風まかせ旅紀行
岩手県 一関-北上-花巻界隈 Vol.2
テクテク歩いて、中尊寺の本堂まで来ました。そうか、中尊寺=金色堂みたいな図式が頭の中に出来上がっていたのですが、色々建物があるんだなぁ。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
中尊寺は天台宗東北大本山で、本尊は阿弥陀如来。奥州藤原氏の庇護の元、発展しました。
本堂からさらに歩いて拝観券を購入して、いよいよ金色堂へ。おお、写真で見た事有る風景だ! 中は撮影禁止なので、写真はここまで。特に観光シーズンというわけでも、連休というわけでもなかったのですが、結構混んでました。[左]
中尊寺を離れて、北上川左岸へ移動しようと高舘橋を目指して移動します。ここは国道の旧道なのかな? 静かな道です。[下]
その途中、田んぼの真ん中に、なにか大きな案内板が立っているのを見掛けて立ち寄ってみました。[左]
そこは奥州藤原氏3代目藤原秀衡が建てた無量光院の跡、特別史跡に指定されているようです。あちこちに礎石らしいものが転がっています。[下]
高館橋を渡って北上川左岸へ移動します。しかし広くて立派な橋なのですが、地震の影響か路面がガタガタになっている箇所がありました。[上]
初めて見る(はず)北上川。湿度のせいかちょっと靄掛かっていて、あまり遠くは見通せません。
左岸に近づいて下を見ると、田んぼの文字が書いてある! こんなところで田んぼアートを見られるとは思っても見ませんでした。初めて現物を見たんですけど、インパクト有るなぁ。
北上川左岸、緑色が濃くなってきた田んぼを眺めながら北上します。[左]
こっちが北上川方向。こっちも田んぼが広がっています。なんだろうな、思ったよりなだらかな地形なんだなぁ、岩手って。[下]
白鳥館の対岸、発電所マークが有る場所まで来ました。北上川がググッとS字状に曲がる所です。石の河原が広がる河って良いなぁ。普段一番身近な荒川は、泥の中を流れるイメージしか無いし(上流は違いますが)。
道沿いに建つ石仏。兎に角大きいです。石材には困らない地域なんだろうなぁ。
緩やかなアップダウンが続く道。2号車や5号車で走っても気持ちよさそう。そのうち違う自転車、違う時期に来てみても面白そう。
これは初めて見た「成田山」。このような山岳信仰の石碑は、ご当地のものは少なくて、遠くの山の名前が多いですよね。簡単には行けない所のを建立するんだから、まぁ当たり前ですが。でも新潟では地元「米山」の石碑を見た事があるなぁ。
国道343号に合流して、水沢市街まで後8kmという所。お腹も減ってきたので、コンビニに寄ろうかなぁと思ったのですが、道の駅「みずさわ」が近いので、そこに寄る事にします。後ちょっとだな〜。
そのまま国道343号を辿って藤橋で北上川を渡ります。今日は北上川の右岸と左岸を行ったり来たり。[左]
北上川右岸の藤橋袂にある道の駅「みずさわ」。ここの二階にあるレストランでお昼ご飯休憩。頼んだのは、ご当地岩手牛を使った牛丼。ついでに林檎ソフトクリームも補給して、日差しの強い時間帯をやり過ごします。[下]
道の駅「みずさわ」から少し裏道を辿り、途中から国道343号に再び合流。そのまま水沢市街地に入り東北本線を越えます。
特に何処か見て行くか決めていなかったのですが、とりあえずeTrexにも表示があった水沢公園に行ってみる事にしました。公園の一角にある駒形神社には茅輪が設えられていました。ああ、そんな時期か。
公園内に設置されている斎藤実の銅像。そう、二・二六事件で暗殺された当時の内大臣です(総理大臣を務めたのはその少し前)。ここ水沢の藩士の子で海軍兵学校を出たエリートなんですな。私なんかとは生まれからして違うなぁ。
こちらは後藤新平の銅像。同じく水沢の出身なんだそうです。後藤新平といえば医者であり、各大臣を歴任し、台湾総督府民政長官、満鉄総裁と大きな事業をこなした人であり、関東大震災後の東京復興にも尽力しました。今の東京の基本的な計画はこの人の手によるものと言っても良いのかな?
また、ボーイスカウト日本連盟の初代総長でもあり、同じ公園内にボーイスカウト姿の銅像も建っています。ちなみに2代目のボーイスカウト日本連盟総長は、上の斎藤実だったりします。
立ち寄るつもりが無かった、と言いますか、そもそもここに有ること自体知らなかった高野長英記念館。折角なので見学していくことに。以前、埼玉県立博物館(現・埼玉県立歴史と民族の博物館)かどこかで特別展が有ったときに、少し勉強した事がありました(逃亡の際、埼玉県さいたま市内にも立ち寄った縁がある)。
旧家が立ち並ぶ通り。昔から有る通りなんでしょうね。
その一角に、高野長英の旧宅が有ります。高野長英の母の実家で、長英が17歳で江戸に出るまで住んでいたところだそうです。非公開ということで見ることが出来るのは、門周りだけ。[左]
道案内に導かれて日高小路に来てみました。案内から一部引用してみると
横町方面から日高神社への古い参道をまっすぐに直して作った小路らしく、日高神社に近い事からこの名が付けられたものと思われます。この小路には、召出(毎年正月の宴会などに召し出される資格のある家柄)、小姓などの屋敷が軒を連ねていました。現在でも武家屋敷のたたずまいを最もよく残しているところです。
だそうですよ。[下]
吉小路にある内田家旧宅。おうしゅう旅浪漫のサイトから引用すると、
この屋敷は、大番役・内田勘之丞のもので、禄高は96石2升で家中代2位とあり、市内でも格式のある武家屋敷のひとつに数えられています。屋敷の間口は16間、奥行は30間あり、東西をひば垣、正面の板塀とするなど、武家屋敷らしく凛々しいたたずまいです。
だそうで、武家住宅資料館が隣接されています。ちょっと時間が押し気味だったので、中には入らず外から眺めて退散。
旧水沢市の中心部の離れて、最後に胆沢城跡に寄っていくことにします。旧道っぽい道筋を辿って胆沢城跡を目指します。右には東北本線、もう少し進むと小さな踏切で東北本線を横切ります。
ツーリングマップルにも記載されている、胆沢城跡。誰でも名前だけは覚えている坂上田村麻呂将軍が約1200年前に作った、北への最前線基地。
今では、田畑が広がっているだけですが、地割りに何となく面影が残っているような。
胆沢城跡から、少し南に戻って桜木橋を渡り、次に目指すのは江差です。随分日が傾いてきました。日が長い6月とはいえ、残り行程を考えつつ先に進みます。
北上川の水運事業によって栄えた江刺。バカの一つ覚えのようにおうしゅう旅浪漫のサイトから引用すると、
古くから北上川の水運に支えられ、交易の要衝として一時代を築いた江刺区市街地には、今でも百棟余りの土蔵が残されています。
との事。
街の中を流れる人首川(ひとかべがわ)。物騒な名前の川ですが、その由来は胆沢城跡でも出てきた坂上田村麻呂に関係するらしい。右側に見えている小さな塔は、明治7年(1874年)に岩手県内初の病院として建設された旧岩谷堂共立病院の建物。
江刺を後にして、今日の宿泊地北上駅前を目指します。途中国道456号に合流して、広瀬川沿いを少しだけ北上し、直ぐに県道へ逸れて西へ。国道に落ちる影も長くなってきました。
北上駅とは北上川を挟んで対岸にある、展勝地までやって来ました。ここまで来れば一安心。かつて北上川の水運で活躍したひらた舟が、復元されて係留されていました。
展勝地から珊瑚橋を渡って北上駅東口へ。今日の予定ルートを無事走破することが出来ました。この日は、ここ北上駅東口のホテルに一泊。
駅前に建つ大きな像は、北上市のあちこちに伝わる鬼剣舞をモチーフにしたものらしいです。岩崎鬼剣舞と滑田鬼剣舞は、国指定の無形民俗文化財に指定されているんですね。
走行経路2、金閣寺から水沢駅前までの走行経路です。
26日のGPSログはこちら「log20090627_0.gpx」です。カシミール3DやGoogleEarthでご覧下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
ルートプロファイルです。一日目の走行距離は79kmちょっとでした。
レポートは翌日の28日にVol.3に続きます・・・
All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810 IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.12.27]に加筆修正しました。
この記事のURLをQRコードで表示
Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp