風まかせ旅紀行
新潟県 新発田-胎内-紫雲寺ポタ Vol.2
胎内観音は、昭和41年,42年に起きた羽越水害による受難者の冥福と、災害復興を願って昭和45年に建立されたものだそうです。名前だけは以前から知っていたのですが、由来は知らなかったんです。割と新しいんだなぁ。名前を知っていたのは、天文少年だった小学生の頃、「胎内星まつり」を天文ガイド誌で読んで知っていたからかな。
昭和42年8月28日水害(羽越水害)とは・・・新潟県
羽越水害アーカイブ 〜忘れない、水害への備え〜
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
胎内観音から、道なりに国道7号に合流し、途中旧国道等を通りつつ中条駅周辺の市街地へ。[左]
特に事前情報もなく立ち寄ったのですが、古い建物が沢山残っていて、街道時代の雰囲気が伝わってきます。これは思いがけず良い風景を見ることが出来ました。[下]
特に景観保存地区に指定されているわけでは無さそうですが、生活感というか活気が有って、下手に保存地区になって撮影セットの如くガランとしてしまうより、こっちの状態のほうが個人的には好きです。[左]
交差点には、こんな蔵造りも残っています。なんともナイスな街だ。[下]
中条の街中を抜けて、一旦国道7号に合流し、再び旧道らしき道へ。が、橋の先が工事のために通行止め。さて、どうしようか。が、こんな時に役に立つのがGPS。
GPSの地図を見つつ、奥羽本線を横断して船戸の集落を通過して、県道591号線へ。このまま道なりに進めば日本海です。
追い風に乗って快走。ペダルを軽くクルクルと回すだけで、あっという間に時速35kmをオーバーしてしまいます。新しい道なので、路側帯の幅も十分有るし、舗装状態も○。ちなみにこの道、比較的新しい道なので、Garmin eTrexに入れてきたマップソースには載っていません。
日本海自動車道の中条ICの下をパスして、さらに先へ。前方に少し高くなった土地が南北に広がっていますが、あれを越えれば日本海です。
日本海沿いを走る国道113号へ合流します。この辺は車で来たことはありますが、自転車では初めてです。この交差点で左折して、紫雲寺記念公園を目指します。
松林の中を行く国道113号。車の来ない時を見計らって撮ったのですが、実際は頻繁に車が通ります。大型車も多い上に、路側帯がほとんど無いので、ヒヤヒヤしながら進みます。
落堀川を渡り藤塚浜へ。この川は新田開発の為に、かつて存在した紫雲寺潟を干拓するために、人工的に開削された物だそうです。それも近年の話ではなく着工は享保13年(1728年)。そう言えば埼玉県の見沼干拓も同じ頃でした。
参考資料:「蒲原」の意味を知っていますか?/5 紫雲寺潟の干拓と落掘川の開削(注意! PDF形式 623kB)藤塚浜に入って旧道へ。ここ藤塚浜は明治19年に大火が有り、殆どの家屋が焼失した過去があるそうで、その為なのか、古い道沿いにも関わらず、それらしい建物を見掛けることはありません。
そう言えば、この辺はふじの井酒造が有るんじゃなかったっけか? と思い出した矢先、目に飛び込んできたのは、そのふじの井酒造の看板。ああ、やっぱりそうだ。ここで”大吟醸めぞん一刻”が造られたんですねえ。
参考記事:2007年9月22日の日誌記事”管理人さんが来た!”
外から見える中では一番大きそうだった蔵。昭和蔵かな?[左]
紫雲寺記念公園に来ました。折角なので海岸へ出てみることに。穏やかな日本海を見るのは久しぶりかも?[下]
5号車と一緒に日本海に来るのは、先月の久比岐自転車道以来。実は自転車で太平洋側に行ったことが殆どありません。ひたち海浜公園周辺と、霞ヶ浦周辺をBD-1でポタリングした2回だけ。2号車は荒サイ専用と化しているし、5号車は有る意味で日本海側専用?
この紫雲寺記念公園には、海沿いにオートキャンプ場が整備されていて、結構好評らしいです。あの建物の先がオートキャンプ場のスペース。この時期は護岸工事が行われていました。
海岸で暫く休憩&補給して、今度は新発田市中心部を目指します。午前中に向こう側を走った櫛形山脈がちょっとだけ見えてます。
予定ルートを着々と進行中。この調子なら新発田市街に入ってから、少し見て回る時間はありそうです。
加治川橋の上から見る加治川下流方向。ここまで来れば新発田市中心部までは、後3km程の距離です。
新発田市中心部の北側を回り込むように走っている国道7号を横切ると、旧に市街地になります。なんというか、どことなく城下町っぽい感じ。
出発から88km、午後2時半前に新発田城址に到着。1時間半位は市内を見て回ることが出来ます。まずは城址に入ってみよう。
国の重要文化財に指定されている表門。壁の一部が海鼠壁(平瓦を壁に付け漆喰で固める)になっています。雪対策らしいとの話。門を入ると、中で観光協会が観光マップを配布していました。おお、ちょうど良かった。
本丸鉄砲櫓の位置に建っているのは、元は二の丸隅櫓だったものを移築したもの。
表門の中の様子。新発田城の歴史を紹介した写真パネルが展示されていました。右側に見える手すり状の所から門前の様子を覗くことが出来ます。つまり上から矢射る訳ですね。投石でも十分な距離か。
カトリック新発田教会。観光マップに載っていたので、何となく寄ってみたのですが、面白い建物です。竣工は1966年と、それほど古い物ではないのですが、先ず目を惹かれるのがガラスでしょうか。教会=ステンドグラスが頭に浮かびますが、ここはその地に根ざした物を使おうということで、ガラスに和紙を切り抜いたものを張って、その替わりとしています。内部の見学は要事前連絡なので、今日は外から眺めて退散。
最近の観光マップからは除外された様子です。
まだまだ時間があるので、マップ片手にウロウロしてみることに。次に向かったのは公設露天市場。露天と言っても屋根が無い訳ではないようで、建物自体は河川の上に建っています。表通りから少し入ったところに有るので分かりにくいかも。昔からのお客さんが来るのでしょうか。
次に向かったのが白勢長屋。マップを頼りにウロウロ。と言っても現地に案内板が建っているわけでもないので、うーん多分コレだろう?という感じですが。明治前期に建てられた長屋で、12軒が連なっているんだそうです。長屋の一角は、藤塚浜で見てきた、ふじの井酒造が使っているようでした。
新発田市中心部の様子。実は、これほどの商店が軒を連ねる街だとは知りませんでした。さすが城下町。[左]
お次は足軽長屋です。新発田藩政時代のままに残った長屋。直ぐ隣の下屋敷跡(清水園 国指定名勝)と合わせてバス観光のルートになっているようで、観光客で賑わっていました。中に入ってみようかぁ〜と思いつつ、日が大分傾いてきたので、出発地点に戻ることに。[下]
JR新発田駅。大正元年に開業した駅で、白新線と羽越本線が合流します。かつては、最初に見て回った赤谷線も乗り入れていました。今でも特急(特急いなほ)が停車する駅です。
さて、ではその赤谷線跡の残りを見ていくことにします。新発田駅を出て、ちょっと羽越本線と並走した後、東へ向かってカーブして離れていきます。なぜかここまでは現存しています。なにかの引き込みに使うんでしょうか?
カーブの先は直ぐに車止め。その先の廃線跡の敷地には真新しいアパートが建っています。その直ぐ脇には小さな橋台が残っていました。
真新しいアパートから少しの区間は、駐車場になっていたり民家が建っていたりするのですが、直ぐに歩道に転用されてた廃線跡を見つけることが出来ます。ここから先、廃線跡を走って、今朝出発した地点に戻って本日の取材は終了。
いや、五十公野公園の駐車場まで戻って見ると、走行距離が100kmにちょっとだけ足りなかったので、公園周囲の道をムダにグルッと廻って終了としました。お陰でバカウケの工場を見つける事が出来ました。寄り道してみるもんだなあ。
走行経路1、五十公野公園から赤谷線跡、東赤谷駅跡を経由して上羽津までです。
走行経路2、上羽津から国道290号に合流、菅谷不動尊、胎内観音、中条駅前、県道591号線までです。
走行経路3、県道591号線から藤塚浜、紫雲寺記念公園、新発田市街、赤谷線跡、五十公野公園までです。
ルートプロファイルです。距離は104km弱、累積標高は1179mでした。最高地点はやはり東赤谷駅跡で標高180m前後でしょうか。
GPSログはこちら「log20091031_0.gpx」です。カシミール3DやGoogleEarthでご覧下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
初めての下越地方ポタリングでしたが、同じ新潟県内でも景色が違うなぁ〜と改めて実感。そして、新発田市中心部がこれほど栄えている場所だとは知りませんでした。さすが、1つの藩の中心地だっただけの事はあります。次回の下越地方ポタリングは村上市周辺から、お隣の山形県辺りまで脚を伸ばしてみたいですね。さすがに一日だと勿体ないから2泊くらいで走ってみたいなぁ。
関連URL
All Photographs by Ryo Masuda 2009.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.12.23]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp