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風まかせ旅紀行

新潟県 和島・吉田・燕ポタ Vol.1



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2010年9月20日(月)

月岡温泉方面ポタから中1日。降水確率が高め天気予報で、これじゃポタリングは無理か?と諦めつつ、少し期待して午前7時半に起きてみると、強い雨音が聞こえてきました。こりゃダメだと2度寝。午前10時前に再び起き出すと雨音は聞こえず。窓から外を見てみると、前の道路は既に乾きつつありました。気象庁のwebサイトで雨レーダーと天気図をチェック。これなら日が出ている内は雨に降られないかも。ということで、近所をポタリングしてみることに。

地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)


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和島町内の旧国道116号

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越後線の西側へ

3号車と道具を車に積み込んで、近くの道の駅「良寛の里わしま」へ移動。早速3号車を展開して出発します。[上]

旧国道116号(現県道574号線)を走って越後線の踏切を越えます。[左]


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誰も来ない旧国道

踏切を越えて、さらに旧国道116号を700mほど進みます。しかし静かだ。


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色付いた稲穂

この辺は黄金色の稲穂が残っています。向こうは収穫が終わってる。秋だなぁ。


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結構な坂

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名無しの峠

旧国道から右折して県道410号線に入り、寺泊矢田方向へ。こりゃ、結構な上り坂だ。[上]

えっちらおっちら登ってピークを越えます。[左]


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スイスイ進む

初めて走る道ですが、車も少ないし舗装の状態も良いし、適度にカーブが続いて走っていて飽きません。


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収穫を終えた田圃

ここら辺も収穫が終わってるなぁ。やはり少し寂しい感じ。


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道脇に残る土盛

寺泊高内に来ました。道の脇に細長く延びる不思議な藪。何かというと越後交通長岡線の廃線跡。


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枕木の残る廃線跡

高内と万善寺の間に残る廃線跡。廃線後もしばらくの間、レールも外されずに残されていたため、バラストや枕木が残されています。写真は長岡方面を向いて撮ったもの。


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踏切跡

上と同じ地点から寺泊方向を撮ったもの。踏切跡もこの通り残っています。ということは、この交差点は廃線前から在る道なんだな。


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大河津駅跡

廃止後36年(1975年 越後関原-大河津駅間廃止)を経てなおレール・架線柱・ホームが残る大河津駅跡。


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「歩行者(笑 遠回りしろよ」的案内板

廃線跡を離れて、国道116号を新潟方向へ。天下の国道が大河津分水路を渡るんだから、両側に歩道があるだろう?と思って現地に来たわけですが、なんと上流側にしか無いらしい。車は最短距離を走るのに人が大回りさせられるという、何とも解せないが各地に存在する、在る意味で日本的な風景。


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「自転車(笑 草にでも突っ込んでろ」的歩道

その歩道もこの通り。自転車はおろか、人同士でもすれ違えないんじゃないかな? ああ、そういえば除草も公共事業でしたね。公共事業より小遣いくれ派が望んだ結果がこれか。


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建設中の新・可動堰

色々酷い国道116号大河津橋の上流側に建設が進む新・大河津分水可動堰。大河津分水路が出来るまで、ここ以北の信濃川下流域は洪水の頻発地帯で、輪を掛けて悪いことに殆どが平地な為、一度浸水するとなかなか水が引かないという土地でした。一度、大河津資料館を見学してみるべき。


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大河津分水右岸

大河津橋を渡り、長岡市寺泊町から燕市へ。少し大河津分水の堤防上を上流に走って、現・可動堰の上流側に来ました。ちょっと分かりにくいですが、川面の右奥へ別れていくのが信濃川、手前に来るのが大河津分水路。[左]

1931年完成の現可動堰。当時の技術の粋を集めて建設された可動堰も、寄る年波には勝てず。しかし水の浸食力というのは凄まじいものがあります。[下]


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1931年完成の現在の可動堰

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分水駅へ向かう

大河津分水から越後線の分水駅方面へ移動します。


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薬医門の案内板

道沿いに何か案内板が建っているのを見掛けて停車。薬医門とな?


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門が門外な写真

文面を良く読まずに写真だけ撮って次へ。門の全容を撮っていなかったのですが、門が重要だったんですね。失敗。


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JR越後線・分水駅

2000年に立て直された越後線・分水駅。壁面の飾りは大河津分水の可動堰を模しているらしい。[左]

分水駅を出て行く普通列車。この先は大河津分水を渡って寺泊駅です。[下]


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普通電車が出て行く

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旧・分水町の観光案内

駅前に建つ旧・分水町の観光案内。そうだ、今は燕市なんだった。[左]

分水駅北側の中諏訪から下諏訪の商店街をブラブラ。[下]


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駅北側の商店街

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サン号 売ってますか?

「自転車はサン号」の看板が残る現役の自転車屋さん。ちなみにサン号を作っていた秀工舎は昭和51年に倒産しているので、この看板は35年以上ここに在るわけだ。


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村社諏訪神社

一度、分水駅南側に戻って上諏訪町の諏訪神社。近代社格制度による「村社」の字が残されています。無為に塗り潰している神社も見掛けますが。


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諏訪神社全景

諏訪神社全景。夏祭りをやるにはちと狭いか。


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県道68号線

市街地を抜けて、西川沿いの県道68号線を吉田駅方向へ走ります。


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国上山・弥彦山・多宝山

左に見えているのは手前が国上山、奥が弥彦山と多宝山。右にある建物は燕市立分水北小学校。


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県道沿いのお地蔵様
道沿いで見掛けた台座が立派なお地蔵様。


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良寛所縁のものだった

傍に建っていた案内板。約200年前のものでした。[左]

越後線粟生津駅の近くで、西川右岸の県道374号線に移動。[下]


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西川右岸の細道

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水郷的な風景

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弥彦線の鉄橋

同じ新潟県内でも頸城丘陵の風景とはずいぶん違って、水郷的な風景。[上]

そのまま西川沿いの県道374号線を吉田駅方向に進みます。弥彦線の鉄橋が見えてきました。川が流れているように見えないのに、鉄橋だけがデーンと構えているので、ちょっと不思議な景色。[左]


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吉田駅近く

吉田跨線橋西詰交差点から吉田駅前方面へ。吉田旭町4丁目から3丁目、2丁目辺りの商店街。[上]

走行経路1、道の駅を出発してからJR越後線分水駅まで。


走行経路2分水駅から吉田駅まで。

レポートはVol.2に続きます。



All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA


この記事は[2023.11.20]に加筆修正しました。

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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp