風まかせ旅紀行
新潟県 十日町-松代-犀潟 vol.2
国道253号の車を避けて、人っ子一人来ない国道403号を辿ることにしたものの、いきなりの急坂にギブアップ。途中から自転車を降りてテクテクと歩くことに。押して歩いても手にズッシリと来る自転車の重量で、急坂ぶりがよく分かります。
現国道403号と松之山街道との分岐点と思われる場所に道標を見つけました。「大島に至る近道」とは現国道403号の事、「左大島に至る」とは松之山街道と思われます。車道開通時に置かれたのでしょうか、それほど古いようには見えません。
こちら側はこれから向かう方向「細野坊金」を示しています。こちら側には1つしか無いということは、松之山街道と国道403号が重なっているということでしょうか。
道標付近の風景。左端にちょっとだけ写っているのが道標。見えていませんが、谷になって落ち込んでいる辺りにも棚田が広がっています。
もうちょっとで峠を越える辺り。この辺りでもちょうど収穫期で、ここでもコンバインが動いていました。しかし、こんな地形だとコンバインを降ろすだけでも大変だろうなぁ。
写真左のほうで丘の稜線が少しへこんでいるのが、先ほど越えてきた「峠」。
ピーク付近から少しの区間だけ、立派な2車線になって国道らしくなりますが、長くは続かずに元の細道になります。
ピーク付近から安塚区方面を眺めたところ。丘の上まで棚田が作られている様子が見て取れます。あと一つ二つ丘を越えれば、上越の平野へ出ることが出来ます。もう一がんばり。
ピークを越えた先の平野地区にある六夜山荘。市営の宿泊施設で、一泊二食で大人6,500円よりとリーズナブル。これは使ってみたいぞ。
細野から坊金への駆け下りた国道403号は再び登りに転じます。予定では今日最後の峠越え。城ノ越を越えて安塚に出ます。ピークの手前に旧街道との分岐点があります。
左の急坂が旧街道、正面が現国道403号。城ノ越という名前が示すとおり、近くの城山(344m)に城跡が有ります。
城ノ越を越えて安塚の町中近くまで降りてきたところ、「旧・三国街道」の案内板があります。
この辺りでは比較的大きな安塚の街並み。今日走ってきたルート上では十日町を出発して以降、一番大きな町でしょうか?
さて、松之山街道を辿ろうとすれば、もう2つほど丘陵(うち一つは牧野峠)を越えて、三和区へ出るコースを辿ることになりますが、アップダウンはもうお腹イッパイだったので、県道43号線をほくほく線の虫川大杉駅方向へ降りていき、国道253号沿いに出ることにしました。虫川から西側は国道253号の傍に路地が繋がっていて、国道を走らずとも良さそうです。
後日、直江津側から牧野峠まで走りました・・・北国街道 善光寺−高田ポタ Vol.3
緩やかな下りになった県道43号線を駆け下りていくと、沢田の集落の中に六地蔵が立っていました。さて、折角ここまで来たので、国の天然記念物に指定されている「虫川の大杉」を見ていくことにします。六地蔵を後にして右折し、細い路地へと入っていきます。
やって来たのは、ここ白山神社。この境内にある杉が巨木で知られ、ほくほく線の駅名の由来となっています。神社は慎ましやかくこぢんまりと纏まった感じです。
これが「虫川の大杉」。一説には樹齢1200年とも言われ、幹周りは10m超、高さは30mほどだそうです。手前の5号車がミニチュアに見えてきます。
虫川の大杉・・・人里の巨木たち
虫川の大スギ(国指定天然記念物)・・・上越市
幹の途中から何本にも枝分かれしているのですが、枝分かれした幹ですら巨木と呼べるような太さです。杉の木というと真っ直ぐなイメージがあるのですが、枝打ちせずに自然に任せるとこんな風になるんだなぁ。
杉に枝葉に日光を遮られる為か、境内は一面の苔。これもまた綺麗。しかし、雪の多いこの地で、よくこれだけの杉が育ったものです。
虫川の大杉から600mほど西に離れたところに位置する、ほくほく線の虫川大杉駅。もうすぐ電車が来るのか、結構人が居ました。
虫川大杉駅を出て、国道253号とは反対川の保倉川左岸の道を使って、有島から顕聖寺へと走ります。
浦川原の北越線高架近くにある頸城自動車株式会社の浦川原バスターミナル。この建物、なんと、前身である軽便鉄道、頸城鉄道時代から建っている駅舎なのです。浦川原駅まで部分廃止されたのが1968年とのことなので、鉄路が無くなってからちょうど40年。
壁に設置されたプレート。軽便鉄道の事ではなくバス事業について書かれています。軽便鉄道を運営していた当時から併行してバス事業を展開していたんですね。
プレートの元に建つ「頸城バス発祥の地」の記念碑。
浦川原から、国道を避けて、水路沿いの道を進みます。車も滅多に来ないし、国道253号とつかず離れず東へ。飯室から県道253号線(浦川原犀潟線)へ入り、近くにある農業用ため池の大池小池を見ていくことにします。
大池と小池の真ん中を走る道路脇に立つ雁金城跡の案内板。大池の東側にある雁金山(143m)とその周辺に広がる城跡で、上杉ゆかりの城跡だそうです。ちなみに案内板では162mとなっていますが、国土地理院の地図を見ると、162mのピークには山の名前が付いていない・・・。
案内板の裏側から、雁金城跡の方向を見たところ。右側のピークが雁金山山頂であり「南郭」と呼ばれるところ、真ん中やや右寄りのピークが本丸跡。
大池小池を横断して、はて、何処を終点にしようか?と考えます。日没まではまだ少し時間があります。ここまで来たからには、日本海を眺めないと!ということで、終点を犀潟駅にして、平野部を横断することに。
平野部を迷走中の一コマ。通過してきた頸城丘陵の中とは全く違う風景。[上]
平野部をやや迷走した後、大潟水と森公園を抜けて潟町駅付近で国道8号に到達。道路案内に「長岡 柏崎 魚津 糸魚川」の地名が出てきて、日本海側に来たことを実感します。[左]
松林の中を伸びていく信越本線。折角なので、近くの潟町駅へ寄っていくことにします。
立ち寄った潟町駅。開業は1897年との事なので、開業110年を越える老舗の駅。さて、この先、現国道8号の海側に位置する北国街道を辿って犀潟駅へ向かうことに。この道は昨年10月14日に走ったことのあるルートです。
四ッ屋浜で海岸に下りる道を見つけて日本海と対面。日本海を眺めるのは今年7月以来。前回は、山古志をBD-1で巡った帰りに、車で柏崎の椎谷にある観音岬まで移動して夕日撮影と洒落込んだのですが、雲が多くて断念したのでした。今日も雲が多くて綺麗な夕焼けは望めそうにありません。最も日没まで居るわけにもいかないですが。
ほくほく線普通電車越後湯沢行きは犀潟駅を午後4時半過ぎに出発するはず。自転車を輪行バッグに仕舞う時間を考えると、余りノンビリもしていられません。四ツ屋浜を後にして、土底浜・小舟津浜・渋柿浜と北国街道を辿ります。
新堀川を渡って、T字路の交差点。はて駅はこの近く?と地図を見ると、犀潟駅はT字路を左折して国道8号を渡った直ぐ先でした。午後4時、犀潟駅到着。越後湯沢行きの普通電車は記憶通り午後4時半過ぎ。自転車を仕舞い込んで、窓口で帰路の切符を買ってホームへ。
後で知ったのですが、この犀潟駅、新潟県内で最も古い駅舎なんだそうです。
柏崎方面へ走り去る信越本線の電車。午後4時半過ぎ、直江津駅から来たほくほく線経由越後湯沢行き普通電車に乗り込み、越後湯沢まで1時間半。越後湯沢から新幹線で1時間足らず。熊谷駅で高崎線を待つ時間が少し長かったのですが、それでも犀潟駅から3時間ほどで帰宅。やっぱりほくほく線は便利だなぁ〜と改めて感心するのでありました。「特急はくたか」利用だったらもっと速いんでしょうけど。
走行経路3、大島から大池・小池までです。
走行経路4、大池・小池から潟町駅を経由して、犀潟駅までです。
ルートプロファイルです。GPSログはこちら「log080923-1.gpx」です。カシミール3DやGoogleEarthでご覧下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)。
走行距離は約90km、累積標高は+1500m,-1700mでした。山と谷が何度も現れる東頸城丘陵の地形がよく分かります。
課題だった、東頸城丘陵横断をようやく果たす事が出来ました。十日町駅へもう少し早く到着できれば良いのですが、輪行だけでは難しそうです。道中で一泊して、もう少し丘陵の中を探検するのも楽しそうですが、果たして脚が持つかどうか? さて、次回は、久しぶりに長岡以北へ脚を伸ばすか、もしくは上越以東か。
All Photographs by Ryo Masuda 2008.
Took a photograph with IXY DIGITAL 810IS by Canon.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002.
この記事は[2024.01.08]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp