風まかせ旅紀行
新潟県 北国街道 直江津-関山ポタ Vol.1
2010年8月22日
暑さもそろそろ収まって来れる事を期待して、久しぶりに車に3号車を積み込んで新潟県上越市へ。前回が7月18日の鶴岡・酒田ポタリングだったので丸1ヶ月振りの取材です。今回は北国街道を上越市内から長野方向へ、関山辺りまで辿ってみる事が目的。
車を上越市にある五智公園に停めて3号車をパパッと展開。あれこれ出発準備をしていた所、公園内からキャンピング装備の自転車がワラワラと出てきます。どうやらどこかの大学の一団らしい。その一団を見送ってから出発。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
五智公園を出ると、直ぐに加賀街道になります。ポツポツと残る街道の松が印象的な道です。
道なりに上越高田方面へ。それほど広い道ではありませんが、車の通りも少なく、危ない事はありません。にしても静かな道だ。[左]
信越本線を西から東へ横断します。ふと見ると踏切の名前が「加賀踏切」でした。[下]
木田新田にある追分地蔵。案内板の下にあるのは道路元標ですね。お地蔵様の左奥へ伸びるのが、今走ってきた加賀街道。
案内板の拡大。ここが加賀街道・北国街道・奥州街道の三叉路だった名残だそうです。ということで、ここから先は北国街道となります。[左]
追分地蔵からさらに高田方向に進みます。加賀街道が追分地蔵から先だとすると、ここは北国街道か。道は2車線からセンターラインの無い細道に。[下]
高田の中心街に近くなるに従って、通りに雁木が現れました。向こうの方に見える松の木は街道由来のものでしょうか。[上]
北本町の交差点付近。ずっと先まで雁木が続いているのが分かります。[左]
加賀街道をちょっと外れて高田駅前で一休みした後、本町1丁目で再び北国街道へ。現在の県道198号線ですね。街道沿いに残る「粟飴翁飴本舗」。東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)で有名な十返舎一九が、著書の中で紹介したお店だそうですが、今なお健在。
南本町2丁目の交差点で右折し、県道579号線に入ります(県道85号線との重複)。バイパス開通前は国道18号だった道で、通称「上越大通り」。この通りの地図を見ると、間口が小さく奥行きが長い地割りが、今でも残っているんですね。
さて、この先の北国街道は瀬渡橋まで旧国道18号を進むのか、それとも何処かで分岐するのか?と考えながら進んで荒町の交差点に差し掛かります。向かって左側に分かれていく細い道を見つけて「こっちだったりして?」と進んでみると、何か案内板を見つけました。
「弘法の清水」の案内板でした。ということは、ここが北国街道なのだろうか? 殆どの資料では、瀬渡橋から脇野田駅までの間は旧国道18号が北国街道、とされているのですが。
旧国道18号の東側に伸びる細道を進みます。微妙に曲がりながらも続く道の佇まいは、街道っぽいと言えばそう見えます。こま、いずれにせよこれを進めば瀬渡橋の袂に出るはず。
矢代川に掛かる瀬渡橋を渡った南側にある大きな石碑。脇に案内板が有るのですが、残念ながら退色してしまって判読不可。どうやら北国街道最大の橋が架かっていた旨の碑らしい。
旧国道18号から西側に分かれていく街道を進みます。国道をロードレーサーで飛ばすのも良いけど、こういう道をノンビリ進む方が性に合ってるなぁ。
暫く行くと踏切を渡り信越本線の西側へ。さらに道なりに進んで妙高市の新井駅近く、個人宅の敷地(と思われる)に建つ「石塚の一里塚跡」の碑。
東本願寺新井別院の入り口に建つ「明治天皇新井行在所」の碑。明治天皇の北陸巡幸の当たり、関山にあった宝蔵院(神仏分離令で廃棄)の庫裏を移築し、御在所として使ったそうです。
街道沿いに建つ歴史の有りそうな建物。君の井酒造の建物のようです。同社のwebサイトを見ると明治期には既にこの建物だったようですね。
中町の交差点。ここを左折すると新井駅に出ます。街灯のポールには「北国街道」の文字が。[上]
上町(かんまち)で、道沿いに何かのお堂を見かけて停まってみました。上町延命地蔵尊というのだそうで。[左]
お堂自体は小さく質素です。しかし、周りの木造民家も相俟って雰囲気は昭和のまま。もしかしてお堂改修の昭和10年からあまり変わってなかったりして。
隣の民家の壁に掲げられた「三菱電気冷蔵庫」の看板。赤いスリーダイヤが退色せずに良く残っているものです。[左]
北国街道と県道30号線とが交わる下町交差点に建つ道標。北国街道に向かって「右 善光寺道」と刻まれた面が向いています。新潟県側も善光寺道って呼ばれていたのか。[下]
ここまでの道中、特に高低差を感じる事は有りませんでしたが、渋江川を渡ると向こうに小山が見えてきました。いよいよ信越国境に向かって登り始めます。
標高差30mほどの小出雲坂をエッチラオッチラ登ります。登った先に案内板が建っていました。
登ってきた小出雲坂を振り返った所。
小出雲坂から板橋を集落へ入り、その南端で県道344号線に合流します。先の道路脇の少し小高くなった所に木が2本見えていますが、これが藤沢一里塚。東側の1基だけが残っています。
藤沢の一里塚から程なく二本木宿に入り、スイッチバックの駅として有名な二本木駅に着きます。お盆過ぎとはいえ8月。日差しの強さと気温は未だ夏です。水分補給を兼ねて二本木駅の軒先を借りてしばし休憩。
駅側から北国街道を見た様子。駅前は食料品店。
暫くの休憩の後、再び北国街道を辿ります。二本木駅を出ると、直ぐに踏切を渡り新設本線の東側へ。踏切の名前は「北国街道踏切」。
緩やかに、だが確実に登り続ける北国街道を進みます。ゴミ置き場の傍で見付けた中郷村道路元標。[左]
水田は1枚1枚に段差を設けながら、斜面を登っていきます。田圃の向こうに妙高サンシャインリゾートのホテルと観覧車が見えてきました。[下]
元片貝小学校の片貝縄文資料館。この辺りは「籠峰遺跡」(県指定史跡)を筆頭に、多くの縄文時代の遺跡が有るそうです。
もうすぐ現国道18号と交差します。向こうにもヒョロッと伸びた松の木が見えています。「街道の目印として松を植えた」と良く聞きますが、こういうとき、それを実感します。[上]
国道18号を横断します。交通量が少ないのを良い事に、センターライン上でパチリ。ちなみに長野方向。[左]
国道18号を渡ったところにある北沢の一里塚。最近まで手前に案内板が建っていたようですが、撤去されてしまったのでしょうか?
レポートはVol.2に続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.12.16]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp