風まかせ旅紀行
新潟県 五泉・亀田界隈ポタ Vol.2
新江用水路沿いの道を少し移動し、適当な所で右に曲って安田の市街地へ向かいます。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
安田中心部の旧国道49号に来ました。相変わらず静かな道です。
その旧国道49号と県道188号線とが交差する「保田(中町)」交差点にある安田村道路元標。北蒲原郡安田町も2004年に阿賀野市と合併しました。
その道路元標が建っている土手状のものは、江戸時代に作られた火除の為のもの。町内3箇所に現存しているもののうちの1つらしい。
火除の為というだけあって結構な高さが有ります。2mは有るかな?
県道188号線沿いに立ち並ぶ民家。
その中でも一際立派な吉田東伍記念博物館。辺りはかつての宿場町だったそうで。
その吉田東伍記念博物館の通り、かつての宿場通りを走ってみます。そこはかとなく宿場の雰囲気が残っているような。
この建物は元旅籠ではなく商家のような感じがしますね。2階が結構高いので、それほど古い建物ではないのかも。
安田から田圃の中を京ヶ瀬方向へ。次のポイントは梅護寺の数珠掛ザクラです。地図を見ると阿賀野川の旧河道沿いですね。
新座という集落に入りました。道沿いに土蔵が建ち並んでいます。
集落内で見かけた道標。「野田 小浮 保田方面」の字が見えます。地図を見ると、野田・小浮はここから北に行った所、保田はそのから少し安田方面に戻った所に、今でも同じ地名が有ります。
阿賀野川の旧河道沿いにある分田に来ました。ここへ来て初めて知ったのですが、ここは三国街道の一つ、山通りの宿場で阿賀野川からの船着場もあり、また明治天皇の北陸巡幸の経路になりました。
街道沿いに建っている大邸宅。向こうの方から手前までずっと一軒のお宅。こりゃすごい。
分田宿は4町26間(約483m)続いていたそうで、今もそれと同じくらい民家が立ち並んでいます。各幅5間ということは、往時は右側のような妻入りの建物が並んでいたのでしょうか。
阿賀野川の旧河道に広がる田圃。旧河道跡の排水路に向かって段々低くなっていく所が、他の平野部の田圃と少し違うところ。
川前の集落内で見かけた道標。「左 三度栗 水原」、「向 小島 新津 分田 保田」でしょうか。「三度栗」だけなんだか分からない。新潟には親鸞聖人の三度栗伝説が残っていますが、そのお寺があるのは安田なので、水原とは違う方向です。ハテ?
水の張られた旧河道の田圃の眺めつつ先へ進みます。
道も割と広くて走りやすい。2号車や5号車で走っても快適そうだ。
旧河道沿いにUノ字状に曲がった道なので、さっき通ってきた分田が左のほうに見えます。
目的地の一つ、越後七不思議の「八ツ房梅」「数珠掛桜」に来ました。両方共に親鸞聖人に纏わる伝承です。親鸞聖人は最初、越後国府(現・上越市)に流された後、現・新潟市に移り5年間を過ごした、とされています。
こちらが八ツ房梅。流石にこの時期に梅の花は見られないか。
梅とは道を挟んだ反対側にある珠数掛桜を見学していくことに。国の天然記念物に指定されています。
桜の木に囲まれて立つ石碑。周囲のどの桜の木より歴史がありそうです。
数珠掛桜の方は花を見ることが出来ました。なるほど、下を向いて咲いています。
数珠掛桜を見学した後、近くの羽越本線・京ケ瀬駅へ立ち寄ってみることに。
右手に雪の残った山々を見ながら、農道を京ケ瀬駅へと向かいます。「瀬」の字が付いているところから、阿賀野川の旧河道沿いに位置する事が読み取れます。
京ケ瀬駅で一休み。もちろん無人駅です。
京ケ瀬駅のプラットフォーム。駅の向こう側がすぐ田んぼ。
京ケ瀬駅前から少しだけ国道460号を走り、すぐに西側の旧河道沿いの道へ入ることにします。国道460号に設置されている風雪避けの柵。当たり前ですが、すでに畳まれています。ここのは上に纏められているんだな。
関屋から京ケ島、窪川原、下黒瀬と細道を辿ります。しかし、見事に水辺であったことを示す町名が続きますね。
旧国道49号の横雲橋(おううんばし)を渡って亀田方面へ。この横雲橋、昭和55年まで渡し船もあったらしい。
雲がたなびく橋に、「横雲橋」・・・国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所
横雲橋を渡り、幹線道路を避けて裏道を辿ります。途中、コンビニで補給した後、袋津町内の細道へ。道沿いに郵便局がありました。ということは歴史の古い道なのかも。そうなんじゃないだろうか?と目星をつけていたからこそ、この道を選択したのですけど。
暫く行くと神社がありました。伊夜日子神社です。
昔、伊夜日子神社の境内に池が存在し、こんな伝説があるそうです。
廃止の踏切に行き遭ったりしつつ信越本線の西側へ。更に細道を右往左往しながら亀田駅方向へと進むと、妙なペイントのある道に出ました。あ、これはもしかして?
少し行ったところに案内板が建てられていました。おお、やっぱり露天市場の区割りなんですね。
結構な距離、続きます。市が立つ日に見学しに来るべきだなぁ。
亀田駅に到着。水分補給しながら、そろそろ出発地点へ戻るルートを考えます。幹線道路を避け古そうな道ということで、早通から小阿賀野川沿いへ出て信濃川を遡ることにします。
亀田駅にほど近い、県道16号線と県道5号線の交差点にある延命庵の六体地蔵。周りは道路と家屋ばかりで、ここが栗ノ木川の畔だったとは俄に信じがたい状況ですが、東船場という町名にそれが残っています。
県道5号線、本町辺りの通り。露天市場はもともとこの通りで開かれていたんですね。
亀田駅前から、亀田早通の道を小阿賀川方向へ進みます。
道沿いで見かけた大邸宅。塀の中には、かなり痛んでいましたが、大きな土蔵も見え隠れしていました。近郷の庄屋等を務めた家なのかもしれません。
小阿賀野川の堤防上端の道に来ました。田圃の向こうに見える白い屋根の建造物はビッグスワンスタジアム。その右に重なって見えるのはハードオフエコスタジアム新潟。
小阿賀野川の右岸堤防を進みます。遠くに見えているのは角田山から多宝山・弥彦山。
小阿賀野川と信濃川の合流地点近くに発展した酒屋町。江戸末期には、会津方面からの木材を扱う港町として発展したそうです。
小阿賀野川に掛かる県道1号線の亀鶴橋。その橋の袂に旧橋の親柱が保存されていました。
その傍に建つ案内板。保存されているのは昭和9年に完成した2代目のものだそうです。
現橋で小阿賀野川を渡り、信濃川沿いを上流方向へ。
暫く行った所にある、大秋排水機場の敷地内に、何か大きな物が展示されているのが見えたので立ち寄って見ました。まずは新小須戸排水機場の歴史を勉強。ん? 名前が今と違うのですが途中で変更されたのでしょうか。
屋根の下に保存されている揚水ポンプとエンジン。3号車と比べてみれば、その大きさが伝わるかな?
丘に上がった元艦船用エンジン。直列6気筒(多分)のすごい奴。あまり古さを感じませんね。
荏原製作所製のポンプ。カタツムリっぽい形の遠心ポンプ。ということは、こちらを向いているのが吸込口か。
信濃川を離れて、出発地点の古津方面へ。昔からありそうな道を選んで走ります。件の排水事業で辺りが干拓される以前は、沼地と沼地に挟まれて集落を繋ぐ重要な通りだったんでしょうね。
突き当りの丘が、出発地点の「花と遺跡のふるさと公園」のある秋津の丘陵地帯。今回も色々見ることが出来たポタリングでした。
走行経路2、安田から分田・京ヶ瀬・横雲橋まで。
GPSログはこちら「log20110503_0.gpx」。カシミール3DやGoogleEarthでご覧下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
走行経路3、横雲橋で阿賀野川を渡り、亀田駅方向へ。亀田駅前から小阿賀野川沿いへ出て酒屋町まで。
走行経路4、酒屋町から亀鶴橋を渡って信濃川右岸を遡り、大秋排水機場から出発地点に戻りました。
ルートプロファイルです。走行距離は約66kmでした。秋葉の丘陵以外は標高がほぼ0mで、これを見ても、この辺りは水害が酷かったのだろうと推測出来ます。
All Photographs by Ryo Masuda 2011.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.15]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp