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風まかせ旅紀行

新潟県 新発田-胎内-紫雲寺ポタ Vol.1



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2009年10月31日(土)

仕事の都合で新潟県内に前線基地を構える事になって、早3ヶ月。元々の住居である埼玉県内のアパートと共に、アパート2カ所を同時に借りるという金銭的重圧(というか赤字)があるものの、風光明媚な新潟県内をポタリングして回る大チャンスです。が、他の用事に振り回されているうちに11月も間近に。12月末-3月は雪に閉ざされて自転車どころの話では無くなります。

その前に早く何処か取材に行かないと、と焦ってきた10月31日、天気予報を信じれば雨の心配はなさそうなので、下越地方の取材へ。場所は新発田市周辺。車で通過した事はあるのですが、本当に通過しただけだったので、あちこち見て回るのはこれが初めて。新発田市を拠点に、まずは国鉄赤谷線の廃線跡を訪ね、その後胎内から紫雲寺へ回り、新発田市中心部に戻ってくる、距離90kmちょっとのルートを設定しました。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


朝、布団の中でウダウダしていて、予定していた時間からは遅い出発となったものの、午後8時半過ぎには、新発田市郊外にある五十公野公園の駐車場に到着。午前9時に5号車で走り出します。


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赤谷線跡(新発田駅方向)

まずは国鉄赤谷線の廃線跡を整備して作られた、リクリエーションロードへ。奥へ伸びていくのが、その廃線跡。写真は新発田駅方向ですが、これをまずは反対の赤谷方向に向かって走ります。


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都市計画道路「赤谷線」

廃線跡の大部分は、都市計画道路「赤谷線」として整備されています。道路の名称が廃路線の名前と同じなのは偶然なのか、それとも鉄道に対する愛着からなのでしょうか。


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赤谷線跡を東へ

東に向かって伸びていく赤谷線を走り始めます。ちょうど朝日に向かって走る事になってちょっと眩しいぞ。


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五十公野駅跡

新発田を出発して一つめの駅、五十公野には農業倉庫が現存。字が左書きという所を見ると、かなり古いものなのでしょうか。[左]

田圃の中を真っ直ぐに伸びる廃線跡。平坦ではなく、ずっと緩やかな上り坂です。[下]


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田圃の中を真っ直ぐに伸びる

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米倉駅跡

米倉駅跡まで来ました。給水がてらちょっと休憩。まだ走り始めたばかりですが(^-^;


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平野から山っぽい景色へ

大槻を過ぎると、民家も見えなくなり、加治川と、その両岸の山々が近くなってきました。[左]

山内を過ぎて、まだ真っ直ぐに山に向かって登っていく廃線跡。しかし、誰ともすれ違わない道だ。[下]


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誰も居ないなぁ

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トンネルの脇が廃線跡

中々山の手前、県道トンネルの脇をすり抜けてくる廃線跡。この手の景色としては、トンネルが廃線跡で脇を抜けるのは旧道路、というのが多い気がしますが、ここは逆。


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角石原古戦場跡

近くには戊辰戦争の戦場跡を示す石碑が建っています。薩長連合と会津藩が正面衝突した場所だそうです。


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中々山の先に残っている路盤

レクリエーション道路として整備されているのは、中々山まで。その先、赤谷までは大部分が県道に転用されている為、これと言った鉄道遺構は見当たりません。中々山の先に少しだけ残っている路盤が赤谷線跡のハイライトかも。


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県道に転用された廃線跡

道路に転用された廃線跡。あれ、だんだん廃線跡レポみたいになってきた(^-^;


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取り残されている旧県道

廃線跡が立派な県道になって、旧県道が廃道みたいな状況になって残されています。この先東赤谷周辺も、廃線跡が県道として残り旧県道が廃道になっています。


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赤谷駅構内跡

赤谷駅跡まで来ました。ススキの揺れる空き地が廃線跡。バス停の名前は「赤谷車庫前」(1枚目の写真)。といってもバスの車庫があるわけでもないので、鉄道現役時代は車両の車庫が有ったのでしょうか?


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現存する赤谷駅駅舎

赤谷駅は当時の駅舎が、ボランティア送迎待合所として現役で残っています。風雪に耐えて頑張ってます。


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築堤が残っている

赤谷駅を出ると、終点の東赤谷駅に向かって高度を稼ぐためか、築堤の上を走っていたようです。正面、立て看板がワラワラ立っている緑の塊が、その築堤で奧が先ほどの赤谷駅跡。手前の道は廃線後に築堤を切り取って作られたのでしょうか。[下]

上の築堤から、この橋に続きます。なぜか鉄橋自体は撤去されずに残されています。道路への転用から外れたため、そのまま残されたのでしょう。

イカン、ツーリングレポじゃなくて廃線跡レポになってきた(^-^; [下]


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県道脇に残る橋と橋台

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今日一番の上り坂

上赤谷の集落の北側を、東赤谷に向かってグングンと登ります。[左]

加治川が随分下に見える位置まで登ってきました。写真は上流方向を撮ったもの。川を左側に見ながらさらに登ります。[下]


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加治川が随分下に

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景色は現役当時と変わらないだろうか

上と同じ地点から下流方向。紅葉には少し時期外れですが、それでも十分綺麗で、ちょくちょく脚が止まってしまう廃線跡です。この景色は鉄道現役当時から余り変わってないだろうなぁ。


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東赤谷駅跡

東赤谷駅跡まで来ました。現在はバス停兼バス転回場所になっています。現役当時はスイッチバックになっていて、さらにここから先、鉱山の専用線が延びていましたが、そちらも既に廃止されてしまいました。

正面の少し右に見えている桜の木は、当時から変わっていないそうです。鉱山現役の頃は周辺に沢山の民家が立ち並んでいたそうですが、今では、その痕跡を見つけるのも難しくなっています。[左]

東赤谷駅から先も、鉱山の専用線跡が残っています。少しだけ行ってみましたが、未だ先も長いので適当に引き返して、上赤谷の街へ。上赤谷は、新発田・村上方面から会津へ抜ける街道として、新発田藩の参勤交代にも使われたそうで、何となく宿場の雰囲気が残っています。[下]


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街道の雰囲気が残る上赤谷

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加治川左岸の道を下る

上赤谷から中々山までは来た道を戻り、中々山から加治川の対岸に渡って細道を辿ります。[左]

田圃の中に林立する送電鉄塔。近くに東北電力の越後開閉所が有るのです。ということは、275kVの送電鉄塔なんだろうな。[下]


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鉄塔が多い

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加治川を離れて北上

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北に向かって快走中

加治川沿いを離れて、国道290号に合流すべく北上します。こっちも鉄塔が並んでますね。[上]

車も少ないし風も弱いし、快適。東赤谷からさほど来たわけではないのに、景色が違います。[左]


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正面に櫛形山脈

正面に見えてきたのが櫛形山脈。確か日本一小さい山脈だったかな。今からこの山脈の北端まで行って、グルッと回って出発地点に戻る事になります。


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国道290号合流まであと少し

写真左、橋が見えていますが、あの辺りを坂井川が流れています。坂井川を向こう側に渡れば国道290号に合流です。[左]

国道290号に合流して700mほど国道を走って、左側に分岐していく旧道へ。旧道を1km程進んで菅谷不動尊に到着。現存する山門は、慶応2年(1866年)に建築された物。欅造りだそうです。[下]


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菅谷不動尊に到着

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綺麗な菊

山門を入ると、中には菊が展示してありました。そう言えば弥彦神社の菊まつりの時期も今頃だったっけな? あっちにも取材に行かないと。


本堂。明和7年(1770年)に再建されたものだそうです(創建は1185年とも伝えられている)。特に眼病に御利益が有るとして振興されているんだそうです。[左]

菅谷不動尊を後にして、国道290号を北上します。次の経由ポイントは胎内観音。何か寺社仏閣巡りになっていますが。交通量はさほど多くないのですが、この日は片側交互通行での工事が何カ所かで行われていて、ストップ&ゴーの度になるべく速く通過してしまおうと全力疾走していたら、バテバテになってしまいました(^-^;[下]


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案外アップダウンが多い

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現国道290号と別れ旧道へ

胎内川を渡る手前で、旧道と分岐します。現道を離れて旧道(写真左)へ。[左]

旧道沿いの鼓岡。それほど通行量の多くない現・国道290号ですが、それでも、この旧道の道幅の中を50km/hの車が行き交うのはちょっと怖いな。[下]


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現県道53号線

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既に51km来たらしい

鼓岡を通り過ぎて、胎内川橋で胎内川を渡り、県道53号線をトレースして左折。さて、と、ここでカロリーメイトでも補給しておくか〜と道端に停車して、腕のsuunto t3cに目を遣ると、おや既に50kmを越えている? ここから先の予定ルート、結構距離有るんじゃなかったっけ?


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道の駅「胎内」の近くまで来た

カロリーメイトを補給して、暫く道なりに進むと、道の駅「胎内」の案内板が見えてきます。


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胎内川

胎内観音の前に掛かる樽ヶ橋から、胎内川を眺めます。モヤッていて遠くは望めませんが、これはこれで、中々綺麗です。しかし、来る人が少ないなぁ、ここ。

レポートはVol.2へと続きます・・・



All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.12.23]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp