風まかせ旅紀行
埼玉・群馬県 神流川周辺ポタ Vol.1
2011年11月23日(水)
久しぶりに晴れの予報になった休日。昨晩のうちにタイマースタートしていた洗濯物を干して、車に3号車と道具を積み込んで出発。それほど早い時間でもないので、遠出はせずに同じ県内の北西部を散歩してみる事にします。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
拠点としたのは児玉郡美里町にある、国道254号から近い遺跡の森総合公園駐車場。空いているようで、まずは一安心。
遺跡の森総合公園を出発して駒衣町内を移動してます。ひとまず国道254号に出て、その反対の広木という集落から摩訶池の西側を通るつもり。
駒衣西交差点で国道254号を横断し、その先の広木という集落を通る街道の名残のような道へ。
少し行った所で北へ進路を変えて、再び国道254号を横断し、摩訶池の西側を通って沼上という集落へ向かいます。
沼上の集落に入りました。ここも中々歴史の有りそうな集落です。集落のハズレに鎌倉時代の使われた瓦窯跡が残っており、国の指定史跡になっています(水殿瓦窯跡)。少なくともその頃には集落があったのでしょう。実は、それを見学したかったのですが場所が把握できず断念。
沼上から小山川を児玉町方面へ向かいます。小山川を渡ると直ぐに県道75号線に合流し、そのまま道なりに八高線・児玉駅方面へ。八高線の踏切は「第二深谷街道踏切」でした。
児玉駅近くをウロウロしていると、駐車場の片隅に何やら案内板が建っているのを見かけて、立ち寄ってみます。
「久米六の井戸」と呼ばれる井戸らしい。
折角なので児玉駅に立ち寄ってみました。瓦屋根の素敵な駅舎でした。開業当時の建物なのでしょうか?
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現在は建て替えられて現存せず
駅前に建つ観光案内板。何も下調べせずにフラフラする私には有り難い存在です。近くに雉岡城の城跡があるらしい、立ち寄っていく事にします。
ここかな?と曲がってみたら県立児玉高校入口だった、というハプニングが有りましたが(城跡としては間違っていないが)、雉岡城跡に到着。
入口近くに掲示されている雉岡城跡の縄張り図。大半は高校と中学校の敷地として転用されています。
ちょっとした斜面を登ってみました。どうやら三の郭に当たる場所らしい。県内にこんなに城跡らしい城跡がある事を知りませんでした。寄居の鉢形城跡はよく通り掛かるから知っているのですが。
城址から西方向、上野村のほうの山々。紅葉を眺めに神流川沿いを走ってみるのも良いかも。既に時期が遅いかな?
次に向かうのは、埼玉県で生まれ育った人なら名前位は覚えている(であろう)塙保己一の生家です。さてこの細道を進めば行けるはずだが?
雉岡城跡からGPSを頼りに細道を進みます。使われなくなって放置された畜舎と後ろの山並みが相まって、なんだか埼玉県じゃないみたいだ!?
途中、案内の看板が出ているのを見つけて難なく到着。生家跡ではありません、生家のそのものが現存し、しかも現役でした。へぇ。
門の傍らに建つ案内板。幼少時に視力を失いながらも国学者として「群書類従」の編纂に尽くした偉人です。
生家近くに建つ没後100年を記念した碑。題字は、やはり埼玉県で生まれ育った人なら知っている(であろう)、渋沢栄一によるもの。
塙保己一の生家から、また少し北へ移動してJR八高線の丹荘駅へ向かいます。お目当ては、かつて丹荘駅から神流川沿いを西へ伸びていた上武鉄道の廃線跡。
丹荘駅の西側に来ました。水色のフェンスの向こうが八高線。手前、水色のフェンス沿いから写真左に広がっていく草地が廃線跡ですね。継電器箱らしき赤茶けた物体が1つ、転がっています。
アパートの向こう側にある道に出てみました。正面がJR八高線の丹荘駅。さて、こちら側には丹荘駅の駅舎が無いので、JR八高線を渡って東側に行ってみましょう。
と、ちょうど上り列車がやって来ました。手前にも線路が1組残っていますが、これはかつて駅から高崎側に伸びていた引き上げ線の名残らしい。
赤茶の瓦屋根が可愛らしい丹荘駅前で一休み。駅は既に無人化されているそうです。
再び踏切を渡って上武鉄道跡へ向かおうと、ふと踏切脇に目をやると、こんな所に道路元標? 丹荘村の道路元標ですね。設置当時から此処にあるのかは不明らしい。後ろの踏切(丹荘駅の直ぐ北側)は、鬼石街道踏切といいます。
鬼石街道踏切を渡り、直ぐに右折して廃線跡を整備した道に入ります。暫くは住宅街を貫く2車線道路に転用されています。ただこの先は何処へも抜けれらない道なので車の通行は少なめ。
2車線道路が途切れて、その先は遊歩道として再整備された廃線跡。この先にある中学校の生徒でしょうか、結構な人数歩いていました。部活帰りかな?
暫くはタイル敷の遊歩道が続きます。
綺麗に保存されている神川中学校前駅跡のホーム。次の青柳駅は跡形もなく撤去されたようです。尤も駅といっても畑の真ん中に小さなホームがポコッと有っただけだそうです。
タイル敷の歩道が途切れて、アスファルト舗装の細道になった廃線跡。
梅の木がポワポワっと生えた丘状の土地、なんだと思います? これ、古墳なのです。この辺りは青柳古墳群と呼ばれる古墳密集地帯で、確認出来るだけで270基もあるんだそうです。昔は人口の多い場所だったのかも。
寄島駅跡のホーム。裏の民家は廃線後にホームを利用して建てられた訳ではなく、現役当時からこの姿のようです。昭和45年に撮られた写真には、この民家とブロック塀が写っています。
何故か残る踏切跡の線路。長野電鉄や越後交通の廃線跡も、踏切部分だけレールが残されている事が多いんですね。撤去し難いのだろうか。
踏切跡から少し進むと、廃線跡は沢を渡っていきますが、歩道はその手前で終了。沢には小さな鉄橋が残っていました。
走行経路1、出発地点から広木、沼上、雉岡城跡までの往路と復路。
レポートはVol.2に続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2011.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks '>ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.12]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp