TOP MENU旅紀行>久比岐自転車道 Vol.1

風まかせ旅紀行

新潟県 久比岐自転車道 Vol.1



photo-090926-0

2009年9月26日(土)

仕事の都合で始まった、新潟・埼玉両県での二重生活も3週間ほどが経過し、若干落ち着いてきたので、この土日は珍しく埼玉県内へ戻らずに、新潟県内をブラブラすることに。手始めに、以前から行ってみたかった、日本海の絶景を眺めながら走ることが出来るという、久比岐自転車道を走ってみることにしました。そのほぼ全線が、北陸本線の旧線跡を再利用して作られた自転車道で、鉄道好き&自転車好きの人には1粒で2度美味しい自転車道です。

久比岐自転車道ガイドマップを制作しました!・・・新潟県

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


photo-090926-1
船見公園駐車場

前日の金曜日夜にコソコソと5号車を車に積み込んで固定。翌土曜日の朝、午前7時に起きて午前7時半頃にバタバタと出発。上越市までは高速道路で移動します。

1時間弱で上越市内に到着。海沿いにある船見公園の駐車場に車を停めて、5号車を組んで空気圧をチェック、出発準備完了です。


photo-090926-2
直江津港のプラント

関川の向こう岸に見える何かのプラント。延びたベルトコンベアは直江津港の方へ。なにやら直江津港に付随するもののようです。左端にフェリーが写っていますが、あの辺りが直江津港のフェリー発着場です。フェリー発着場の岩海苔ラーメンは結構旨かったよなぁ。

直江津港湾協会


photo-090926-3
船見公園を出発

船見公園を出発して、まずは五智国分寺の傍を通る旧国道に出るべく、海沿いの道を西に向かいます。

五智国分寺・・・上越観光Navi


photo-090926-4
水族博物館脇を通る

上越市立水族博物館の通り、と書いた方が分かりやすいでしょうか。行く手に日本海のダイナミックな風景が見えてきました。


photo-090926-5
旧国道

県道468号線(旧国道8号)に合流して、先へ進みます。しかし車が全然来ない道だなぁ。


photo-090926-6
現国道と合流

郷津交差点で現国道8号と合流します。


photo-090926-7
自転車道の出発点

郷津交差点から、久比岐自転車歩行者道が始まります。後で知ったのですが、この郷津の現国道8号も信越本線の廃線跡なんですね(郷津トンネルも廃線のトンネルを再利用)。昔はここに郷津駅が有ったそうです。


photo-090926-8
海沿いの歩道上を行く

しばらくは歩道の上を進みます。といっても別に狭いわけでもなく、意外にも走りやすい。写真の左隅にガードレールが写ってますが、それが旧国道で、今の国道は廃線跡(郷津駅跡)らしいですよ。


photo-090926-9
谷浜駅

谷浜駅まで来ました。さて、情報によると、ここら辺で確か〜・・・。


photo-090926-10
地下道で反対側へ

あ、有りました、地下道。ここで、国道8号の北側から南側に移動します。


photo-090926-12
前方に何か見える

国道8号の南側に移動し、案内に従って進みます。お、先になにか見えてきたぞ!


photo-090926-13
長浜トンネル

じゃじゃーん、長浜トンネルに来ました。ここから先、北陸本線の廃線跡を辿ることになります。


photo-090926-14
ここが廃線跡だったとは

崖と国道8号の隙間に延びる廃線跡。直江津から富山までの国道8号は車で通ったことがあるのですが、まさかこれが廃線跡だとは気が付きませんでした。


photo-090926-15
国道から少し離れる

少し進むと、段々と国道から離れて、国道より一段高い、崖の中腹を単独で進むことになります。所々に国道との連絡路が造られています。鉄道現役時代から保線用として有ったのかも。


photo-090926-16
崖の中腹を進む

いやはや、こんな所を蒸気機関車に牽かれた客車が走っていたとは。今は長大トンネルを繋いで地中を走り抜ける北陸本線ですが、以前はこんな絶景が眺められる路線だったんですね。


photo-090926-17
青木坂トンネル

直江津を出発してから、2つめのトンネルに突入します。何となく「前方よーし」と指差し点呼したくなるのはなぜだろう。


photo-090926-18
乳母岳トンネル

続いて3つめのトンネルへ突入。いずれのトンネルもコンクリートで補強され、照明や非常通報装置も設置されています。トンネル断面の一番内側の煉瓦だけが新しく見えますが、あの厚さがコンクリートで補強された断面です。従ってトンネル内の煉瓦積みの様子は観察できませんが、まぁ煉瓦の脱落なんかを考えるとやむを得ない処置なんだろうなぁ。


photo-090926-19
なんと眺めの良い自転車道

有間川から名立に向かって走行中。北陸自動車道の名立谷浜ICに近いところ。余りの景色についつい脚が休みがちになります。


photo-090926-20
鳥ヶ首岬の少し手前

鳥ヶ首岬の少し手前にある落石避け(か或いは雪崩避けか?)。これもちゃんとコンクリート補強済み。


photo-090926-21
ここは補強の跡がない

その奧に続く部分は、後年付け足されたのでしょうか? 構造も違うし、若干新しいようで、こちらは補強の跡が有りません。現役当時のままなのだろうか?


photo-090926-22
先行する自転車発見

お、前方に自転車発見。直江津を出発してから、この自転車道で自転車とすれ違うのは、これが初めて。


photo-090926-23
上から水の音が

何か上空の方から水の音が聞こえてくるので、顔を上げて見てみると、滝が流れ落ちていました。この自転車道、海側だけではなく山側もなかなか油断ならないです。ボンヤリ走っていると、見所を素通りしてしまいそう。


photo-090926-24
民家のすぐ裏を進む

名立に入って、民家の裏を進む自転車道。


photo-090926-25
現在と少し違う自転車道の案内板

自転車道の案内板。あれ?出発地点が関川を渡って直江津港辺りになっています。以前は直江津港辺りまでがルート指定されていたんでしょうか? ん? 糸魚川側の終点も微妙に違う気が。


photo-090926-26
名立川を渡り筒石へ向かう

名立川に掛かっていたはずの橋は綺麗さっぱりと撤去されており、少し下流側に掛かっている車道で、それを渡ります。名立の街中の自転車道=廃線跡は少し不明瞭でしたが、ここから先はまた明確な廃線跡を辿る事になります。


photo-090926-27
大抜トンネル

大抜トンネル(391m)に突入します。


photo-090926-28
右に海左に山、が続く

トンネルを抜けると、また右手に海、左手に山を見ながら筒石に向かいます。


photo-090926-29
自転車道は写真右側に続く

廃線跡の全線が自転車道に転用されている訳ではなく、時折こんな形で独立した廃線跡になる場所があります。浜徳合の国道と集落の間に残された北陸本線旧線の土盛。海からの風を避けるのにちょうど良いのか取り崩されることもなく、そのまま残っています。煉瓦造りの立派な橋台も健在。自転車道は、海側の国道と並走します。


photo-090926-30
隙間無く立ち並ぶ筒石の民家

筒石に入りました。振り返ってみると、斜面に風車が回っているのが見えます。筒石は、隣同士隙間無く建つ民家が特徴的な集落です。


photo-090926-31
廃線跡に建つのは幼稚園

なにか要塞の様なコンクリートの塊が旧線跡。煉瓦造りの橋台も健在です(ちなみに対岸も健在)。旧線跡の路盤に建つのは幼稚園なのですが、凄い所に建てたなぁ。


photo-090926-32
筒石漁港と舟屋

旧線跡から見る筒石の漁港。下に見えている長い建物は舟屋(船を仕舞っておく所)だそうです。大きいなぁ。


photo-090926-33
藤崎の東端に残る橋台

筒石のひとつ先、藤崎の集落に入るところで、小さな川を渡るのですが、そこにも煉瓦造りの橋台が残されていました。写真は来た道を振り返ったところ。線路は、後ろに見える小屋の傍を通って橋を渡っていたのでしょう。


photo-090926-34
巡視路健在

さらに進んだ所には、橋の外側に巡視用のキャットウォークが残っていました。


photo-090926-35
継電器箱(多分)

信号用の継電器ボックス(多分)まで登場。今まで走ったことのある、廃線跡由来のどの自転車道よりも廃線色が濃い自転車道です。駅自体はプラットホームを含めて全く残ってないのに。筑波鉄道跡とは対照的ですね。


photo-090926-36
唯一車道の有る百川トンネル

唯一、車が通行する百川トンネル。分離帯が設けられて自転車道と車道を分けています。車道といっても軽トラックがやっとこさという感じ。うちのジムニーだったら大丈夫、、、かも。対向車が来たら大変ですね。


photo-090926-37
道の駅能生」が見えてきた

百川トンネルを抜けると、前方に風車が見えてきました。「道の駅能生」です。水分&糖分補給に寄っていくことにします。


photo-090926-38
トットコ岩

その手前の海に鎮座する、トットコ岩。トットコとは鶏の事。確かに鶏がクチバ開けて、なにか突いているように見えます。5〜7月には夕日をバックに、この姿が見られるとの事。


photo-090926-39
3代目「越山丸」

白い船体が眩しい越山丸は、昭和55年に進水した旧・新潟県立能生水産高校(現・新潟県立海洋高校)の実習船。水産高校の前身は、1898年(明治31年)まで遡るそうですから、120年以上続いているんですね。今は299トンの海洋丸が実習に使われているようです。

レポートは、Vol.2に続きます・・・



All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.12.21]に加筆修正しました。

この記事のURLをQRコードで表示



Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp