノンビリお昼ご飯。


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国道403号と合流

ノンビリとお昼休憩をして、さて再び北国街道の旅の人。屋代駅前を北に向かうと、街道は一旦国道403号に合流します。ん?国道403号? 新潟県内ではなじみ深い国道で、つい先日のBD-1 OFF会@新潟で通った小国隧道も国道403号。あそこと同一路線上だったとは意外でした。


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進めば国道18号との交差点

国道403号との僅かな合流区間を過ぎて、そのまま直進。やがて国道18号に出ます。


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千曲川を越える新幹線

国道18号に突き当たった北国街道は、この先判然としなくなります。更埴ICの下を通り抜け、千曲川右岸堤防上の道に上がります。上空に見えるのは新幹線のもの。その向こう、右隅のほうに小さく見えている青いワーレントラス橋がしなの鉄道のもの。


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篠ノ井橋

千曲川右岸堤防上の道を800m程進んで、国道18号の篠ノ井橋へ。千曲川を渡ります。


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篠ノ井橋から千曲川上流方向

篠ノ井橋の上から、千曲川上流方向。先ほど下をくぐり抜けてきた新幹線の鉄橋が見えています。


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布引伝説ウォークの休憩ポイント

千曲川右岸堤防まで来ると、なにやらテントとノボリが。あ、布引伝説ウォークの休憩ポイントのようです。おー、参加者が向こうから歩いてくる!! 追いついたんだ。海野宿の爺ちゃんの言ったとおりになりました。


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案内板にも善光寺

篠ノ井橋を渡ると長野市に入ります。橋の上にある案内板のグラフィックも善光寺


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旧道へ

篠ノ井橋から進むと、現在の国道18号と県道77号線(旧国道18号)に分かれます。旧国道に入り、500mほど進んだところでさらに左に折れる道へ。その先、道なりに進みます。何となく街道っぽさが残っているような感じを受けます。


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丹波島宿まで来た

国道19号を横断し、犀川の手前にあるのが丹波島宿。松代街道もここで分岐しているんですね。


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於佐加神社

丹波島宿の西端にある於佐加神社。「おさか」と読むんだそうです。


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東西に延びる北国街道

丹波島宿の中を東西に走る北国街道。元々の北国街道は、松代街道を通るルートだったようですが、慶長16年(1611年)に現在のルートが正式な北国街道として指定され、丹波島宿も正式な宿場となったそうです。今の地図を眺めても、松代街道が何処を通っていたか判然としないなぁ。


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丹波島橋

丹波島橋で犀川を渡ります。反対車線の歩道には、布引伝説ウォーク参加者が多数歩いていました。親子連れの参加者も多く見掛けましたが、どっちかというと子供の方が元気に歩いていたような。


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直進すると長野駅

丹波島橋を渡り、今度は現国道18号の東側に延びる道へ。このまま真っ直ぐ行けば長野駅です。


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善光寺の参道「中央通り」へ

信越本線をアンダーパスして、長野駅北側へ。正面の道が善光寺の参道「中央通り」。先ほどの道から信越本線を挟んで真っ直ぐに伸びています。鉄道が出来る前は繋がっていたのでしょう。さて、ここからが最後の難関で、意外とキツイ上り坂。もう善光寺までは幾らもないので、ノンビリと進むことに。


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こんなに混んでいるとは

あまりの人の多さに、中央通りから一つ東側の通りへ移動。善光寺の東側にある城山公園に到着。ここに自転車を置いて、歩いて善光寺へ。本堂東側の通路から敷地に入ってビックリ、人・ヒト・ひと!! こんなに混んでいるとは。これならホテルが満室で予約出来ないのも納得。


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本堂と回向柱

本堂正面に回ってきました。中央に建つのが回向柱。本堂内に安置された前立御本尊の右手と紐で繋がれています。ちなみに本当の本尊は門外不出で、その身代わりとして全く同じ姿で造られたのが前立御本尊。


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参道も人で埋まっている

参道は、回向柱に並ぶ人で埋め尽くされています。前回の御開帳(2003年)の時は、628万人が訪れたとか。


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山門

参道を長野駅方向に歩いてみます。前回は修復工事中で見ることが出来なかった山門。


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列の最後尾

回向柱に並ぶ列の最後尾。1時間半待ちなんていう会話が聞こえていました。数え7年に一度のことなので、皆さん1時間半位は何でもない?


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世尊院釈迦堂

善光寺近くの世尊院釈迦堂でも同じように回向柱が建てられています。善光寺が現世、ここ釈迦堂が来世を示しているんだとか。


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夕暮れの長野駅前

城山公園で暫く滞在した後、長野駅に戻り、しなの鉄道で輪行して小諸駅へ戻ります。しなの鉄道車内には布引伝説ウォーク参加者が大勢居ました。

大昔(学生の頃)に”42.195km歩こう大会”に参加したことがありますが、アレですら8時間掛かったし翌日は身動きできなかった・・・。今では20kmも厳しいだろうなぁ(^-^; しかし、強制でもない夏休み中の自由参加の”歩こう大会”に、結構みんな参加していたよな〜。当時からモノ好きなヤツらばかりでした(^-^;


走行経路3、上田城跡から坂木宿、戸倉駅前までの走行経路です。

GPSログはこちら「log090523-1.gpx」です。カシミール3DGoogleEarthでご覧下さい。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


走行経路4、戸倉駅から篠ノ井橋、丹波島宿までの走行経路です。


走行経路5、丹波島宿から善光寺までの走行経路です。

これで2回目となる小諸市-長野市間の北国街道ですが、今回も上田市内で道が分からずにパスしてしまいました。これでまた持ち越しの宿題が。ま、取材に出掛ける言い訳が出来たと言うことで、ひとつご勘弁を(^-^;



All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with *istDS2 by PENTAX.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2024.01.01]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp