風まかせ旅紀行
新潟県 中ノ口川沿いポタ Vol.1
2010年11月6日
前日の夜、午前2時過ぎまで起きていたのですが振り続く雨は変わらず。幾ら翌日には天気が回復すると言っても路面が乾かないんじゃ、自転車はダメかもなぁ〜。と思いつつ就寝。午前7時過ぎに目が覚めると、今度は風が強く自転車どころではない様子。こりゃダメだ、と二度寝して午前8時過ぎに起きると、風は若干弱くなった感じです。風は弱まる方向に行くだろうし、路面も乾きつつあるし、となればどこか行くか? が、遠出するには時間が少ないので、近くの道の駅「国上」まで車で移動して、中ノ口川沿いをフラフラしてみました。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
道の駅「国上」に車を置いて午前10時半に出発します。まずは越後線の粟生津駅方向へ田圃の中の農道を移動します。
今朝までの雨は何処へやらの青空と白い雲。路面はまだ濡れていますが、フラフラ走っているうちに乾いてくることでしょう。
道の駅の近くの源八新田の集落中にある「客土の丘」の案内板。大河津分水の直ぐ北側のこの辺りは信濃川の氾濫原で、大河津分水完成前は一帯に悪田が広がる場所でした。興味のある人は信濃川大河津資料館と新潟県立歴史博物館に行ってみましょう。
農道を走って西川沿いの牧ノ花へ。西川は分水で信濃川から別れる支流の一つ。
西川沿いを下流方向へ向かいます。中々狭い道だ。
西川右岸のお地蔵様。西川沿いの道と、下粟生津から燕方面に向かう道との交差点に建っていたという事は、古い道なのかな。
越後線を渡って国道116号との交差点に出ます。交差点の名前は「金属団地入口」。交差点の向こうは北越工業の本社工場です。
北越工業の北側を東へ向かいます。この道、このまま道なりに進むと県央大橋を渡って国道289号と交差します。そのうち国道289号バイパスに組み込まれるのかな?
水道町に差し掛かる辺り、県道の交差点にあったパン屋さん。繁盛していました。
旧浄水場の配水塔が見えてきました。昭和13年に建てられた配水塔で、この度、保存の為の補修工事が決まったとの事(2011年11月)。ちなみにお隣長岡市の配水塔も有形文化財として保存されています。
燕市旧浄水場配水塔・・・平成25年6月21日付けで文化財登録されたそうです。
関連レポ・・・新潟県 和島・吉田・燕ポタ Vol.2
水道町から秋葉町と、裏通りを通ってひとまず燕駅を目指します。
弥彦線の燕駅です。かつては新潟交通電車線との連絡駅でした。駅前に建つ観光案内地図を眺めていたら、タクシーの運転手に声を掛けられて、暫くポタリング談義。
駅北側へ向かおうと、近くの踏切を探すと、ちょうど遮断機が降りていました。弥彦方面から列車が来ました。おや、なにか普通列車ではない様子。
各催しに合わせて運行されている気動車改造の「びゅうコースター風っこ」でした。この時期に弥彦線ということは弥彦の菊まつりに合わせて運行されているのかな?
踏切を渡った先にある怪しげなカーブを描く道。この道のトレースはまた後で。
燕駅の北側。この先にかつての新潟交通電車線・燕駅があったそうです。新潟交通電車線は、ここ燕から中ノ口川沿いを新潟市中心部までを繋いでいましたが、平成5年、平成11年の2度に分かれて全線が廃止されました。ここ燕駅から月潟駅までの間は最初に廃止された区間。
先ほどの怪しいカーブの道を進んでいくと、その先にはこんな真新しい歩道がありました。架線柱もそのまま残っています。
そのまま廃線跡を進みます。田圃と市街地の境界を行く廃線跡。
寺郷屋で市道と交差した先は廃線跡が手付かずのまま残っています。確かにこの先は歩道化しても利用者は居ないだろうな。
さすがに線路と枕木は撤去されましたが、バラストは残されています。
なぜか取り残された架線柱。架線柱全てが残っているわけではなく、以前の踏切の傍や橋の近くなど、目立つ所にだけあるので、メニュメント的に残しているのかも。右も左も田圃で、田植え直後は水面を走るような車窓だっただろうなぁ。
一旦廃線跡を離れて市道で北上します。そのうち東西に伸びていた廃線跡を横断するはず。
市道を進むこと1kmちょっと。再び廃線跡に出くわします。この区間は歩道化されていて、近くに小中学校があるので通学路して使われているようです。
廃線跡を辿ります。先に見えるのは北陸自動車道。この辺りの北陸自動車道は昭和50年代に開通しているので、もちろん当時現役だった新潟電車線をちゃんとクロスオーバーして行きます。
北陸自動車道の下を通り、直ぐ北側に燕北中学校を見ながら東に向かうと、荒井川排水路にぶつかります。当時の橋跡は残っていませんが、その先に架線柱が残されています。
小中川駅跡。駅跡はちょっとした広場になっていました。
駅となりの農業倉庫壁に掲示されていた現役当時の写真。右の写真にその農業倉庫が写っています。
上越新幹線の高架下を行く廃線跡。ここには小さなガーター橋が残されていました。奥が小中川駅跡。本来はこのように土盛した路盤だったようですが、駅跡前後は土盛が取り去られて元の地面の高さに戻っていました。
新幹線高架下の直ぐ先から、再び手付かずの廃線跡になり、そしてお約束のように架線柱が残されています。
MTBなら、あのまま廃線跡を走ってみるのも一興ですが、今日はBD-1。また一般道を走って月潟方面へ向かいます。民家が途切れること無く続き、時折商店が現れます。
クネクネと伸びる県道127号線を進みます。
途中、ちらりと何か見えた気がして少し引き返して中ノ口川の土手へ出てみると、そこは六部駅跡でした。次が月潟駅か。
また県道を走って月潟方向へ。月潟の商店街に入りました。曇天も手伝って妙に寂しい雰囲気が漂っていました。
線路跡は「角兵衛獅子の里遊歩道」として再整備されていました。旧駅はもう少し先か。
遊歩道にモニュメントとして埋め込まれたレール。位置が当時と同じかどうかは分かりませんが。
廃線跡近くにある、こちらも廃っぽい自転車屋さん。サン號自転車の看板が残っていました。
狭い遊歩道を自転車で走るわけにも行かないので、月潟商店街を走って旧駅方向へ。旧駅のすぐ手前にある角兵衛獅子地蔵。
角兵衛獅子地蔵の由来はこちらをご覧ください。
お、あれが旧月潟駅の駅舎かな? レポートは2ページへ続きます。
走行経路1、道の駅「国上」を出発して、「客土の丘」、西川沿い、燕駅方面へ。
レポートは2ページへ続きます。
All Photographs by Ryo Masuda 2010.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.19]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp