風まかせ旅紀行
長野県・新潟県 北国街道 善光寺−高田ポタ Vol.2
湖畔をウロウロしてトイレ休憩。同じようにトイレに立ち寄った自転車乗りが数人。街道では全く出会わなかったのですが、皆さん現国道を走っているのでしょうか。
野尻湖・・・・信州しなの町観光協会
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
野尻湖湖畔を後にして、旧国道を進みます。現国道18号線の野尻トンネルの上をトコトコと登ります。野尻坂峠という名前があるらしい。登り切ったご褒美はこの景色。[上]
国道18号線に合流して1.2kmほど進んだところで、再び旧国道へ。1974-78年の航空写真を見ると、この坂道に沢山の車が写っているのですが、今は通る車も極少数。[左]
旧道の途中から、さらに旧旧道と思しき道へ。両側に民家が建つ狭い急坂を下っていくと、これまた古そうな橋がありました。
信越国境の関川に到着です。左奥の映っているのが現国道18号線の信越大橋。この旧国道は車でも通った事は無いから、これが初めて。
新潟県に入って少し登ったところで見掛けた崩れかけの民家。
途中、スキー神社の鳥居を見物したりしつつ、妙高高原駅近くの毛祝坂を下っていきます。さて、この先学校近くに一里塚跡が有るらしいのですが・・・。
白田切川の手前、妙高高原北小学校の傍に一里塚跡の碑が建っていました。
白田切川を渡り、田切集落から二俣集落へ。その間にある郷田切川の両岸に古道が残っているそうです。北国街道中、古道がそのまま残っている所は少ないらしいですね。
二俣集落で見掛けた筆塚。
二俣は隣の田切宿との合宿だったそうです。古間宿と柏原宿の関係と同じですね。
二俣宿の本陣跡には明治天皇御小休所址の石碑も残っています。[左]
二俣から先へ進んで大田切川を越える旧国道へ。遙か上空を越えていくのは現国道18号線の妙高大橋。[下]妙高山麓直売センターで小休止の後、現国号18号線西側の街道へ。道なりに進んで関山神社に来ました。ここから先は2010年8月に走った事が有り、様子と時間が読めるようになって一安心。
関山から北沢に入り、現国道18号線との交差点間近に残る北沢の一里塚。この直ぐ先で国道18号線を横断し、妙高市から上越市へ入ります。[左]
片貝集落辺りの北国街道。消雪パイプの水の影響で錆色になった路面を見ると、あぁ新潟県に来たんだなぁと実感します。[下]
振り返ると田圃の向こうに妙高山。その麓には松ヶ峯温泉。桜と妙高山の撮影ポイントとして有名です。妙高山が少し小さくなってきたかな?[左]
松崎に入って信越本線を横断します。踏切の名前はちゃんと北国街道踏切。[下]
スイッチバック駅として有名な二本木駅で水分補給タイム。ここも以前立ち寄りました。
二本木駅から三ツ屋、藤沢の下り坂を快調に降りて藤沢の一里塚。以前通り掛かった時は、それと気が付かず素通りしてしまいました。頭の中には景色として残っていたのですが。[左]
小出雲坂を下ります。かつては高田城から日本海まで見通せたそうですが、今は桜並木になっています。カシミール3Dで確認してみると確かに高田城まで遮る物なし。[下]
小出雲坂を下りました。「笹だんご」の看板が出ているのは和菓子屋の「わかさや」。立ち寄りたい所ですが、ここはスルー。[左]
県道63号線との「小出雲」交差点に建つ道標と2代目5号車。「左 飯山道 右 善光寺道」と彫られています。2代目5号車のフロントギアが2段目になってますね。ここまでの道中のアップダウンで結構脚に来ていた証拠。[下]
新井駅に近い街道を進みます。この辺りは先のレポで掲載しているので割愛。
矢代川近く、北陸新幹線の高架下にある明治天皇石澤御休止所址の石碑。後ろの新幹線高架、以前来たときは工事中でしたが、今回はすっかり完成していました。
地方道579号線、旧国道18号線に合流し瀬渡橋で矢代川を渡って、信越本線の脇野田駅へ。なかなか渋い木造の駅舎です。
後日、北陸新幹線の延伸に伴って上越妙高駅に統合され消滅しました。[左]
その奥には北陸新幹線の駅が建設中でありました。新幹線を使って高田界隈のポタリング〜♪なんて時は、この駅を使うことになるのですね。輪行派の私には、都会のど真ん中に降ろされる駅より、こういう田舎に直接降りられる駅のほうが利用価値が高かったりするのです。[下]
青田川を渡ると雁木が現れます。高田の中心街が近くなってきました。まるで現代のアーケード街ですが、個人宅の下屋が連続して建っているのです。つまり私有地を公共のために提供し続けているのですね。[上]
「南本町2丁目」交差点を左折して西へ。雁木がずうっと続いています。その上には雪下ろしのために屋根に上がる梯子が常設。[下]
交差点から暫く進むと左側に見えてくるのが、この辺りの街道のシンボル的建物の高橋孫左衛門商店。
その飴屋さんの反対側の雁木の下の様子。こんな調子でずっと続いています。
「本町1丁目」交差点を右折して北上。緑屋旅館は暫く前まで営業していたようですが、2階の様子を見る限り廃業のようですねぇ。
屋根の上に大きな煙突のように小窓を載せた建物。煙抜きの跡?それとも明かり採り用なのでしょうか。
街道筋から一本東側に外れて旧師団長官舎を見学。見学と言っても外見だけですが。
明治末期の建物で、なんと平成3年まで現役だったとの事。西洋風ですが屋根は瓦葺きです。
旧師団長官舎から少し北へ進んだところにある町奉行所跡。敷地の直ぐ裏は高田城の外堀を形成している青田川。
宿泊予定のホテルまで幾らも無い距離なので、行ったことの無かった寺町を探索してみることにして駅西側にやってきました。
寺町寺院散策マップ。いろいろな宗派の寺社があるのですが、一番多いのは浄土真宗のようですね。
中でもひときわ大きく目立つのが東本願寺高田別院の山門。門の部分に比べて屋根が一回りも二回りも大きいのが特徴。二重門の建築を願い出たが許可が出ずに一重門となり、せめて屋根だけでも本山のように立派に・・・という経歴があるらしい。
屋根の大きさだけでは無く、作りも彫刻も立派なのです。雪の深いこの地では、維持するだけでも大仕事でしょうね。
柱から飛び出しているのは獅子でしょうか。山門は文政10年(1827年)建築で、火災と再建を繰り返した本堂とは違い別院建設当時の姿を残しているのだそうです。
寺町から再び街道筋へ戻って「北本町一丁目」交差点近くにある高野醤油味噌店。[左]
さらに北国街道を北へ進みます。民家の脇からひょいっと伸びる松が良い感じです。そういえば直江津の加賀街道にも街道沿いの松がありますね。[下]
加賀街道との分岐にやってきました。お地蔵様の後ろに見えるのが加賀街道。「左かゝかいだう」がそれ。今回は「右いまゝちみち」の方向にあるホテルを予約したので、そちらへ進むことに。
上のお地蔵様は追分地蔵と呼ばれているそうです。そうそう、この案内板に書いてないのですが、上越市の中心を流れる今の関川は、下流では荒川と呼ぶことも有ったようで、この案内板にも荒川と書いてあります。その名残で関川の一番下流の橋は荒川橋でしたね。
「右いまゝちみち」に従って道なりに進みます。この先で旧国道18号線に合流します。加賀街道は走った事がありますが、こっちへ来るのは初めて。[左]
この日は上越高田IC近くのビジネスホテルに宿泊。春日山橋で関川を渡れば直ぐです。直ぐ下流には北陸自動車道。走行距離は大した事無いのですが、勾配きつめのアップダウンで疲れました。翌日は松之山街道の牧野峠へ向かい、ほくほく線の駅から輪行帰宅という行程です。[下]
走行経路4、関山神社から二本木、新井まで。
走行経路5、新井から高田、春日山橋を渡り上越IC近くのビジネスホテルまで。
GPSログはこちら「log20130609_0.gpx」。カシミール3DやGoogleEarthをご利用下さい。
地理院地図によるルート表示はこちら(別Windowで表示します)
ルートプロファイルです。距離は79km、累積標高は+1090m、-1448mでした。新潟県側から信越国境を越えるよりも、長野県側からのほうが下り基調で楽かな?と思っていたのですが、勾配のキツい所が多くて難儀でした。
All Photographs by Ryo Masuda 2013.
Took a photograph with FINEPIX F800EXR by FUJIFILM.
Special Thanks 'ViX Ver.2.11.148.0'.1998-2002 K_OKADA
この記事は[2023.11.07]に加筆修正しました。
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Ryo Masuda / myDNS.jp / ryo-kun@fc4.so-net.ne.jp